減った蔵
宴の翌朝、麗華は蔵に入った。
棚が空いている。かつては米俵が天井まで積まれていた蔵の半分以上が、がらんとした空間になっていた。朝日が格子窓から差し込み、空の棚に光の筋を落としている。埃が舞い、光の中で金色に踊った。蔵の中は冷えていて、吐く息がかすかに白い。木の棚板から古い米の匂いがするが、俵そのものの匂いは薄くなっていた。
「春蘭。正確な数字を」
「はい。備蓄は戦前の四十パーセント。具体的には——」
春蘭が帳面を読み上げた。声が蔵の中に反響し、数字が壁に跳ね返って麗華の耳に届く。
「米百二十俵。味噌壺三十。塩は十壺。干し魚と漬物は残量わずか」
「百二十俵で、領民二千人を何日養えますか」
「一人一日三合として——六十日。二ヶ月です」
「今は秋の終わり。冬を越して春の収穫まで——四ヶ月」
「二ヶ月足りません」
麗華は空の棚を見つめた。木の棚板に米俵の跡が残っている。丸い圧痕と、こぼれた米粒が乾いて張りついた跡。かつてここに命があった痕跡だ。棚板を指でなぞると、乾いた木の感触の下に、米の粉が微かに残っていた。指先が白く粉を帯びる。
「このままでは来年の春を越せない。種籾に手をつけなければ——」
「種籾は」
「手をつけません。種籾を食べれば来年の収穫がない。今年の飢えを凌いでも、来年死ぬ。未来を食べるわけにはいかない」
春蘭が唇を引き結んだ。
「では——どうしますか」
「食糧を増やすしかない。今ある畑の収量を上げる。冬小麦の成長を地養術で加速させる。翠微と二人で——」
麗華は地図を広げた。鳳凰領の畑の配置図だ。緑に塗られた圃場が、鳳凰領の中心を覆っている。
麗華は蔵の隅に積まれた干し魚の束を確認した。残りは両手で数えられるほどだ。漬物の壺も少ない。開けてみると、蕪の漬物は塩が回りすぎて塩辛くなっていた。糠漬けの大根は水気が抜けて硬い。保存食の限界が近づいている。新鮮な食材を畑から得るしかない。壺の蓋を閉じる時、糠床の酸っぱい匂いがふわりと立ち、鼻の奥に食の記憶を呼び起こした。この匂いがある限り、まだ終わっていない。
蔵の奥で、味噌壺の一つから微かに発酵の匂いが漂っていた。生きている匂いだ。味噌が息をしている証だ。この壺が空になる前に、次の仕込みを終えなければならない。
「中央部の圃場は安定している。問題は外縁部。翠微が報告していたように、外縁部は地養の効きが悪くなっている」
「外縁部を諦めて、中央部に集中するのはいかがでしょう」
「それも考えました。だが中央部だけでは生産量が足りない。外縁部を活かさなければ——二ヶ月の不足を埋められない」
麗華は蔵を出た。畑に向かった。
冬小麦が育っている。青い穂がまだ小さいが、確かに生きている。風に揺れる穂先が朝日を受けて輝き、露がきらきらと光っていた。畝の間を歩くと、土の匂いが立ち上った。夜の冷気を含んだ湿った土の匂い。微生物が呼吸する大地の匂いだ。靴底が踏むたびに、土が微かに沈んで弾力を返してくる。生きている土の手応えだ。
膝をつき、土に手を当てた。地養術を行使する。指先に淡緑色の光が宿り、霊脈の力を穀物に注ぐ。土の温もりが手のひらに伝わってきた。湿った土の匂いが鼻をかすめる。微生物の息吹。腐葉土の甘い残り香。生きている大地の匂いだ。
(効いている。だが——以前より力が弱い気がする。疲れているだけか。それとも——)
気のせいだと思うことにした。今は、目の前の穀物を育てることに集中する。
夕方、翠微が駆けてきた。息を弾ませ、頬を紅潮させている。
「師匠。外縁部の畑で気になることが——」
「後で聞きます。今は中央部の地養を」
「でも——」
「翠微。今は目の前の畑に集中しなさい」
翠微が口を閉じた。不満そうだが、言われた通り隣の区画に向かった。背中が少し丸まっている。
春蘭が粥を運んできた。湯気の立つ椀を受け取り、麗華は一口啜った。米の甘みが体の芯に沁みた。粥の温度が胃に落ちた瞬間、冷えていた手足の指先にじわりと血が巡り始める。食は燃料だ。体を動かすための、心を動かすための燃料。蕪の漬物を一切れ齧ると、糠の酸味が口の中をさっぱりさせた。この酸味が次の一口の粥を待ち遠しくさせる。漬物と粥の相互作用は絶妙だ。麗華はそれを「食の循環」と呼んでいた。壺の蓋を閉じる時、糠床の酸っぱい匂いがふわりと立ち、鼻の奥に食の記憶を呼び起こした。この匂いがある限り、まだ終わっていない。
麗華は一人で地養を続けた。体力が削られていく。膝が震える。額に汗が浮かぶ。視界がわずかに揺らいだ。
(まだ足りない。もっと力を注がなければ。二ヶ月分の不足を——この畑で埋めなければ)
日が暮れた。麗華は畑から立ち上がろうとして——膝が折れた。
「お嬢様」
春蘭が駆け寄った。
「大丈夫です。少し——立ちくらみが」
「大丈夫ではありません。食事を取っていないでしょう」
「……取りました。朝に」
「朝だけですか。もう夕方です」
執務室に戻り、粥を食べた。温かい粥が胃に落ちて、体に力が戻る。米の甘みが舌に広がり、冷えた内臓がじわりと温まった。
粥に添えた蕪の漬物を一切れ齧った。酸味と塩気が疲れた体に染みる。この漬物の蕪も、地養術で育てたものだ。自分の力が蕪になり、蕪が漬物になり、漬物が自分の体を支える。循環だ。食の循環が途切れれば、全てが止まる。
(食べなければ動けない。動けなければ地養ができない。地養ができなければ畑が育たない。畑が育たなければ——全てが終わる)
全てが食に帰着する。この世界では、食が全ての始まりで全ての終わりだ。
蔵の空の棚が、脳裏から消えなかった。もう一口、粥を啜った。冷めかけた粥は甘みが引き、澱粉の素朴な味だけが残っていた。




