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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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弾劾

 弾劾の日が来た。


 帝都の朝議は、通常であれば太陽が白壁の宮殿を照らし始める頃に始まる。だがこの日は雲が低く垂れ込め、広間の灯火が昼のように焚かれていた。


 大殿。朱柱が左右に並び、石畳の広間に文武百官が居並ぶ。最奥の玉座に皇帝・瑛承乾えいしょうけんが座り、その下段に宰相・趙文昌ちょうぶんしょうがいつもの位置に座していた。


 趙文昌は数珠を弄んでいた。玉の連なりが指の間でゆっくりと回る。老いた宰相の顔は平静で、弾劾が行われることなど知りもしないかのように見えた。


(知らないはずがない。——春蘭の情報では、趙文昌は暁風の帰還を把握している。弾劾が来ることも察しているだろう。それでも動じないのは——四十年の政治経験がそうさせるのか、あるいは逃げ道を用意しているのか)


 麗華の姿は、この場にはない。鳳凰領にいる麗華が見ているのは、春蘭の情報網を通じた帝都の「影」だ。春蘭が帝都に送り込んだ密使が、弾劾の経緯を逐一報告する手筈になっている。


 朝議が始まった。


 通常の政務報告が淡々と進む。地方の治水、税の徴収、辺境の警備——日常の政務だ。趙文昌が時折口を挟み、的確な指示を出す。四十年にわたってこの国を回してきた老獪の手腕が、ここにある。


 だが——通常の報告が終わった後、皇帝が口を開いた。


「一件、臨時の上奏がある」


 百官がざわめいた。臨時の上奏は、予定外の重大案件にのみ使われる。


「陸暁風将軍を、前に」


 暁風が百官の列から進み出た。鉄紺の軍袍に黒革の腰帯。禁軍の紋章が肩当てに光る。まっすぐに玉座を見上げる目に、迷いはなかった。


「暁風。上奏せよ」


「はい」


 暁風は片膝をつき、懐から書簡の束を取り出した。


「臣・陸暁風、宰相・趙文昌の密通と売国行為を告発いたします」


 大殿が凍った。


 百官の間に衝撃が走り、ざわめきが津波のように広がった。趙文昌の数珠が止まった。


「なんだと」


 趙文昌の声は低く、平静を装っていた。だが——数珠が止まったことが、動揺を示していた。


 暁風は書簡を一通ずつ読み上げた。


「第一の書簡。趙文昌宰相から南の海洋国家・西涼の商会に宛てた密書。甕津港の独占使用権を、国家間の合意ではなく個人的な取引として売り渡す意思を伝えるもの」


 書簡を大殿の書記に渡した。書記が震える手でそれを受け取り、内容を読み上げた。


「第二の書簡。南の商会から趙文昌宰相への返書。港湾利権の見返りとして、年間銀三千両を趙文昌個人に支払う約束」


 百官の間からどよめきが上がった。三千両——宰相の俸禄の数倍に相当する額だ。


「第三の書簡。趙文昌宰相が南に提供した情報の一覧。その中に——朝廷の古文書庫から持ち出された霊脈操作に関する技術文書の記載がある」


 趙文昌の顔色が変わった。


 ここまでは弁解の余地があったかもしれない。だが霊脈の機密文書の流出は——弁解不能の売国行為だ。


「異議を申す!」


 趙文昌派の官僚が叫んだ。


「陸暁風は鳳家に取り込まれた反逆者だ! この書簡は偽造ではないか!」


 暁風が振り返った。


「書簡は外交会議の際に、趙文昌派の官僚の宿舎から俺が直接回収した。筆跡は趙文昌宰相のものであり、印章も本物だ。偽造と言うなら——筆跡鑑定を求める」


「反逆者の証言など——」


「反逆者?」


 暁風の声が低くなった。武人の威圧が大殿に響いた。


「俺は皇帝陛下に忠義を誓った将軍だ。だが——国を売った宰相を見逃すことが忠義だとは思わない。正しいことを正しいと言うのが反逆なら——俺は喜んで反逆者になる」


 大殿が静まった。


 趙文昌の側近たちが動揺している。宰相を守るべきだが、証拠の重みは否定できない。一人、また一人と——趙文昌から距離を取る官僚が出始めた。


 保身だ。沈む船から逃げ出す鼠のように、側近たちが離反していく。


 趙文昌は玉の数珠を握りしめていた。数珠が手の中で軋む音が、静寂の中で微かに聞こえた。


「……小僧が」


 趙文昌が呟いた。慇懃な口調が消え、素の声が出ていた。


「たかが若造の将軍が——この趙文昌を」


「趙文昌」


 皇帝の声だった。


 承乾が玉座から趙文昌を見下ろしていた。若い皇帝の目に、怒りと悲しみが同居していた。


「弁明はあるか」


 趙文昌は皇帝を見上げた。四十年仕えた主君の目。かつてこの目を「操りやすい若者」と見た——その認識の誤りが、今、趙文昌を打ちのめしていた。


「……弁明するまでもない」


 趙文昌は立ち上がった。痩身の長身が、大殿の灯火に照らされた。


「全ては国のためだった」


 百官が息を呑んだ。


「鳳家が食糧を独占する構造は、国の脆弱性そのものだ。一家に国の命脈を握らせてはならない。その是正のために——手段を選ばなかった。それだけのことだ」


「手段を選ばなかった結果が——国の機密を外国に売ることか」


 承乾の声は静かだが、鋭かった。


 趙文昌は何も答えなかった。


 皇帝の裁断は、明日に持ち越された。


 大殿の空気は、もう元には戻らなかった。


 弾劾の証拠が読み上げられた以上、趙文昌の権威は致命的に傷ついた。四十年かけて積み上げた「朝廷の支配者」の像が、書簡の一つひとつで崩れていく。


 朝議が終わり、百官が退出した後——暁風は大殿の隅に残っていた。


 体の中を、奇妙な感覚が流れていた。高揚ではない。安堵でもない。ただ——重い。


(正しいことをした。間違っていない。だが——一人の人間の四十年を終わらせようとしている。その重さは、戦場で剣を振るうのとは違う)


 暁風は手を見た。書簡を差し出した手。この手が——宰相の運命を決める一撃になった。


(麗華殿なら——もっと冷静に受け止めるのだろうか。あの人は、いつも冷静だ。だが内側では——きっと、同じものを感じている)


 皇宮を出る際、門前で李明倫と行き合った。若い官僚は暁風に深々と頭を下げた。


「陸将軍。——感謝いたします」


「礼を言われることじゃない。事実を述べただけだ」


「事実を述べることが、どれほど勇気のいることか——私は知っています。朝廷の中で、正しいことを言える人間は少ない」


 暁風は李明倫の目を見た。真っ直ぐな目だ。趙文昌の老獪さとは正反対の、若い誠実さがある。


「あんたは——いい官僚になる」


「将軍にそう言っていただけると——」


「俺の見る目は大したことない。だが——嘘のない人間を見分けることくらいはできる」


 李明倫が微笑んだ。暁風も——ほんの少しだけ、口元を緩めた。


 弾劾の流れは、もう止められなかった。


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