朝廷の腐敗
帝都からの報告は、暁風を苛立たせた。
「趙文昌の後任を巡る権力闘争が激化。宰相の座を狙う三つの派閥が対立し、朝議が麻痺状態に」
春蘭が読み上げた報告を、暁風は腕を組んで聞いていた。眉間の皺が深い。
「食糧危機の対策会議は三度延期されたそうです。各派閥が自陣の利益を優先し、国難への対応が後回しに」
「……馬鹿どもが」
暁風の声は低かった。怒りを押し殺した声だ。拳が膝の上で白くなるほど握りしめられている。
「北辺で兵が飢え、民が死にかけている間に——あいつらは椅子の取り合いをしている。宰相の座に座れば飯が増えるとでも思っているのか」
「暁風殿。言葉遣いが」
「言葉遣いの問題か。——北辺で俺が見たものを、あの連中は知らない。飢えた捕虜が地面の粥を手で掬って食う姿を、子供が泥水で腹を満たす姿を、あいつらは見ていない」
暁風の拳が膝の上で握りしめられていた。関節が白くなるほど強く。左腕の傷跡が包帯の下で疼いた。
麗華が静かに口を開いた。
暁風の声が部屋の空気を震わせた。火鉢の炭が弾け、小さな火の粉が暗がりに散った。窓の外では日が傾きかけ、橙色の光が帳面の墨字を斜めに照らしている。報告書の紙が卓の上で風に揺れ、乾いた音を立てた。
「暁風殿。お気持ちはわかります」
「わかるか」
「ええ。私も——同じことを思っています。もっと辛辣なことを」
(あの宰相候補たちが食べている御馳走の食材はどこから来ているか、一度でも考えたことがあるのかしら。鳳凰領の米で炊いた飯を食べながら鳳家を潰そうとしていた趙文昌と、何が違うの。椅子が変わっても座る人間の質が変わらなければ、この国は——)
暁風が少しだけ力を抜いた。この女は——怒りを共有してくれる。そしてその怒りを、理性で制御する術を知っている。
麗華は帝都からの報告書を手に取った。
「権力の空白は、争いを生む。趙文昌が去った後の朝廷は、良くも悪くも秩序を失っている。皇帝陛下が自ら政務を執ろうとしているが——周囲が足を引っ張っている」
「陛下は——良き君主だと思う。だが周りが腐っている」
暁風が拳で膝を叩いた。乾いた音が部屋に響いた。火鉢の灰が微かに舞い上がり、暁風の怒気が空気を震わせている。
「腐っているのは人ではなく、構造です。百年間、鳳家の食糧に頼りきりの朝廷に、自立する力がない。食糧問題を解決する能力も意志もない官僚が、権力だけを欲しがる。——それが帝都の実態です」
(報告書には「食糧危機の対策会議で派閥の宴会が催された」とある。宴会。食糧危機の対策会議で宴会。鳳凰領の蔵が四割に減っている時に、帝都の官僚は宴会を開いている。きっと白飯を山盛りにし、肉を焼き、酒を並べているのだろう。その米がどこから来ているか、考えもしないで)
暁風は窓の外を見た。鳳凰領の畑が夕日に照らされている。橙色の光が穂先を輝かせ、農夫たちが帰路についている。鍬を肩に担ぎ、土のついた足で畦道を歩く姿が小さく見えた。あの人たちが朝から晩まで汗を流して育てた穀物が、帝都の官僚の腹に入っている。
暁風は窓の外を見た。鳳凰領の畑が夕日に照らされている。橙色の光が穂先を輝かせ、農夫たちが帰路についている。鍬を肩に担ぎ、土のついた足で畦道を歩く姿が小さく見えた。あの人たちが朝から晩まで汗を流して育てた穀物が、帝都の官僚の腹に入っている。
「帝都の連中が派閥の宴会で酒を飲んでいる間に——北辺の民は飢え、鳳凰領の蔵は空に近づいている」
「そうです。だからこそ——ここでやれることをやるしかない」
「ここで」
「鳳凰領で。食糧を育て、蓄え、守る。朝廷が機能しないなら、こちらで動く。待っていても何も変わりません」
報告書を読み終えた後も、帝都の宴会の話が頭にこびりついていた。麗華は蔵を開け、残りの備蓄を確認した。米俵の列が短くなっている。味噌壺の数を指で数えた。塩壺の蓋を開け、中身を目視した。帝都ではこの塩すら贅沢品になりつつある。鳳凰領から送らなければ、帝都の官僚は汁に塩すら入れられない。その現実を知らずに宴会を催す連中が、この国の舵を取っている。麗華は壺の蓋を閉じた。怒りを飲み込み、次の手を考える。感情は後だ。まず数字だ。窓の外から夕餉の匂いが漂ってきた。味噌と米と、漬物の酸い匂い。この匂いが——暁風が守りたいものだ。帝都の宮城の匂いではなく、鳳凰領の厨房の匂い。
暁風は黙った。麗華の言葉に反論はない。正しいからだ。
麗華が茶を注いだ。暁風が受け取り、一口飲んだ。茶葉の苦みの奥に、微かな甘みがある。舌の上で余韻が残る。鳳凰領の茶葉は、地養術で育った土の力を吸っている。一煎目の青い香りが鼻に抜け、苦みの後に山の清冽な空気のような甘みが喉に落ちていく。
「旨い」
「ありがとうございます」
「帝都の茶より旨い。——帝都の何もかもより、ここのほうがましだ」
その言葉に、暁風自身が驚いたように口を閉じた。
(俺は——帝都よりも、ここが良いと言った。将軍が。皇帝の臣下が。こんな言葉を口にしていいのか)
麗華は何も言わなかった。ただ、もう一杯茶を注いだ。余計な言葉を挟まない。暁風の言葉を、そのまま受け止めている。
窓の外から夕餉の匂いが漂ってきた。誰かが粥を炊いている。鳳凰領の米の、甘い湯気の匂い。味噌の温かい香りが混じり、漬物の酸い匂いがかすかに追いかけてくる。その匂いを嗅ぐだけで、帝都の権力闘争がどれほど空疎か思い知る。
二人で茶を飲んだ。茶碗から立ち上る湯気が二筋、夕日に照らされて金色に光っていた。窓から差し込む夕日が、卓の上に二つの影を落としている。
帝都の報告書は卓の上に置かれたまま、読み返されることはなかった。夕日が沈み、窓の外が暗くなっても、二人はしばらくそのまま座っていた。




