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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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狙われた理由

 霊脈図を執務室の卓に広げ、麗華は分析を続けた。


 暁風が隣に立ち、地図を睨んでいる。朝の光が窓から斜めに差し込み、朱い霊脈の線を鮮やかに照らしていた。


「七ヶ所の毒入れポイントは——全て、霊脈の分岐点に配置されている」


「分岐点?」


「霊脈は大地の血管のように枝分かれしています。幹から枝へ、枝から細枝へ。分岐点に毒を入れれば——川の上流に毒を流すのと同じです。一ヶ所の汚染が枝脈を通じて広範囲に拡散する」


 麗華が地図の分岐点を指で辿った。指先に翡翠色の光が微かに灯る。霊脈図の朱い線と、麗華が日頃感じている霊脈の流れを照合しているのだ。


「最小の労力で最大の被害を出す配置。これは——素人の仕事ではありません。霊脈の力学を熟知した者の設計です」


「蘇家に地養術の使い手がいるのか?」


「いいえ。地養術は鳳家の秘伝です。ですが——霊脈の分布と構造を調べること自体は、地養術がなくても可能です。膨大な時間と人手をかければ」


 暁風が腕を組んだ。額に皺が刻まれている。


「数十年の調査。組織的な情報収集。蘇家は鳳凰領の下に何が走っているか、全て把握していた」


「それだけではありません」


 麗華が地図の隅を指した。鳳凰領の外にも、薄い朱い線が描かれている。線は細く、所々途切れているが——鳳凰領の外の霊脈を追った形跡だ。


「この地図は鳳凰領の霊脈だけでなく——周辺地域の霊脈も記しています。蘇家は鳳凰領だけでなく、国中の霊脈情報を集めている可能性がある」


 暁風の目が鋭くなった。


「国家規模の情報収集——宰相の趙文昌が絡んでいるな」


「おそらく。趙文昌の権力と蘇家の資金があれば、数十年にわたる調査も不可能ではありません。宰相府の命令なら、各地に密偵を送り込むことも容易です」


 麗華は椅子に座り、目を閉じた。暁風の体温が隣から伝わっている。考えを整理する。地図の朱い線が、瞼の裏に残像のように浮かんでいる。


(蘇家の目的は、鳳凰領の食糧生産能力の破壊ではなく——霊脈の奪取。食糧支配権の奪取。鳳家に代わって、瑛朝の食を握ること)


「蘇家は——鳳家に取って代わりたいのです。食糧を支配する名家として。鳳家が百年かけて築いた地位を、蘇家が奪おうとしている」


「だが蘇家には地養術がない」


「ええ。だからこそ霊脈図が必要なのです。地養術がなくても霊脈を利用する方法を——蘇家は探している。あるいは、既に見つけているのかもしれない」


 その言葉は、麗華自身にとっても不安の種だった。地養術なしに霊脈を操る方法が存在するなら——鳳家の優位は崩れる。百年間守ってきた「秘伝」の価値が、根底から揺らぐ。


 麗華は立ち上がり、老太爺の居室へ向かった。


 老太爺は書斎で茶を啜っていた。齢八十を超えた老人だが、背筋は真っ直ぐで、目には知性の光が宿っている。白い髭が胸まで伸び、痩せた手が茶杯を包んでいる。書斎には古い書物の匂いが漂い、壁一面の書架に秘伝書が並んでいた。


「祖父様」


「おお、麗華。どうした」


 声は穏やかだったが、麗華の表情を見て僅かに目を細めた。孫の顔色の変化を、この老人は見逃さない。


 麗華は霊脈図を広げて見せた。


 老太爺の顔が——一瞬で変わった。


 茶杯を持つ手が止まり、目が見開かれた。唇が微かに震えている。皺の深い顔に、驚愕と——別の、もっと深い感情が走った。恐怖ではない。もっと古い——何十年も胸の奥に押し込めていたものが、表に出かけたような。


「これは——どこで手に入れた」


「蘇家の工作員が持っていました」


 老太爺は地図を凝視した。長い沈黙があった。書斎の中で、時計の音だけが規則正しく刻まれている。茶杯の中で、茶の水面が僅かに震えていた。老太爺の手が、微かに揺れているのだ。


「蘇家め」


 呟きは低く、暗かった。怒りではない。もっと深い——苦い感情が滲んでいた。後悔のような、懺悔のような。


「昔もそうだった」


「祖父様?」


「蘇家は……昔も、霊脈を狙った。鳳家から霊脈の力を奪おうとした」


 麗華は老太爺の顔を見つめた。老人の目が遠くを見ている。ここではない、どこか——何十年も前の光景を。


「昔——とは」


 老太爺は口をつぐんだ。茶杯を卓に置く音が、静かな書斎に小さく響いた。窓の外を見た。冬の庭に枯れ木が立っている。葉を落とした枝が、灰色の空に骨のように伸びていた。


「いずれ話す。今はまだ——」


「祖父様。蘇家と霊脈の間に、何があるのですか。この地図の精度は異常です。数十年の調査だけでは説明がつかない。もっと古い——もっと根深い何かが——」


「麗華」


 老太爺の声が鋭くなった。普段の穏やかさが消え、刃のような声だった。


「今はまだ、話す時ではない。いずれ——必ず話す。だが今の儂には、整理する時間が要る」


 麗華は口をつぐんだ。祖父が「いずれ話す」と言った時、それは必ず話すという意味だ。鳳老太爺は嘘をつかない。


「……分かりました。ですが祖父様」


「何だ」


「蘇家との戦いは——今、ここで起きています。情報が必要な時が来たら、必ず教えてください」


 老太爺は長い溜息をついた。胸の奥から絞り出すような、重い息だった。


「ああ。約束する」


 麗華が去った後、老太爺は一人で霊脈図を見つめていた。


 指が地図の上を這う。鳳凰領の中心を走る最太の霊脈——「龍脈」と呼ばれる主幹を辿る。指先が震えているのは、老いのせいだけではなかった。


「あの地図に描かれた霊脈の上で育つ穀物は——特別な味がしたものだ」


 誰にも聞こえない呟きだった。


「百年前の——あの日。儂が若かった頃。蘇家の先代と、鳳家の先代が——」


 老太爺は首を振り、茶を一口啜った。


 冷えた茶の苦味が、古い記憶の苦さと重なった。


 百年前に何があったのか。蘇家と鳳家の間に——どんな因縁があるのか。


 それを語る時が、近づいている。老太爺にはそれが分かっていた。だが語れば——鳳家が百年間守ってきた「正義」の形が、変わる。


 老太爺は空になった茶杯を見つめた。杯の底に、茶葉の欠片が沈んでいる。苦い残滓。百年前から、ずっと——苦いままだった。


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