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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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遠方の報

 各地からの報告が、麗華の卓に積み上がっていた。


「東部平原の不作。南部の港町で食糧価格が三倍に高騰。西の山岳地帯では飢饉の兆候」


 春蘭が報告書を順番に読み上げる。麗華は地図に印をつけていった。朱墨の点が一つ増えるたびに、瑛朝の版図に赤い斑点が広がっていく。まるで病の兆しを記録するように。


「商人の話では、どこへ行っても飯が不味くなったと」


「不味くなった?」


「はい。同じ品種の米でも、以前より味が落ちていると。野菜も実りが小さく、果実は甘みが薄い」


 麗華は筆を止めた。


「食の質の低下——それは、土の力が衰えているということ」


 一人の商人が訪ねてきた。南部の港町から交易品を運ぶ途中、鳳凰領に立ち寄ったのだ。日に焼けた顔に深い皺が刻まれ、旅の疲れが滲んでいる。衣の裾は泥に汚れ、靴底が擦り減って薄くなっていた。背負っていた荷を下ろす仕草に、長旅の疲弊が見えた。


「鳳麗華様。実は、お耳に入れたいことが」


「どうぞ」


 春蘭が茶を淹れた。湯を注ぐと、茶葉が碗の中でゆっくりと開いていく。乾いていた葉が水分を得て、元の形を取り戻すように広がる。茶の青い香りが立ち上り、執務室の空気を一変させた。


 商人が茶を受け取り、一口飲んで息をついた。目を閉じ、味を噛みしめるような表情を見せた。茶碗を両手で包み、湯気を吸い込むように鼻を近づけた。


「この茶は旨い。——申し訳ないが、鳳凰領を出ると、こういう味にはなかなか出会えません。どの茶も薄くなった。香りが飛んでしまったように。葉は同じはずなのに、味が別物になっている」


 麗華も茶碗を手に取った。自分が毎日飲んでいるものと同じ茶だ。だが商人の反応を見て、改めて一口含んでみた。青い香りが鼻腔に抜け、苦みの奥に甘みが広がる。当たり前だと思っていたこの味が、外の世界では失われつつあるのだ。


「各地の状況を教えてくれますか」


「ええ。瑛朝の東部平原——あそこは昔、穀倉地帯でした。百年前の霊脈震の後も、鳳凰領ほどではないがそこそこの収穫がありました。それが——」


 商人の顔が曇った。茶碗の縁を親指で撫で、視線を落とした。


「今年は壊滅的です。収穫量が昨年の三分の一。原因は不明。農民たちは『大地が死んでいく』と言っています。畑の土が白っぽくなって、何を植えても育たないと」


「大地が死んでいく……」


「北の遊牧国家でも草原が荒地に変わったと聞きました。緑の草原が灰色になって、馬が食むものがなくなった。南の海洋国家でも、沿岸部の漁獲量が激減している。海の色が変わったと」


 商人は続けた。


「西の山岳地帯では、山菜すら採れなくなったと。蕨も独活も、以前の半分も出ない。猪や鹿も山を降りてこなくなった。動物は人より先に異変を察する。あの獣たちが消えたということは——山の力そのものが衰えているのでしょう」


 麗華は地図を見つめた。


 北で草原が枯れ、東で穀倉地帯が不作になり、南で漁獲が減り、西で飢饉が起きている。瑛朝の版図を取り囲むように、大地の力が衰えている。地図上の朱墨の点が、まるで包囲網のように鳳凰領を取り囲んでいた。


(世界全体で——大地が衰えている。鳳凰領だけの問題ではない)


「鳳凰領は大丈夫ですか」


 商人が不安そうに尋ねた。


「……大丈夫です。鳳凰領には地養術がありますから」


 麗華は微笑んだ。いつもの穏やかな笑み。商人は安心した顔で茶を飲み干した。「もう一杯いただけますか」と遠慮がちに言い、春蘭が注いだ。二杯目も同じように目を閉じて味わっていた。この茶の味を、旅の記憶に留めようとするように。茶碗を傾ける仕草が丁寧で、最後の一滴まで大切に飲んでいた。


 商人が去った後、春蘭が冷めた茶を片付けながら呟いた。


「お嬢様。あの商人、鳳凰領の茶を飲んだ時の顔、見ましたか」


「ええ。まるで久しぶりに故郷に帰ったような顔でした」


「各地の食がそこまで衰えているのなら——鳳凰領の食は、今やこの国で最も贅沢なものかもしれませんね。私たちが毎日当たり前に食べている粥も、漬物も、味噌汁も。あの商人にとっては——二杯目を頼むほどの味だった」


 商人は三杯目の茶を遠慮がちに求めた。春蘭が快く注ぐと、商人は両手で碗を包み、湯気を深く吸い込んだ。「この香り」と呟いた。茶葉の青い香りが鼻腔を抜けていく。一煎目の鮮烈さは薄れたが、三煎目には三煎目の味がある。角が取れた柔らかい甘みが、舌の上に薄く広がる。商人の目が潤んでいた。各地を巡り、どこへ行っても食の味が落ちていく現実を見てきた男が、鳳凰領の茶で一瞬だけ安らいでいる。その姿が、麗華の胸に刺さった。当たり前の食事が、当たり前でなくなる日が来る。それは帝都の権力者にはまだ実感がないだろう。だが商人は知っている。食の劣化は、最初に舌の上で始まる。



 麗華は黙った。当たり前の食事が、当たり前でなくなる日が来る。


 麗華は一人で地図に向き直った。


(大丈夫、と言った。だが——本当にそうか)


 外縁部で地養の効きが弱くなっている。翠微が異変を報告している。霊脈の応答が鈍い。


(鳳凰領だけがいつまでも安全だと——思い込んでいないか。各地で大地が衰えている。その波が鳳凰領に来ないと、なぜ言える)


 窓の外を見た。鳳凰領の畑は緑だ。中央部の冬小麦は順調に育っている。だが——


(この緑が、いつまで続くのか)


 麗華は帳面を閉じ、畑に出た。


 中央部の土に手を当てた。霊脈が脈打っている。まだ生きている。


 だが——脈の間隔が、ほんの少しだけ長くなっている気がした。心臓の鼓動が一拍遅れるような、微かな違和感。


(気のせいだ。——気のせいだと思いたい)


 立ち上がり、空を見上げた。


 瑛朝の空は、以前より少しだけ——灰色が濃くなっていた。

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