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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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密通の証拠

 暁風が帝都に向かって三日後。


 麗華は鳳凰領の執務室で、春蘭と共に押収書簡の全容を解析していた。


 冬の日差しが斜めに差し込む執務室は静かだ。卓の上には文書が幾重にも重なり、墨と紙の匂いが部屋を満たしている。茶が冷めているのに気づかないまま、麗華は文書に没頭していた。


 書簡は三通だけではなかった。暁風が回収した文書の中に、趙文昌ちょうぶんしょうと南の商会の間で交わされたさらに古い書簡の写しが含まれていたのだ。年月を経て黄ばんだ紙に、几帳面な筆跡で密約の文言が記されている。


「お嬢様。こちらを」


 春蘭が一枚の文書を差し出した。日付は半年以上前——まだ外交会議が始まる遥か前だ。文書の端に虫食いの穴があり、保管状態は良いとは言えないが、内容は判読できた。


 麗華はその文書を読み、目を見開いた。


「これは……」


 書簡の内容はこうだった。趙文昌が南の商会に対し、甕津おうしん港の利権だけでなく、「鳳凰領の霊脈に関する技術文書」を提供していた。しかもその文書は——趙家が代々保管していた朝廷の古文書庫の蔵書だった。


「霊脈操作に関する技術的記述。百年前の——」


 麗華の声が低くなった。


「百年前の霊脈震に関連する記録が、朝廷の古文書庫にあった。それを趙文昌が持ち出し、南に渡していた」


(国の機密を売っただけではない。百年前の霊脈震の手がかりを——外国に流していた。これは外患に等しい行為だ)


「お嬢様。霊脈操作の記述というのは——」


「まだ全文は解読できていないわ。でも——ここに書かれている符号と図形は、地養術の基礎理論に関連するもの。祖父から教わった術式と、似ている部分がある」


 麗華は文書を卓に広げ、指で符号を辿った。古い墨で描かれた図形は、霊脈の流路を示す地図とも、術式の手順を示す設計図とも読める。麗華の指が符号の一つで止まった。この記号は——地養術で霊気の流れを変える時に使う、あの感覚に似ている。


 地養術は鳳家の秘伝だ。口伝で受け継がれ、文書化されたものはない——はずだった。しかしこの文書には、地養術と共通する理論体系が記されている。百年前、鳳家以外にも霊脈操作の知識を持つ者がいたことを示唆していた。


(百年前の霊脈震は、鳳家の先代が霊脈操作に失敗したと、祖父はほのめかしていた。でもこの文書を見ると、鳳家だけの責任ではないかもしれない。朝廷にも、霊脈操作の知識があった。——鳳家と朝廷が共に関わっていた可能性がある)


「問題は——この文書が今、南の手にあるということです」


「ええ。南が霊脈操作の知識を得れば、鳳凰領を脅かす手段を持つことになる。——これは外交の裏取引どころの話ではない。国家の安全保障に関わる重大事よ」


 春蘭が頷いた。表情は落ち着いているが、帳面を持つ指にわずかに力が入っている。


「弾劾の材料としては、十分以上です。港湾利権の私的売却に加えて、国防に関わる機密の外国流出。——これを皇帝に提出すれば、趙文昌は逃れられない」


「ただし」


 麗華は文書を丁寧に折り畳んだ。指先が紙の折り目を正確になぞる。


「正式な手続きで弾劾する。私怨で人を裁いてはならない」


(趙文昌は鳳家を廃妃に追いやった黒幕だ。私には個人的な恨みがある。あの男のせいで私は後宮を追われ、朝廷に切り捨てられた。だからこそ——感情ではなく、手続きで処断しなければならない。感情で裁けば、私もまた趙文昌と同じになる)


「証拠の写しを作成してください。原本は厳重に保管。写しを暁風殿に送る——いえ、暁風殿はもう帝都についているはず。帝都の暁風殿に急使で送ります」


「承知しました」


 春蘭が文書を受け取り、写しの作成に取りかかった。筆を走らせる春蘭の手つきは正確で速い。一字の間違いも許されない文書だ。


 一人になった麗華は、冷めた茶を啜った。苦い。茶葉の渋みだけが残った冷たい液体が、喉を通っていく。淹れ直す気力もなく、そのまま飲んだ。


(苦い。——この事件と同じだ)


