影の取引
祝宴の翌日。春蘭が険しい顔で執務室に入ってきた。
「お嬢様。——悪い知らせです」
麗華は帳面から顔を上げた。春蘭が「悪い知らせ」と前置きするのは珍しい。通常は事実を淡々と報告する女だ。わざわざ前置きをするということは、それだけ深刻な内容だということだ。
「聞きましょう」
「外交会議の最中——趙文昌と南の代表・陳海門殿が、裏で接触していたことは報告しました。その密会の内容が——一部判明しました」
春蘭が帳面を開いた。
「趙文昌は南の西涼と、個人的な密約を結んでいました。内容は——甕津港の独占使用権を、南に私的に売り渡す、というものです」
麗華の手が止まった。
「独占使用権を——個人的に?」
「はい。国家間の交渉ではなく、趙文昌個人と南の商会の間での密約です。見返りとして、趙文昌は南の商会を通じて私財を蓄えていた。——国の利権を、私腹を肥やすために売っていたのです」
(国を売った宰相。国の港を個人の取引材料にした。——これは売国だ)
麗華の右手が、左手首の内側を撫でた。怒りの兆候だ。
「証拠は?」
「暁風殿の情報網で確認しました。趙文昌と南の商会の間で交わされた書簡が、押収されています。外交会議の際に瀝陽に滞在していた趙文昌派の官僚の宿舎から、暁風殿の手勢が回収したものです」
「暁風殿が」
「はい。外交会議中、趙文昌の手の者を回廊で追い払った夜——暁風殿は追い払うだけでなく、宿舎まで尾行し、書簡の在処を突き止めていたそうです」
(暁風殿。——黙っていたのね)
麗華は立ち上がり、窓辺に歩いた。
「書簡の内容を」
「はい。三通あります。一通目は趙文昌から南の商会への密書。甕津港の独占利権を引き渡す意思を伝えるもの。二通目は南の商会からの返書。見返りとして年間銀三千両を趙文昌個人に支払う約束。三通目は——」
春蘭が声を低くした。
「三通目が問題です。趙文昌が南に提供した情報の一覧が記されていました。その中に——霊脈の位置と性質に関する技術的な記述があります」
麗華の背筋に冷たいものが走った。
「霊脈の情報を——南に売った?」
「はい。蘇家が入手した霊脈図の一部を、趙文昌が写して南に渡していた。書簡にはその写しの存在が言及されています」
(蘇家の霊脈図——以前から追っていた鳳凰領の霊脈の詳細地図。それが趙文昌を経由して、南の手に渡っていた)
麗華は深く息を吐いた。
霊脈の位置と性質は、鳳家の最高機密に属する。それが外部に流出したということは、鳳凰領の安全が根本から脅かされることを意味する。霊脈の位置がわかれば、それを狙って攻撃することもできる。
「暁風殿を呼んでください」
数分後、暁風が執務室に現れた。
「書簡の件——春蘭から聞いたか」
「聞きました。暁風殿が回収してくれたそうですね」
「ああ。あの夜——趙文昌の手下を追い払った後、尾行した。宿舎で書簡を見つけた。中身は読めなかったが——麗華殿に渡すべきだと判断して持ち出した」
「なぜ、すぐに報告しなかったのですか」
暁風が目を伏せた。
「外交会議の最中だった。あんたは三方面の交渉で手一杯だった。——書簡の分析は後でいいと思った」
「……そうですか」
(暁風殿は、私の負担を増やすまいと黙っていた。不器用な気遣いね。——でも、感謝しています)
「暁風殿。書簡の内容から——趙文昌の罪は明白です。国の港を私的に売り渡し、霊脈の機密を外国に流した。弾劾に足る証拠です」
暁風が頷いた。
「だが——証拠だけでは動けない。弾劾には手続きがいる。朝廷の正式な場で告発し、皇帝の裁断を仰ぐ必要がある」
「ええ。問題は——証人です。書簡だけでは『偽造だ』と言い逃れされる可能性がある。趙文昌の行為を直接証言できる人間が必要です」
暁風が黙った。
春蘭が麗華と暁風を交互に見た。
「暁風殿。——あなたが証人に立てば、書簡の回収経緯を証言できます」
暁風の顔が引き締まった。
「俺が証人に立つということは——皇帝の将軍が、宰相を告発するということだ」
「ええ」
「将軍の位を賭けることになる」
沈黙が落ちた。
麗華は暁風の顔を見た。暁風は前を向いている。真っ直ぐな目だ。嘘をつけない目。感情を隠せない目。
(この人を——巻き込んでいいのか)
「暁風殿。無理にとは言いません。証人は別の方法で——」
「俺が立つ」
暁風の声は短く、揺るがなかった。
「書簡を回収したのは俺だ。俺が証言するのが筋だ。——将軍の位を賭けるか? 賭けてやる。間違ったことを見逃すために将軍になったんじゃない」
麗華は暁風を見つめた。
(この人は——いつもそうだ。不器用で、言葉は少なくて、でも大事な場面で迷わない)
「……ありがとうございます」
「礼はいい。——で、いつ動く」
「証拠の分析を終えてから、皇帝に直接上奏します。趙文昌の耳に入る前に」
春蘭が帳面を閉じた。
「深夜の作業になりそうですね。——汁粉を作ってきます。温かいものがないと、頭が冴えませんから」
「ありがとう、春蘭」
春蘭が出ていった後、暁風と麗華は証拠の精査に入った。書簡を広げ、一文一文を読み込む。趙文昌の筆跡、南の商会の印、日付と場所の整合性。
夜が更ける中、春蘭が汁粉を持ってきた。小豆の甘い香りが、書簡と帳面が散乱する執務室に広がった。
三人は汁粉を啜りながら、宰相を弾劾するための証拠を積み上げていった。
(宰相が裏で何をしていたのか。——これで全てが繋がる。蘇家の霊脈への関心も、趙文昌の外国との密通も、全て一つの糸で繋がっている)
夜明け前。証拠の整理が終わった。
麗華は筆を置き、窓の外を見た。東の空がうっすらと白み始めている。
「弾劾の準備が整いました。——あとは、皇帝に届けるだけ」
暁風が頷いた。
「俺が帝都に行く。書簡と証言を、皇帝に直接渡す」
「——お願いします」
麗華の声が、微かに震えた。
(暁風殿を危険にさらす。将軍の地位を賭けさせる。——でも、これが正しい道なのだと信じるしかない)
宰相の末路が、動き始めていた。




