補給線を断て
報告が届いたのは、第二便を送り出した翌日だった。
「お嬢様。第二中継地が襲撃を受けました」
春蘭の声が硬い。麗華は帳面から顔を上げた。
「被害は」
「備蓄の三割が焼かれました。護衛の兵に死者二名、負傷六名。敵は騎馬百ほどの別動隊」
麗華の右手が、左手首の内側を撫でた。怒りを感じた時に出る癖だ。自分でも気づいていたが、止められなかった。爪の先が皮膚を掠め、微かな痛みが走る。その痛みで、わずかに冷静さを取り戻す。
「別動隊。本隊とは別に、補給線を狙う遊撃部隊を出してきた」
「はい。敵は砦だけでなく、補給路を断つ戦術に切り替えたようです」
想定はしていた。補給線が戦力の要であることは、暁風も敵も理解している。狙われるのは時間の問題だった。
しかし——想定していたことと、実際に起きたことは違う。帳面上の「補給途絶の可能性」という文字と、「備蓄の三割が焼かれた」という現実は、まるで重みが違う。
「備蓄の三割。第二中継地に置いていたのは三日分の予備だから——」
「一日分が消えました。残り二日分」
麗華は計算した。指が帳面の数字を辿る。第二便が第二中継地を通過するのは明日。それまでに敵が再襲撃すれば、残りの備蓄も危うい。
「第二便に連絡を。ルートを変更させます。第二中継地を迂回し、直接第三中継地に向かわせなさい」
「迂回路は険しいですが」
「構いません。荷車の速度は落ちるが、失うよりましです。米俵を一つでも焼かれれば、兵が一日早く飢える。速度の代償は許容する」
春蘭が飛脚を走らせた。
麗華は地図の前に戻った。敵の別動隊の動きを推測する。指先が地図上を滑り、可能性のある進路を一つずつ消していく。
(百騎の別動隊。本隊から分離して補給路を狙う。小回りが利き、見つかっても逃げ足が速い。草原馬は瑛朝の馬より持久力がある。——厄介だ)
暁風からの報告が追いかけてきた。
「補給路に敵の別動隊を確認。こちらからも追撃隊を出すが、機動力で劣る。麗華殿、補給ルートの再検討を」
暁風も同じ結論に達している。前線と後方が同時に同じ脅威を認識した。それだけでも——二人の思考が噛み合っている証だ。
麗華は筆を取った。返書を書く。
「ルート変更で対応します。暁風殿は前線に集中してください。補給は必ず届けます」
書き終えてから、一行加えた。
「くれぐれもお身体に気をつけて」
消そうかと思ったが、そのまま飛脚に渡した。墨が乾く前に封をした。迷えば消してしまうから。
夜、蔵の前で麗華は春蘭と向き合った。蔵の扉を背にして、二人の息が白く凍った。松明の灯りが二人の顔を橙色に照らし、影を長く伸ばしている。
「春蘭。正直に。今の備蓄で何日持つ」
「前線への補給を維持した場合——十五日。ただし領内の分を削ればもう少し」
「領民の食糧は削りません」
「では十五日。それが限度です」
十五日。暁風が決着をつけるか、和平を成立させるか——そのどちらかが十五日以内に起きなければ、補給が途絶える。
蔵の中で、米俵が行儀よく並んでいる。かつては天井まで積まれていたものが、もう半分以下だ。空いた棚が暗闇の中に広がり、影が不吉な形を作っていた。味噌壺の列も短くなっている。塩の壺に至っては、残り十壺を切っていた。壺の蓋を開けると、白い結晶が松明に照らされて鈍く光る。一掬いの塩が、兵一人の三日分の命だ。
執務室の卓には、朝の粥が置かれたままだった。麗華が半分だけ食べて筆を取ったのだ。冷めた粥の表面に薄い膜が張り、米粒が固まりかけている。春蘭が片づけようとしたが、麗華は首を振った。計算が終わったら食べる、と。食べなければ頭が回らない。頭が回らなければ数字を間違える。数字を間違えれば、兵が飢える。だから食べる。それが麗華の鉄則だ。粥を一口すくい、口に入れた。冷めた粥は温かい時と味が違う。甘みが凝縮して、米の芯の味がする。
麗華は味噌壺の一つに手を伸ばし、蓋を開けた。赤味噌の濃い香りが立ち上る。発酵した大豆の芳醇な匂いが鼻腔を満たし、一瞬だけ厨房に立つ日常の温もりが蘇った。この壺が空になる日を想像すると、背筋が冷えた。味噌がなくなれば兵站は終わる。塩だけの粥は食べられるが、味噌の粥は生きられる。その差は、数字には出ない。だが戦場では命を分ける。壺を閉じ、帳面に「残三十壺」と記した。筆が震えないよう、意識して力を込めた。
麗華の手が、帳面の上で一瞬震えた。春蘭がそれを見たが、何も言わなかった。
(想定内です。——そう言った。春蘭の前では平然と言った。でも)
一人になった執務室で、麗華は両手を見つめた。
震えている。
(怖い。補給が途絶えたら、あの人たちが飢える。暁風殿が——)
暁風の顔が浮かんだ。出征前夜に煮込みを食べた穏やかな顔。「待っていてくれ」と言った声。あの声を——もう一度聞けなくなるかもしれない。
拳を握りしめた。震えを止める。爪が掌に食い込む痛みで、意識を引き戻す。
(泣くな。震えるな。食糧を数えろ。数えて、届けろ。それが今の私にできる全てだ)
帳面を開き直した。代替ルートの所要時間を計算する。護衛の増員を手配する。第一中継地の備蓄を第三中継地に前進させる。
数字を書き続ける手は、もう震えていなかった。
窓の外で北風が吼えている。その風の先に、暁風がいる。飯を待っている兵がいる。
食糧を届ける。何があっても。
夜明けまでに全ての計算を終えた。冷めた茶を飲み干す。渋みが舌に残ったが、気にならなかった。窓の外が白み始めている。北風が窓を叩く音が、まるで暁風の帰りを催促するように聞こえた。麗華は帳面を閉じ、短い仮眠を取ることにした。横になっても頭は数字を追い続けている。米の量。味噌の壺数。干し魚の束。塩の残量。数字が夢の中まで追いかけてきた。




