南に食糧を流す
四日目の全体会議で、麗華は賭けに出た。
迎賓館の大広間。四つの勢力の代表が長卓を囲み、それぞれの思惑を抱えて着席している。
麗華は卓の上に、鳳凰領の銘菓——蓮実の練り菓子を並べさせた。白磁の小皿に一つずつ盛られた菓子は、蓮の花を模した形で、中に餡が入っている。蓮の実を練り込んだ皮が上品な甘味を放ち、口に入れると滑らかに溶ける。
「会議の前に、甘味でもいかがですか。鳳凰領の名物でございます」
北の哈赤が早速手を伸ばし、一口で頬張った。目を丸くして「甘い!」と声を上げる。南の陳海門も一つ手に取り、ゆっくりと味わった。朝廷の李明倫だけが手をつけずにいたが、隣の官僚が先に食べたのを見て、おずおずと手を伸ばした。
(甘いものは人の警戒を解く。これも食の外交よ)
菓子で場が和んだところで、麗華が口を開いた。
「皆様。本題に入ります」
場の空気が引き締まった。
「北の北燕殿とは食糧供給と不可侵の大枠で合意しております。南の西涼殿とは甕津港の共同管理を軸とした提案を検討中です。朝廷には鳳家の自治権と名誉回復を条件としてお伝えしています」
麗華は一つ一つ丁寧に状況を整理した。全員が同じ情報を共有する。透明性が信頼を生む——外交の基本だ。
「しかし——まだ合意には至っておりません。なぜなら」
麗華の声が静かに沈んだ。
「南の海上封鎖が続いているからです」
陳海門が扇子を弄んだ。
「封鎖の件は——」
「陳殿。率直に申し上げます」
麗華の目が冷たく光った。柔らかい微笑みはそのままだが、声に刃が混じった。
「海上封鎖が続く限り、鳳凰領は塩と薬草の供給が制限されます。食糧生産に支障が出る。つまり——南が封鎖を続ければ、私がお渡しできる食糧そのものが減る」
陳海門の扇子が止まった。
「食糧が減れば、南にも北にもお渡しする分がなくなります。そして——もし南が封鎖を続けるのであれば」
麗華は静かに言った。
「鳳家は食糧の全量を北に振り向けることを検討します」
場が凍った。
陳海門の顔色が変わった。南に食糧が流れなければ、穀物の枯渇は加速する。北に全量が流れれば、南は永久に穀物を得る手段を失う。
北の哈赤は目を丸くした。全量が北に来るというのは嬉しいはずだが、話が急すぎて反応が追いついていない。
朝廷の李明倫も蒼白だ。鳳家が北と直接取引を結べば、朝廷は完全に蚊帳の外になる。
「お待ちください」
李明倫が声を上げた。
「鳳家が独断で食糧の行き先を決めるのは——」
「失礼ですが、李殿。朝廷が鳳家を廃妃にしたのは朝廷の独断でしたわ。食糧の行き先を決めるのが鳳家の独断だと仰るなら——まず廃妃の独断を撤回なさるのが筋では?」
李明倫が口を噤んだ。
陳海門が低い声で言った。
「鳳麗華殿。それは——脅しですかな」
「脅しではありません。選択肢の提示です」
麗華は蓮実の練り菓子を一つ手に取り、指先で弄んだ。
「この菓子を独占するか、分け合うか。それは皆様のご判断次第です。私はただ——菓子を作って、お皿に乗せただけ」
沈黙が落ちた。
菓子の甘い香りが、緊迫した空気の中で場違いなほど穏やかに漂っていた。
最初に動いたのは陳海門だった。
「……封鎖の段階的解除について、検討の余地はある」
次に哈赤。
「北としては——全量でなくとも、合意した量が確実に届くならそれでいい」
そして李明倫。
「朝廷としても——鳳家との条件交渉を前向きに進めます」
三者が同時に譲歩に傾いた。
麗華は微笑んだ。
(食糧を持つ者が、盤の中央に座る。——ようやく、全員がそれを理解した)
「では、具体的な条件の詰めに入りましょう。北への食糧供給量、南の封鎖解除の日程、朝廷の条件受諾の範囲——順番に」
会議は一気に動き始めた。
暁風は麗華の隣で、終始黙って座っていた。武人に外交の言葉は不要だ。だが暁風の存在——皇帝直属の将軍が鳳家の隣に座っているという事実——それ自体が、朝廷への無言の圧力になっていた。
会議が休憩に入ったとき、暁風が小声で言った。
「凄まじいな。三者を同時に動かした」
「まだ動いただけです。合意はこれから」
「だが——あんたが場を支配していた。間違いなく」
麗華は菓子を一つ口に入れた。蓮の実の甘さが舌に広がる。
「甘いものを食べると、頭が冴えるのですよ」
「……あんたが菓子を食うと、誰かが窮地に立たされる気がする」
麗華は小さく笑った。
(さて——ここからが本番。全ての駒が動き始めた。あとは、着地点を間違えないこと)
午後の会議は細目の詰めに入った。
食糧供給量の数字をどうするか。北は年間三千石を求め、南は千五百石を要求している。鳳凰領の年間生産量は約一万石。その中から朝廷への官糧と領民の食い扶持を差し引けば、外に回せるのは——。
「四千石が限界です」
麗華が数字を出した。各国の代表が息を呑む。
「北に三千。南に千。合計四千。これが鳳凰領が外に出せる上限です。それ以上は——領民が飢えます」
哈赤が口を開きかけたが、麗華が続けた。
「ただし、翌年以降は増産の見込みがあります。地養術の継承者を育てていますので、畑の拡張が可能になる。二年後には五千石、三年後には六千石——段階的に供給を増やします」
「約束できるのか」
「私が約束します。鳳家の当主として」
数字の交渉は夕刻まで続いた。北は三千石に満足し、南は千石をしぶしぶ受け入れた。朝廷の分配は条件の履行次第——この構造は崩さない。
日が暮れた頃、会議は翌日の最終合意に向けた休会に入った。
回廊を歩きながら、麗華はふと足を止めた。庭の池に月が映っている。冬の月は冷たいが、水面に映ると柔らかく揺れていた。
「数字を出した」
暁風が隣に立っていた。
「あの数字は——本当に大丈夫なのか。四千石を外に出して、鳳凰領の領民は食えるのか」
「食えます。きつくなりますが。——翠微の成長が鍵です。あの子が独力で地養を担えるようになれば、増産は可能」
「あの子に、それだけの負担を」
「私一人で全てを抱え込んでいた頃よりは、ましです」
暁風は腕を組んで、池の月を見つめていた。
「あんたは——全部計算しているように見えて、時々——」
「時々?」
「無茶をする」
麗華は微笑んだ。
「無茶ではありません。計算した上での、ぎりぎりの選択です」
「ぎりぎりは——無茶と同じだ」
暁風の声には、怒りではなく心配が滲んでいた。麗華はそれに気づいて、少し黙った。
「……ありがとう、暁風殿。心配してくれて」
暁風が目を逸らした。
「心配じゃない。——ただの事実確認だ」
(嘘ね。でも——ありがたいわ)
食糧を巡る攻防は、夜まで終わらなかった。しかし明日には——決着がつく。




