宴席の毒
五日目の外交宴席は、麗華の設計だった。
迎賓館の中庭に面した大広間。障子を開け放ち、冬の澄んだ空気を取り込んだ。中央に大きな丸卓を据え、その上に四つの国の料理を並べた。
北の羊乳煮。南の蒸し魚。瑛朝の白粥。鳳凰領の煮物。
だがそれだけではなかった。
麗華は各国の食材を組み合わせた「融合料理」を三品、自ら考案していた。
一品目——羊肉と冬大根の甘辛煮。北の羊肉を南の香辛料で味付けし、鳳凰領の冬大根を添えたもの。北と南の食文化が一つの皿に乗っている。
二品目——海鮮粥。南の干し海老と塩蔵魚を、瑛朝の米で炊いた粥。米の甘みと海の旨味が溶け合い、濃厚な滋味がある。
三品目——蓮実と乳酒の甘味。鳳凰領の蓮の実を、北の乳酒で煮た菓子。甘味の中にほのかな酸味が混じる、どの国にも存在しない味だ。
「これは——何だ」
哈赤が羊肉と大根の甘辛煮を口に入れて、目を見開いた。
「馴染みのある羊の味なのに——違う。何かが加わっている」
「南の香辛料を使っています。北の素材に、南の味付けを」
「面白い。——旨い」
南の陳海門が海鮮粥を啜り、目を閉じた。
「これは……南の海の味と、北の穀物の味が混じっている。不思議な一品ですな」
「食材に国境はありません。良い素材を合わせれば、良い料理になる。——外交も同じだと思いませんか」
麗華の言葉に、各国の代表が顔を見合わせた。
料理に込められた寓意は明白だ。異なる国の食材が一つの皿で調和している。外交もまた——異なる利害を一つの枠組みで調和させること。
北の使者が故郷の味に近い料理を食べて目を潤ませたのは、計算ではない。麗華は哈赤が先日語った飢えた子供たちのことを覚えていた。草原で草を煮て食べている子供たち。その子供たちが食べたことのない味を、麗華は一皿に再現した。
哈赤が匙を置いて、長い息を吐いた。
「鳳麗華殿。あんたは——食で人の心を掴む」
「心を掴むつもりはありません。ただ——お腹がいっぱいになれば、人は少しだけ優しくなれる。それだけのことです」
(本音を言えば、心も掴むつもりよ。宴席の料理は外交の道具でもある。でも——哈赤殿の涙は、計算の外にあった)
宴が進む中、麗華は視界の隅で動きを捉えた。
趙文昌の手の者——朝廷の使節団には入っていないが、宴席の裏に紛れ込んでいた男が、南の陳海門に近づこうとしている。
麗華は暁風の袖にそっと触れた。
「東の回廊。——お願い」
暁風は一言も返さず、自然な動作で席を立った。水でも汲みに行くかのような足取りで、東の回廊に消える。
数分後、暁風が戻ってきた。
「追い払った。宴席に招かれていない者が入り込んでいた——と、門衛に伝えた」
「ありがとうございます」
「趙文昌の息がかかった男だ。顔は覚えた」
暁風の目が鋭い。外交の言葉は使えなくとも、敵を見抜く目は武人のものだ。
宴席は夜更けまで続いた。
乳酒と果実酒と米酒が混ざり合い、各国の代表が互いの杯に酒を注ぐ。哈赤が声高に歌い、陳海門が扇子で拍子を取り、李明倫すら頬を赤くして笑っていた。
食卓を共にする。それだけのことが——硬直した外交を、少しずつ解きほぐしていた。
麗華は杯を傾けながら、内心で翌日の全体会議のシナリオを反芻していた。
(明日が本番。この宴の温かさが残っているうちに——合意を取りつける)
だが同時に、胸の奥に重いものが沈んでいた。
趙文昌の動き。南との密会。正面の外交がうまくいけばいくほど、裏で何かが動いている気配が強まる。
(宰相は簡単には引かない。正面で負けるなら、裏で何かを仕掛けてくる。——その「何か」が見えない)
暁風が麗華の隣に戻ってきた。武人は宴席の端に静かに座り、杯を手にしている。酒には口をつけず、中身を見つめているだけだ。
「暁風殿。召し上がらないのですか」
「見張りだ。酒を飲んで目が鈍っては、護衛にならん」
「真面目ですね」
「当然だ」
暁風の声は平坦だったが——求婚騒ぎの後の硬さは、少しだけ和らいでいた。
麗華は微笑んで、自分の杯の残りを暁風の杯に移した。
「では、ほんの一口だけ。鳳凰領の米酒です。お味見程度に」
暁風は杯を見下ろした。移された酒が、灯火を受けて琥珀色に光っている。
「……もらう」
暁風がほんの一口だけ飲んだ。そしていつものように——黙った。
だが麗華には見えた。暁風の耳の先が、わずかに赤くなっていたことが。
(酒のせいかしら。——一口だけで赤くなるとは思えないけれど)
宴の喧騒の中で、二人だけの小さな沈黙があった。
だが——沈黙は長くは続かなかった。
哈赤が大声で「もう一杯!」と叫び、乳酒の甕を傾けた。北の使者たちが歌い始め、手拍子が響く。南の陳海門は酒が回ったのか、珍しく扇子を振りながら拍子を取っていた。
李明倫が席に戻り、麗華に声をかけた。
「鳳麗華殿。この融合料理——朝廷の厨房にも作り方を教えていただけませんか」
「もちろんですとも。食の技術に国境はありませんから」
(李殿は素直な人ね。趙文昌にはない、しなやかさがある。この人が朝廷を支える側に回れば——)
麗華は李明倫に微笑みかけながら、内心で朝廷の将来図を描いていた。趙文昌がいなくなった後の朝廷に、どんな人材が必要か。食糧の実態を理解し、現場を知り、しかし政治的な判断力もある人物。
(李殿は——候補の一人かもしれない。まだ若いけれど)
宴が終わりに近づく頃、麗華は厨房に足を運んだ。料理人たちが片付けに追われている中、残った食材を確認する。
余った羊肉がある。北の使者が持ち込んだものだ。
「これは明日の朝食に回しましょう。塩漬けにしておけば保つわ」
料理人が頷く。食材を無駄にしない——それは麗華にとって、呼吸のように自然な行動だった。
(明日が——最後の全体会議。全てが決まる日)
厨房を出ると、回廊の奥に暁風の背中が見えた。壁にもたれて腕を組み、月を見上げている。一口だけ飲んだ米酒の名残か——頬がほんの少し赤い。
声をかけようとして、やめた。
月を見上げる暁風の横顔は——戦場の将軍ではなく、ただの一人の男に見えた。
(明日。——全てが動く)
麗華は静かに自室に戻った。




