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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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毒牙

 それは夜明け前に起きた。


 暁風の巡回隊が北東の森で動きを察知した。三人の影が森を抜け、鳳凰泉に向かっている。


 暁風は鳳凰泉の岩場に身を潜めていた。麗華の指示通り——監視を薄くしたこの二日間で、工作員が動き出した。岩場の隙間から覗く夜空に星はなく、新月の闇が森を覆っている。潜伏に最適な夜を選んだ。手慣れている。


 闇の中に、足音が近づく。柔らかい靴底が枯れ葉を踏む音。訓練された歩き方だ。間隔が一定で、不要な音を立てない。


 三つの影が鳳凰泉の縁に到着した。一人が革袋を背負っている。別の一人が金属の杭を取り出した。杭は腕の長さほどあり、先端が鋭く尖っている。三人目が周囲を警戒する。暗闇の中でも目が利くのか、四方に素早く視線を走らせた。


 暁風は息を殺した。指先が剣の柄に触れているが、握りはしない。「見るだけだ」——麗華との約束を守る。


 先頭の男が鳳凰泉の地面に杭を打ち込んだ。鈍い音が闇に響く。杭は霊脈の露頭——地面から霊気が湧き出す裂け目——の真上に打たれた。一撃で正確に裂け目を捉えた。事前に位置を把握していた証拠だ。


 革袋を背負った男が、杭の頭に管を差し込んだ。細い竹管で、継ぎ目は蝋で密封されている。管の先端に革袋を繋ぐ。手つきは淀みなく、何度も練習した動作だった。


 そして——革袋の口を開いた。


 灰色の粉末が管を通じて地中に流れ込む。月光のない闇の中でも、粉末が微かに燐光を帯びて光った。不気味な冷たい光だった。


 暁風は目を凝らした。粉末が霊脈の裂け目に吸い込まれていく。大地が——飲み込んでいる。まるで傷口に毒を流し込むように。


(これが——蘇家の目的か)


 霊脈に毒を注ぐ。霊脈そのものを汚染する破壊工作だ。


 暁風は奥歯を噛んだ。今すぐ飛び出して止めたい。剣を抜けば三人を制するのに十秒もかからない。だが麗華の言葉が耳に残る。「一度だけ、見せてもらう」。この女の判断を信じると決めた。ならば——耐える。


 粉末が全て流れ込むまで——十数えるほどの時間だった。


 工作員たちは手早く管と杭を回収し、杭穴を土で埋め、痕跡を消して去っていった。去り際に一人が鳳凰泉の岩場に目を向けた。暁風の潜む場所から三歩の距離。心臓が一つ打つ間、二人の間に闇だけがあった。


 工作員は気づかず、闇に消えた。


 暁風が動いたのは、三つの影が完全に消えてからだ。


 鳳凰泉の霊脈露頭に近づき、地面に手を当てた。


 温かいはずの霊脈の気が——冷たい。指先に伝わる感触が、明らかにおかしい。いつもは生き物のように脈動していた大地の鼓動が、鈍く、重くなっている。


(間に合わなかった——いや、見せてもらうために待ったのだ。だが)


 暁風は歯を食いしばり、鳳凰領に向かって走った。


     *


 同じ頃。


 鳳凰領の南の農地で、翠微が異変を感じた。


 早朝の修行のために畑に出ていた翠微は、大地に手を当てた瞬間、顔色を変えた。いつもなら温かい土の感触が——冷たい。指先に走った悪寒に、全身の毛が逆立った。


「——先生」


 声が震えている。


 隣にいた麗華が振り向いた。


「翠微? どうしました」


「大地が……苦しんでいます」


 翠微の目が見開かれていた。瞳の奥に、かすかな緑色の光が揺れている。霊脈を感知する時に現れる光だ。普段は静かに灯る光が、今は不安定に明滅を繰り返している。


「苦しんで——?」


「何か変なものが……流れてきています。大地の奥を。毒みたいな——冷たくて、苦くて、痛い」


 翠微の声が裏返った。「聞く」力を持つ翠微にとって、霊脈の苦痛は自分の痛みとして伝わる。顔が蒼白になり、額に冷や汗が浮かんでいた。


 麗華は即座に膝をつき、自らも大地に手を当てた。地養術で霊脈の流れを感じ取る。


 ——確かに、何かが違う。


 霊脈を流れる霊気に、異質なものが混じっている。通常は温かく、穏やかに脈動する霊気の中に——冷たい筋が走っている。刃のように鋭い、汚れた気配。霊脈の温もりを蝕むように、冷たい流れが南へ南へと広がっていく。


「これは——」


 麗華の指先が翡翠色に光った。霊脈の流れを辿る。北東から——鳳凰泉の方角から——毒は流れてきていた。


「鳳凰泉——蘇家が動いたのですか」


 麗華が立ち上がった時、門の方から馬の蹄の音がした。


 暁風が駆け込んできた。甲冑が朝露に濡れている。息が荒い。馬から飛び降りた拍子に泥が飛び、灰白の麻袍の裾が黒く汚れた。


「麗華殿。鳳凰泉で——工作員が霊脈に粉末を注入した。灰色の粉末。管と杭を使って、露頭の裂け目から直接——」


「知っています。翠微が感知しました」


 暁風の目が翠微に向いた。翠微は唇を噛んで地面を見つめていた。両手が土の上で震えている。


「大地が……泣いている」


 翠微が呟いた。


 三人は農地を見渡した。まだ夜明け前の薄闇の中、穀物の穂が微かに震えている。風はない。穂が震えているのは——地中から伝わる霊脈の異変のためだ。青々としていた冬小麦の穂先が、まるでおののくように細かく揺れている。


「穀物が——」


 麗華は穂に手を伸ばした。触れた瞬間、穂先がほんの僅かに色を失った。青々としていた穂に、灰色の筋が走る。


(食の根幹が——攻撃されている)


 麗華の手が震えた。怒りではない。恐怖だ。食を生む大地そのものが蝕まれていく恐怖。鳳家が百年かけて守り、地養術で育ててきた霊脈が——毒に侵されている。


「暁風殿。工作員は」


「去った。三人。痕跡は消した」


「革袋の中身は」


「回収できなかった。全量が霊脈に流れた」


 麗華は目を閉じた。


(蘇家——あなたたちは、この国の食を殺すつもりか)


 目を開けた時、琥珀色の瞳に怒りが燃えていた。静かな怒りだ。声を荒らげない。後宮で磨いた制御が、怒りを冷たい刃に変える。


「春蘭を呼んでください。それから翠微——」


「はい」


「大地の声を聞き続けなさい。毒がどこまで広がっているか。どの方向に流れているか。あなたの耳が——今、一番必要です」


 翠微が頷いた。涙を堪えるように唇を結び、再び大地に手を当てた。緑色の光が瞳の奥で強くなる。


 暁風が麗華の隣に立った。


「どうする」


「まず被害の範囲を特定します。そして——浄化する。何としても」


 東の空が白み始めていた。冬の夜明けは遅く、薄紫の光が地平線を縁取っている。しかし麗華の胸には、夜よりも深い暗雲が広がっていた。


 大地の奥深くに、毒が流れている。鳳凰領の食糧生産の根幹が——蝕まれ始めた。


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