麗華の反撃
麗華は地図の上に駒を並べた。
「敵の別動隊は、補給線を狙う。ならば——補給線を餌にする」
春蘭が目を瞠った。
「囮、ですか」
「ええ。元のルートに補給隊を出す。ただし中身は偽物。米俵の形をした砂袋を積んだ荷車」
麗華は地図上の第二中継地を指した。
「敵は一度ここを襲って成功した。味を占めて、同じ場所を再び狙う可能性が高い。飢えた者は成功体験に縋る」
「そこに囮を通す」
「囮に食いついた別動隊を——暁風殿の伏兵で挟み撃ちにする」
春蘭が息を吐いた。
「お嬢様。その作戦には前線との連携が必要です」
「ええ。だから暁風殿に伝令を出します」
麗華は密書を認めた。文面には食材の隠語が散りばめられている。鳳凰領と暁風の間で取り決めた暗号だ。出征前に二人で決めた符牒——食材の名前で軍事行動を伝える仕組みだ。
「『山菜三束、河畔に届けます。鶏は谷に控えさせてください』」
春蘭が読んで、唇の端を上げた。
「鶏は伏兵、山菜は囮ですか。暗号が食材とは——お嬢様らしい」
「食材なら、傍受されても怪しまれないでしょう。まさか軍事暗号だとは思うまい」
密書を飛脚に託し、囮の準備を進めた。
米俵の形をした砂袋を作る。麻袋に砂を詰め、口を縛り、本物の米俵と同じように荷車に積む。重さも見た目も変わらないように、念入りに形を整える。上に一俵だけ本物の米を載せ、見た目を偽装した。万が一手に取られても、最初に触れるのは本物だ。袋の表面に米糠を擦りつけ、匂いまで本物に近づけた。嗅ぎ分けられれば終わりだが、戦場の混乱の中では——十分だろう。
「あたしも手伝います」
翠微が砂袋を抱えて走ってきた。頬を汗で光らせ、息を弾ませている。
「翠微、あなたは畑に戻りなさい」
「畑の作業は終わりました。地養も朝に済ませました。だから——手が空いてるんです」
麗華は少し考えて頷いた。
「では手伝って。砂袋の口をしっかり縛って。ほどけたら砂がこぼれて偽物だとばれるから」
「はい」
翠微がせっせと砂袋を縛る。額に汗をかいている。縄を引く手つきは不慣れだが、力は十分だ。
「師匠。あの人——暁風殿は、大丈夫ですか」
「大丈夫です。あの方は強い。それに——」
麗華は荷車を見た。砂を積んだ偽物の補給隊。食糧に見せかけた罠。
「食糧を届ける代わりに、罠を届ける。暁風殿ならこの策を活かせる」
「師匠は暁風殿を信じてるんですね」
翠微の言葉に、麗華は一瞬言葉を失った。信じている——その通りだ。前線と後方で離れていても、策を託せる相手がいる。それは信頼以外の何物でもない。
「……策の成功を信じています」
少し違う答え方になったが、翠微はにこりと笑った。気づいているのかいないのか、この弟子は時々鋭い。
夕刻、麗華は囮の荷車の傍で最後の確認をした。砂袋の一つを持ち上げ、重さを確かめる。本物の米俵と同じくらいの重さだ。荷車の上に並べると、遠目には完璧な補給隊に見える。麗華は荷車の幌を開け、偽装の出来を確かめた。上に載せた本物の米俵から、米の甘い匂いが漏れている。この匂いが、敵を引き寄せる餌になる。食の匂いに抗える者はいない。まして飢えた者なら尚更だ。
翌日、暁風から返事が届いた。
「了解した。鶏は谷に配置する。山菜の到着を待つ」
短い文面の最後に、一行が加えてあった。
「旨い飯を待っている」
麗華は唇を噛んで笑いを堪え、春蘭に気づかれる前に書簡を懐にしまった。墨の匂いがかすかに鼻をかすめた。暁風の筆跡は戦場でも変わらず大きくて、無骨で——温かかった。
囮の補給隊が出発した。護衛は最小限の三十名。あくまで「通常の補給」に見せかけなければならない。荷車の車輪がきしみ、砂の重みで轍が深く刻まれる。本物の米と変わらない轍だ。護衛の兵も緊張した面持ちで荷車を囲んでいる。彼らには砂袋の事実を伝えてある。命を懸けた囮だと知った上で、志願した者たちだった。
「行きなさい。無事に——罠にかかってくれることを祈って」
荷車が北に向かって消えていく。
麗華は執務室に戻り、本物の補給便の準備に取りかかった。囮が敵を引きつけている間に、代替ルートで本物の食糧を前線に届ける。二つの作戦を同時に動かす——兵站と軍略の連携だ。
「春蘭。本物の第三便は囮の出発から二日後。代替ルートの護衛は二百名」
「二百は多いですね」
「本物は失えません。この食糧が前線に届かなければ——暁風殿の兵が飢える。これが最後の賭けです」
麗華は本物の補給便の中身を自ら確認した。米俵の結び目を一つずつ引いて確かめ、味噌壺の蓋を開けて匂いを嗅ぐ。発酵の進んだ赤味噌の、深い旨味の匂い。この壺が前線に届けば、兵の粥が命の味になる。干し魚は鰺と鰯を交互に束ねてある。鰺は脂が多く旨味が強い。鰯は骨ごと食えて蛋白質の効率が良い。薬草の束も確認した。傷口を洗う薬草と、風邪に効く生姜の乾燥片。食と薬を兼ねた補給——それが麗華の兵站だ。
地図に二本の線を引いた。一本は囮のルート、朱墨で。もう一本は本物のルート、藍墨で。二本の線が北に向かって伸び、やがて一点で交わる。砦だ。
(信じている。暁風殿なら——この策を、必ず成功させてくれる)
窓の外で風が吹いた。北からの風だ。雪の匂いを含んだ冷たい風が、執務室の書類を揺らした。
麗華は祈る代わりに、帳面を開いた。
数字を数え続けることが、今の自分にできる最善だ。
帳面の数字を追いながら、麗華は無意識に指先で左手首の内側を撫でた。不安だ。囮の三十人が今頃、暗い道を進んでいる。偽の米俵を積んだ荷車の隣で、剣を握りしめながら。彼らが無事であるよう祈りたい。だが祈りでは人は守れない。数字と計算が人を守る。




