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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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二人の食卓

 夕食は二人で取った。


 冬の夜は早く訪れる。窓の外はすでに暗く、蝋燭の灯りが卓の上に温かな円を描いている。蘇家への対策を練りながらの食卓だ。地図と帳面が卓の半分を占め、残りの半分に料理が並んでいる。


 鶏肉とたけのこの煮物。青菜の胡麻和え。白飯。湯気が蝋燭の光に照らされ、料理の上に温かな霞を作っている。


 麗華が朝のうちに仕込んでおいた日常の献立だ。鶏肉は鳳凰領の農家が飼う地鶏で、肉に弾力がある。筍は冬の名残の小さなものだが、歯触りがよく、鶏の出汁を吸って旨味が深い。胡麻和えの青菜は地養の畑で育ったもので、普通の青菜より味が濃い。


 暁風が飯を口に運びながら、地図を睨んでいる。


「主要露頭は七ヶ所。手勢十名を三班に分けると、常時二ヶ所にしか配置できない。残り五ヶ所が無防備になる」


「春蘭の情報網で補います。主要露頭の近くに住む領民に——不審者を見かけたら報告するよう頼んであります」


「民間の目か」


「ええ。農家の目は鋭いですよ。畑に知らない人間が入れば、すぐに気づく」


 暁風が煮物を箸で取った。鶏肉を一口。


「……旨いな」


「ありがとうございます」


「最初にここに来た頃は——あんたの料理を食う気になれなかった」


 麗華の箸が止まった。


「そうでしたね。監視対象の食事を受け取るわけにはいかない、と」


「ああ。監視役が被監視者の飯を食えば——立場が崩れる。そう思っていた」


 暁風は飯を一口食べた。


「今は?」


 麗華が訊いた。


 暁風が箸を止めた。白飯の湯気が、二人の間にゆらゆらと立ちのぼっている。


「……旨いものは旨い。それだけだ」


 暁風は目を逸らした。


 麗華は微かに笑った。


(「それだけ」では——ないでしょう)


 だが言わない。暁風がそう言うなら、今はそれでいい。


 二人は対策の議論を続けながら食事を終えた。暁風の軍事的な分析と、麗華の知略が自然に噛み合う。暁風が物理的な警備を、麗華が情報と戦略を担う。


 互いの意見を補い合う。どちらかが主導するのではなく、対等に。


「監視と被監視」の食卓は——とうの昔に消えていた。ここにあるのは、共に鳳凰領を守ろうとする二人の食卓だ。


 食事が終わり、麗華が食器を片付けようとした。暁風も立ち上がり、椀を手に取った。


「洗う」


「いいですよ。私が——」


「俺がやる。前に——壊滅的な炒め物を作った詫びだ」


 麗華は小さく笑った。


「では、お任せします」


 二人で食器を洗った。暁風が椀を洗い、麗華が拭く。小さな厨房で、二人が並んで立つ。


 暁風が椀を渡そうとしたとき——手が触れた。


 濡れた指先と、乾いた指先。一瞬の接触。


 どちらも——何も言わなかった。


 水の冷たさと、指先の温かさが、一瞬だけ重なった。


 暁風はそのまま次の椀を洗い、麗華はそのまま次の椀を拭いた。


 何も言わなかったが——空気が変わっていた。


 厨房の中が、ほんの少しだけ温かくなった気がした。


 食器を全て片付け終えたとき、暁風が口を開いた。


「麗華殿」


「はい」


「蘇家の件——俺に任せてくれ。外縁部の警備は俺が仕切る。あんたは——領地の内側を守れ。翠微の修行と、霊脈の管理を」


「ええ。そうします」


「分担だ。あんた一人でやる必要はない」


「……はい」


 暁風が部屋を出ていこうとして、戸口で振り返った。


「あんたの飯は——旨い。前にも言ったが。それだけだ」


「将軍殿は——同じことを何度もおっしゃいますね」


「大事なことは何度でも言う。——軍でもそう教わった」


 暁風の背中が廊下に消えた。灰白の麻袍が闇に溶けていく。


 麗華は一人残った厨房で、手のひらを見つめた。


 暁風の指先が触れた場所が——まだ温かい。


(「それだけだ」と言った。でも——何度も言うのは、それだけではないからでしょう)


 麗華は手のひらを握り、開いた。


 指先の温度が——消えるのが惜しいと思った。


(——何を考えているのだ、私は)


 首を振って厨房を出た。


 廊下の闇の中を歩きながら、明日のことを考える。蘇家の動き。霊脈の警備。翠微の修行。やるべきことは山ほどある。


 だが頭の片隅で——暁風の「旨い」が、ずっと鳴っていた。


 自室に戻り、寝台に座った。窓の外に月が出ている。冬の月は白く、鋭い。


 麗華は両手を膝の上に置いた。


(監視と被監視——あの関係は、もう完全に消えた)


 今この食卓にあるのは——信頼と、まだ名前のない何か。


 手が一瞬触れただけだ。何も言わなかった。何も変わっていないはずだ。


 でも——何かが、確実に変わっている。


 麗華は月を見上げ、長い息を吐いた。


(嵐が来る。蘇家が動く。鳳凰領は試される。——今は、それだけを考えなさい)


 そう自分に言い聞かせて、目を閉じた。


 だが眠りに落ちる直前——指先の温度が、まだ消えていなかった。


 同じ頃。


 暁風は自室の寝台に横たわり、天井を見つめていた。


 手のひらを開く。食器を渡したとき、麗華の指先に触れた。一瞬のことだった。何の意味もない接触だ。


 ——のはずだ。


(旨いものは旨い。それだけだ)


 何度目かの自分への言い聞かせ。だが「それだけ」で済まないことは、暁風自身が一番よく分かっていた。


 麗華の料理を食べるとき、箸が止まるのは味に感動しているからだ。だが最近は——麗華自身を見て、別の何かで動きが止まることがある。笑顔。横顔。袖を捲って厨房に立つ姿。翠微を見守る穏やかな目。


 全部——旨い飯と同じだ。目の前にあるだけで——暁風の中で何かが満たされる。


(……これは何だ)


 答えは出ないまま、暁風は目を閉じた。


 明日も巡回がある。蘇家の影が迫っている。鳳凰領を守る。麗華を——いや、この場所を守る。


 名前のない感情を抱えたまま、暁風は眠りに落ちた。


 冬の月が、二人の部屋を等しく照らしていた。白く、鋭く、そしてどこか優しく。


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