民のための忠義
暁風は畑の手伝いを始めていた。
左腕の傷が塞がり、力仕事ができるようになると、暁風は自ら申し出た。
「剣を振る代わりに鍬を振る。体を動かさないと鈍る」
朝霧が畑の上に薄く漂っている。草の匂いと土の匂いが混じり合い、鳳凰領の朝の匂いを作っている。遠くで鶏が鳴き、厨房の竈から煙が立ち上っていた。暁風は深く息を吸い込んだ。この匂いが好きだ。戦場の鉄と血の匂いとは、何もかもが違う。
農民たちは最初驚いたが、すぐに受け入れた。暁風の体力は常人離れしている。鍬を振る腕力だけなら、若い農夫三人分の仕事をこなした。土を掘り返す速さに、農民が目を丸くしている。固い土塊を一振りで砕き、畝を切る動きに無駄がない。戦場で鍛えた体の使い方が、畑仕事にもそのまま活きていた。
「将軍殿、恐れ入りますが——鍬の持ち方が少し違います」
「こうか」
「もう少し手前を。——そうです。それなら腰に負担が少ない」
鍬を振るたびに、土の匂いが立ち上った。湿った腐葉土の甘い匂い。蚯蚓が掘り返された土からのそのそと逃げ、暁風は足を退いて踏まないようにした。小さな命だが、この蚯蚓が土を耕している。麗華がそう教えてくれた。
暁風が農夫の指導を素直に受けている姿は、将軍というより大きな新人だった。戦場では部下に号令をかける男が、畑では一番の後輩だ。農夫が手本を見せると、暁風は真剣な目で手の動きを追い、すぐに真似た。剣の型を覚えた時と同じ集中力だ。
畑仕事の後、農民に酒に誘われた。
「将軍殿。まあ一杯」
「もらう」
畑の縁に腰を下ろし、濁り酒を飲んだ。肴は漬物と焼き芋だ。漬物は鳳凰領の蕪で、塩気の奥にしっかりとした甘みがある。歯ざわりが良く、噛むたびに蕪の繊維から汁が滲んで口の中を満たした。糠床の酸味がほのかに残り、後味がさっぱりしている。焼き芋は炭火でじっくり焼かれ、皮の内側が蜜のように透き通っていた。割ると湯気が立ち、黄金色の断面から甘い匂いがふわりと広がる。繊維が蜜を纏って輝いている。
「将軍殿のおかげで、畑仕事がだいぶ楽になりました」
「俺は鍬を振っただけだ」
「いえいえ。あの戦の時も、将軍殿が前線で戦ってくれたから、俺たちは安心して畑に出られました」
農民が素朴な顔で笑った。日焼けした頬に笑い皺が広がる。暁風は焼き芋を齧った。甘い。鳳凰領の芋は甘い。中心まで火が通って、ほくほくとした繊維が舌の上で崩れ、甘みが口いっぱいに広がる。蜜が指先に垂れて、暁風は無造作に指を舐めた。皮の際に溜まった蜜をなめると、焦げた甘みが香ばしく舌に絡んだ。
「旨いな」
「でしょう。麗華様の地養のおかげです。この土で育った芋は、他の土地とは比べものにならない」
「ああ。知っている」
(俺が守りたいのは——この味だ。この笑顔だ。この畑で、この酒を飲んで、焼き芋を食って笑っている——この人たちだ)
「将軍殿。もう一杯」
「もらう」
濁り酒を飲んだ。素朴な甘酸っぱさ。米の発酵した香りが鼻を抜ける。帝都の高級な酒よりも——旨い。旨いと感じる自分がいる。帝都の酒は洗練されていたが、どこか空疎だった。この酒は粗いが、土の匂いがする。汗の匂いがする。
(皇帝陛下への忠義。武人の矜持。将軍としての責務。——全て本物だった。だが今の俺が最も強く感じるのは、この場所への愛着だ)
(この土地。この人々。この食卓。——そして、麗華)
暁風は酒杯を見つめた。濁り酒の白い液面に、夕空が映っている。酒の匂いを吸い込むと、米の発酵した甘い香りが鼻の奥に広がった。この香りは鳳凰領の土が作った香りだ。この土地の水で米を研ぎ、この土地の空気で発酵させた酒。
暁風は焼き芋の最後の一欠片を口に入れ、ゆっくりと噛んだ。甘みが口の中にじわりと広がる。鳳凰領の芋は、地養術で育った土の恩恵を受けて糖度が高い。皮の際まで蜜が回り、端の一欠片にも甘さが詰まっている。暁風は指についた蜜を舐め、空を見上げた。星が降るような夜空だった。この星の下で、麗華が帳面と格闘しているのだろう。蔵の数字を数え、来春までの不足を計算し、眉間に皺を寄せている姿が目に浮かんだ。あの女にも焼き芋を持っていってやるか——いや、蔵の数字を気にして「贅沢はだめです」と言うだろう。忠義の形が変わりつつある。皇帝個人への忠義から——民への忠義へ。いや、もっと具体的に言えば、この笑顔だ。この味だ。鳳凰領で——麗華のそばで、この人たちを守り続けたい。それが忠義の裏切りなのか——暁風にはもうわからなかった。
もう一人の農夫が漬物の壺を持ってきた。
「将軍殿。これ、かみさんが漬けた大根です。よかったら」
暁風が一切れ齧った。塩と糠で漬けた大根は、歯応えがぽりぽりと小気味よく、噛むほどに甘みが滲む。糠の酸味が後味を引き締め、酒の合間に挟むと口の中がさっぱりする。鳳凰領の大根は、地養術の恩恵で身が締まり、漬けても水っぽくならない。この歯応え、この甘み——帝都の漬物にはない味だ。
「旨い。かみさんに礼を言ってくれ」
「はは、喜びますよ。——将軍殿に旨いと言ってもらえたら、もう一樽漬けるって言い出しかねない」
農夫たちの笑い声が夕暮れの畑に響いた。
農民が帰り、暁風は一人で畑の縁に残った。
星が出ている。鳳凰領の夜空は、帝都よりも星が多い。空気が澄んでいるからだ。星明りが畑に降り注ぎ、冬小麦の穂が銀色に光っている。
(麗華に——告げたいことがある)
何を、とは自分でもまだ言葉にできていない。だが——胸の中で形になりかけている何かがある。言葉を探しているが、見つからない。不器用な男だ。戦場では号令一つで千の兵を動かせるのに、一人の女に向かう言葉が見つからない。
焼き芋の温もりが、まだ手に残っていた。指先に蜜の粘りが残り、甘い香りがかすかに漂っている。