 趙文昌は四十年にわたって朝廷を動かしてきた老獪な政治家だ。その手腕は認める。国の秩序を維持してきた功績もある。だが——食糧問題を軽視し、鳳家を排除しようとし、最後には国の機密を売った。


(あの人にも、理由はあったのでしょう。「国のため」と信じていた。鳳家が食糧を独占する構造が危険だと——それ自体は間違った指摘ではない。一つの家が国の食の七割を握っている。その危うさを警戒するのは、宰相として当然の判断だ)


 だが方法が間違っていた。鳳家を排除する代替策もなく、食糧問題の実態を理解しないまま、政治的手段だけで全てを解決しようとした。地養術の仕組みも、霊脈の構造も理解せず、ただ「鳳家の力を削ぐ」ことだけを目的にした。その限界が、密通という禁忌に踏み込ませた。


(知性の傲慢。——自分の理解できないものを軽視する。地養術という「理解できない力」に対する屈折した嫉妬が、あの人を破滅に導いた)


 麗華は空になった杯を見つめた。白磁の杯の底に、茶渋の薄い輪が残っている。


(これで趙文昌は終わる。弾劾が成立すれば、宰相の椅子は空になり、朝廷の権力構造が変わる。それは——良いことのはず。でも)


 胸の奥にある重さは消えなかった。


(人一人の人生を終わらせる。四十年の政治家人生を。——それが正しいことだとしても、軽くはない)


 夕暮れの光が執務室に差し込んでいた。朱色の光が卓の上の文書を染め、文字の墨跡が赤く浮かび上がる。


 麗華は立ち上がり、厨房に向かった。今夜は自分で料理を作ろう。考え事をするときは、手を動かすのが一番いい。


 包丁を手に取り、大根を切り始めた。リズミカルな音が厨房に響く。一定のリズムで刻んでいくと、頭の中が整理されていく。とんとんとん、と規則正しい音が、乱れた思考を正しい軌道に戻してくれる。


(弾劾の準備は整った。あとは暁風殿が帝都で動いてくれる。私にできるのは——ここで待つこと。そして、領地を守ること)


 大根の千切りを椀に盛り、出汁をかけた。鶏の出汁に白胡麻を散らし、刻んだ葱を添える。湯気が立ちのぼる。


 温かい。それだけで——少しだけ、心が軽くなった。大根の甘みと出汁の旨味が、冷めた茶の苦さを洗い流す。


 翠微が厨房に顔を出した。髪に草の切れ端がつき、袖口が土で汚れている。


「お師匠様。——こんな時間まで」


「考え事をしていたの。翠微も起きていたの?」


「はい。畑の様子が気になって、見回りに……浄化した区域の回復が、思ったより早くて」


「良い知らせね」


「ええ。でも——お師匠様こそ、ちゃんと食べてますか」


「真面目ね。でも無理はしないで」


「お師匠様に言われると、説得力がないですけど」


 麗華は苦笑した。翠微は遠慮のない弟子だ。だがその遠慮のなさが、時折、麗華の心を軽くする。肩の力が抜ける。


「翠微。——もし私が長期間この領地を離れることがあったら、あなたに全てを任せることになるわ。外交のときは短期間だったけれど、いずれ——もっと長く」


「……お師匠様」


「今すぐではないわ。でも——覚えておいて。あなたには、その力がある」


 翠微の目が潤んだ。師の信頼の重みを、若い弟子はまだ完全には受け止めきれない。だが——受け止めようとする意志が、その瞳にあった。明るい茶色の目の中に、緑色の光がかすかに揺れる。


「大根の汁、お代わりいりますか」


「……はい」


 麗華は大根の千切り汁をもう一杯作った。二人で厨房の片隅に座り、温かい汁を啜った。冬の夜の厨房は、かまどの残り火の温もりと、出汁の香りに包まれている。


 師弟の静かな夜食。大きな事件の合間にある、小さな温かさ。


(弾劾の嵐が来る。でも——今夜はこの温かさで十分)


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