皇帝の裁断
翌朝。
大殿に再び百官が集い、皇帝が玉座に就いた。
趙文昌は前日と同じ位置に座っていたが、周囲に空席が目立った。昨日まで宰相の左右を固めていた側近官僚の半数が、今日は別の列に移っている。権力の潮目が変わったことを、全員が肌で感じていた。
皇帝が口を開いた。
「趙文昌。昨日の告発と証拠を精査した。弁明を求める」
趙文昌はゆっくりと立ち上がった。紫紺の官袍は皺ひとつなく、冠は正しい位置にある。四十年の朝議で一度も乱れたことのない佇まいだ。だが——翡翠の帯飾りを持つ手が、微かに震えていた。
「弁明と仰るか」
趙文昌の声は嗄れていた。昨夜、眠れなかったのだろう。
「陛下。臣は四十年この朝廷に仕え、三代の帝に仕えた。先帝の崩御の際も、陛下の即位の際も——この趙文昌が朝廷を支えた。異論はございますまい」
百官は黙って聞いていた。功績は事実だ。否定する者はいない。
「鳳家の排除は——国家構造の是正のために行ったものだ。一族が食糧を独占する構造は、国の脆弱性そのもの。鳳家が反旗を翻せば、この国は一夜にして飢える。その危険を放置できるか」
「しかし」
皇帝が遮った。
「鳳家を排除した後の代替策を——趙文昌、お前は持っていたのか」
沈黙が落ちた。
「食糧をどうするか。荒地化した国土で、鳳家なしにどうやって民を食わせるのか。——その答えを、お前は持っていなかった」
趙文昌の数珠が止まった。
「陛下——」
「朕は聞いている。鳳麗華の食糧戦略の報告を。暁風の密書を。そして——お前が南の商会と結んだ密約の書簡を」
承乾が玉座から身を乗り出した。
「趙文昌。お前は朕の耳であり口であった」
声に感情が滲んだ。怒りだけではない。悲しみが混じっている。四十年の信頼が崩れる音を、若い皇帝は正面から聞いていた。
「だがその耳が嘘しか拾わず、その口が毒しか吐かぬなら——朕はもう聞かぬ」
大殿が静まりかえった。
皇帝が立ち上がった。玉座から一歩降り、趙文昌と同じ高さに立った。
「趙文昌の罪状を読み上げる」
書記が巻物を開いた。
「一、南の海洋国家・西涼と個人的な密約を結び、甕津港の独占利権を私的に売却した罪。二、朝廷の古文書庫から機密文書を持ち出し、外国に流出させた罪。三、蘇家と結託して鳳家弾劾のための偽証を主導し、朝廷の司法を歪めた罪」
三つの罪状が読み上げられるごとに、百官の間にどよめきが走った。
「以上の罪により——」
皇帝が自ら言った。
「趙文昌を宰相の位より罷免し、全ての官位を剥奪する。蟄居を命じ、趙家の資産を凍結する」
宰相の印綬を預かる書記が進み出た。
趙文昌は動かなかった。
「印綬を」
書記が手を差し出した。
趙文昌がゆっくりと腰帯に手をやった。四十年間、一日も離さなかった宰相の印綬。翡翠の台座に金の文字が刻まれた重厚な印だ。
指先が印綬に触れ——離れ——また触れた。手放すことへの抵抗が、指先に表れていた。
「……老いぼれの戯言と笑うがいい」
趙文昌が呟いた。
「だが、この国を四十年回してきたのは誰だ。——誰だと思っている」
印綬を書記に渡した。
金と翡翠の重みが、趙文昌の手から離れた。
大殿を出ていく趙文昌の背中を、百官が黙って見送った。痩身の長身が、朱柱の間を通り、大殿の門に消えていく。四十年間この場所を支配した男の背中が、小さくなっていく。
暁風はその背中を見つめていた。
(終わった。——一つの時代が終わった)
趙文昌が去った後、大殿にざわめきが戻った。
皇帝が再び玉座に座り、声を上げた。
「朝廷の再編について——朕自ら主導する。各官僚は自らの職務を全うせよ。宰相不在の間、政務は朕が直接裁可する」
百官が一斉に頭を下げた。
暁風は片膝をつき、皇帝を見上げた。
「陛下。臣の証言は以上です。——処分をお待ちします」
「処分?」
「宰相を告発した将軍は、規律上——」
「暁風」
承乾が遮った。
「お前は正しいことをした。処分はない。——将軍の位はそのままだ」
暁風が目を見開いた。
「むしろ——褒美を出したいくらいだ。だが褒美は受け取らんだろう、お前は」
「……はい」
「知っている」
承乾が微笑んだ。疲れた笑みだったが——自分の判断で国を動かした者の顔だった。
朝議が終わった後、暁風は皇宮を出た。帝都の空はまだ曇っていたが、雲の切れ間から一筋の光が差していた。
懐に手を入れた。握り飯の包みはもう空だ。
(腹が減った)
帝都の食堂で粥を頼んだ。白粥に漬物。鳳凰領の白飯には遠く及ばない味だったが——暁風は黙々と食べた。
(弾劾が終わった。趙文昌は去った。俺は——麗華殿のもとに帰る)
麗華のもとに「帰る」。
その言葉が自然に浮かんだことに、暁風は自分で驚いた。
(鳳凰領に「帰る」。——いつから、あの場所が帰る場所になった)
粥を食べ終え、箸を置いた。
答えは出なかったが——粥の残り香が、鳳凰領の白飯を思い出させた。
食堂を出て、帝都の大通りを歩いた。
帝都は変わっていた。暁風が最後に見た帝都より、人の顔が険しい。食糧不足は緩和され始めているが、塩不足の影響がまだ残っているのだろう。市場の屋台は以前より少なく、売られている品も質素だった。
干し魚の屋台が目に入った。暁風は足を止めた。
(麗華殿は干し魚の煮つけが得意だった。鳳凰領の味噌と合わせて——あの味が、旨かった)
干し魚を三尾買った。鳳凰領への土産にする。麗華がどう料理するか——それを見るのが楽しみだった。
(楽しみ。——飯を食うことが、こんなに楽しみになったのは、いつからだ)
答えは明白だった。鳳凰領に赴任し、麗華の料理を食べるようになってからだ。軍の糧食しか知らなかった男が、「旨い」という言葉を覚えた場所。
干し魚の包みを懐に仕舞い、暁風は宿舎に向かった。
帝都での用事は終わった。弾劾は成立し、証言も果たした。将軍の位は保たれた。
(帰ろう。鳳凰領に)
足取りは——帝都に来た時より、軽かった。




