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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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将軍の選択

 暁風は自室で考えていた。


 寝台に腰掛け、腕を組み、天井を見つめる。木目の走った天井板を数えるともなく数えながら、思考だけが止まらない。


 蘇家の工作員を武力排除する。麗華がそう決断した。暁風もそれに同意した。


 だが——実行するのは暁風だ。


 剣を抜き、蘇家の人間を斬る。それは「皇帝の将軍」としての任務ではない。皇帝は蘇家の工作員を排除しろと命じていない。暁風の任務はあくまで「鳳凰領の監視」だ。


(俺が蘇家の工作員を斬れば——それは皇帝の命に背くことになる)


 いや、正確には背くのではない。命令の範囲を逸脱するのだ。監視役が武力行使に転じる。それは——もう監視役ではない。監視役の枠を踏み越えた瞬間、暁風は「皇帝の意志で動く将軍」ではなくなる。


 暁風は手のひらを見つめた。剣を握る手。皇帝に忠義を誓った手。掌の肉刺まめは十五で禁軍に入って以来、一度も消えたことがない。この手でどれだけの剣を振り、どれだけの命を守ってきたか。


(忠義とは何だ)


 帝都にいた頃は簡単だった。皇帝の命に従う。それが忠義だ。主君に仕え、命を懸ける。武人の矜持そのもの。問いを立てる必要すらなかった。命令があり、遂行がある。その間に迷いが入り込む余地はなかった。


 だが鳳凰領に来て——暁風が見たものは、皇帝の命令と現実の乖離だった。


 朝廷は蘇家の暗躍を止めない。趙文昌は蘇家と結託している。皇帝は——蘇家の危険性を知りながら、決定的な手を打たない。政治というものの遅さが、大地を蝕む毒の速さに追いつかない。


 その間に、鳳凰領の畑が枯れていく。農民が泣いている。食が死んでいく。


(皇帝への忠義と、目の前の正義が——一致しない)


 暁風は立ち上がり、窓を開けた。冬の風が頬を刺す。乾いた冷気が鼻腔を突き、目が覚めるような痛みが走った。


 遠くに農地が見える。灰色に枯れた区画と、辛うじて青さを保っている区画。翠微が走り回り、麗華が大地に手を当てている。あの二人はもう何日も休みなく動き続けている。麗華の顔色が日ごとに蒼白になっていくのを、暁風は見ている。


 あの二人は戦っている。食を守るために。自分の体を削って、大地と毒に向き合っている。


 暁風は——何のために戦う?


(俺は皇帝陛下に忠義を誓った身だ)


 それは変わらない。だが——。


(あの方のやり方が正しいと、今の俺には言えん)


 暁風は窓を閉め、甲冑掛けの前に立った。鉄紺の軍袍。暗銀色の鱗甲。肩当てに刻まれた禁軍の紋章——雲雷紋。


 皇帝の将軍の証だ。鉄の重みが、そのまま忠義の重みだった。


 この甲冑を着て蘇家の工作員を斬れば——暁風は「皇帝の将軍として」ではなく「自分の意志で」戦うことになる。甲冑は同じでも、その中身の意味が変わる。


 懐から乾パンを取り出した。帝都にいた頃の携行糧食だ。硬くて味気ない。軍の糧食は栄養を摂るためだけの食物で、旨味も温かさもない。歯に力を入れて齧ると、小麦の粉が口の中でぼそぼそと解ける。


 一口齧った。歯が痛くなるほど硬い。


(帝都にいた頃の俺は——こんなものを食って、何の疑問も持たなかった)


 鳳凰領に来て、麗華の料理を食べた。温かい粥。肉饅頭。握り飯。湯麺。どれも特別な材料ではない。だが麗華の手を通すと、ただの食材が命になる。温かさになる。


 食は——ただの栄養ではなかった。温かさだった。人の手だった。「食べて」と差し出す手の、その温もりだった。


 その食を殺そうとしている蘇家を——放っておくのか。皇帝の命令がないからと。命令の枠の中に縮こまって、目の前で畑が死ぬのを眺めているのか。


 暁風は乾パンを飲み込み、拳を握った。


(違う。これは命令の問題じゃない。正しいか正しくないかの問題だ)


 窓の外で、日が傾き始めていた。農地に長い影が落ち、灰色の枯れ畑が夕日に照らされて赤みを帯びている。


 暁風は部屋を出て、庭に向かった。


 麗華がいた。


 浄化作業を終えたところらしく、執務室に戻る途中だった。疲れた顔だが、目は澄んでいる。袖口に土がつき、髪が乱れていたが、背筋だけは真っ直ぐだった。


「暁風殿」


「麗華殿」


 二人は庭の一角で立ち止まった。冬枯れの木の下。枝の間から冷たい月が覗いている。白い月光が二人の肩に落ち、吐く息が白く凍った。


 暁風は口を開いた。


「あんたに訊きたい」


「何でしょう」


「俺は——誰のために戦うべきだ」


 麗華は暁風を見つめた。月明かりの下、暁風の墨色の瞳に——迷いが浮かんでいる。この男がこれほど迷う姿を、麗華は初めて見た。いつも真っ直ぐな目が——今は揺れている。


「暁風殿。それは——私が答えることではありません」


「分かっている。だが——聞きたい」


 長い沈黙があった。冬の風が枯れ枝を揺らし、かさかさと乾いた音が庭に響いた。


 麗華は言葉を選んだ。この男の忠義を——軽々しく否定してはいけない。暁風の忠義は、暁風の人格の根幹だ。それを壊す権利は、麗華にはない。


「あなた自身が——正しいと思うことのために」


 暁風の目が、微かに揺れた。


「正しいと思うこと」


「ええ。皇帝陛下への忠義を否定する必要はありません。ですが——忠義の形は一つではないはずです」


 暁風は黙って聞いていた。腕を組み、背筋を伸ばしたまま。だがその姿勢の中に、答えを求める真摯さが滲んでいた。


「目の前で食が殺されている。民が泣いている。それを止めることが——あなたの忠義に反するのなら」


 麗華は一度言葉を切った。


「その忠義は、あなた自身の意志ですか。それとも——誰かに定められた枠ですか」


 暁風の呼吸が止まった。


 枠。そうだ。皇帝の将軍としての任務は——枠だった。枠の中にいる限り、暁風は迷わない。だが枠の外に出る時——暁風は自分の意志で歩かなければならない。


「あんたは——強いな」


「強くありません。私は——自分が何のために戦うか、最初から知っていただけです」


「食のためにか」


「ええ。食と、この大地と、ここに生きる人たちのために。それは最初から変わりません」


 暁風は月を見上げた。冬の月は白く、鋭い。刃のような光が暁風の顔を照らし、その目の中の迷いと、迷いの向こうに芽生え始めた決意を、同時に映し出していた。


「俺は——」


 言葉が途切れた。まだ答えにならない。だが——答えの輪郭が、暁風の中で形を成し始めている。


 暁風は振り返り、部屋に戻った。


 月を背にした暁風の背中を、麗華は見送った。


(あの人は——自分で答えを出すでしょう。私が引き出す必要はない。あの不器用な誠実さが、いずれ正しい場所にたどり着く)


 暁風の居室で、明かりが灯った。窓から漏れる灯火が、庭の石畳にぼんやりとした四角を描いている。


 暁風は甲冑の前に立ち、目を閉じた。


(皇帝の命でも。将軍の任務でもない。——俺の意志で、戦う)


 目を開けた時、暁風の瞳から迷いが消えていた。


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