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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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将軍の巡回

 暁風は鳳凰領の外縁部を重点的に巡った。


 冬の空は灰色に低く垂れ込め、吐く息が白い霧となって顔の前に漂う。霜柱を踏む音が乾いた大地に響いた。


 手勢は十名。元は監視役として帝都から帯同した兵だが、鳳凰領での暮らしが長くなるうちに——実質的に麗華の指揮下に入っていた。暁風がそれを許した時点で、「皇帝の将軍」としての建前は薄れていた。


 冬の朝は早い。夜明け前に起き、鎧を軽装に改めて外縁部へ向かう。霜が降りた道を踏みしめながら、暁風は視線を四方に走らせた。


 北東の丘陵地帯。先日、工作員が調査していた場所だ。


 丘の斜面に——痕跡があった。


 新しい足跡。複数人。靴底の形が揃っている。同じ履物——支給品だ。商人なら靴はばらばらになる。支給品を履いているということは、組織に属する人間だ。


「将軍。ここです」


 手勢の一人が指さした。丘の中腹に——小さな穴が掘られていた。直径は拳ほど。深さは一尺ほど。穴の底に、何かの粉末が残っている。


 暁風は膝をつき、穴を覗き込んだ。


 粉末を指先でつまみ、匂いを嗅ぐ。金属臭がする。硫黄に似た——だが硫黄そのものではない匂い。


「これは——何かを入れた痕だ」


「入れた?」


「試験的に——何かを地面に注入した。穴の深さと量からして、本番ではない。試し打ちだ」


 暁風は周囲を見回した。この丘の下には——霊脈の露頭がある。


(試験段階だ。本番の前に——効果を確かめようとしている)


 手勢に指示を出し、周囲の痕跡を全て記録させた。足跡の方向、穴の位置、穴の深さ、粉末の量と色。軍の偵察記録と同じ手順で、一つも漏らさず書き留めさせる。


 さらに外縁部を巡回すると、別の場所でも同様の穴が見つかった。計三ヶ所。いずれも霊脈の露頭の近くだ。穴の深さも、粉末の量も、ほぼ同じ。統一された手順で、組織的に行われている。


 暁風は足を止めた。


(蘇家は——もう試験段階に入っている。本番は近い)


 鳳凰領に戻ったのは午後だった。


 執務室で麗華が帳面を広げている。暁風が入ると、顔を上げた。


「報告する」


 暁風は巡回の結果を伝えた。三ヶ所の試験穴。粉末の痕跡。足跡の分析。


「蘇家の紋が入った道具も回収した」


 暁風が布に包んだ物を卓に置いた。金属の小さな杭と、革袋。革袋の中に、灰色の粉末が入っている。


「これは——」


 麗華が革袋を開けた。粉末を指先でつまみ、光に透かす。


「硫鉄鉱の粉末——いえ、加工されている。自然のものとは匂いが違う。何かの薬品で処理されたものです。霊脈に対する毒物——春蘭が報告した鉱物と一致します」


「霊毒の原料か。——蘇家はここまでやるつもりか」


「可能性があります。確証を得るために、春蘭に詳細な分析をさせます」


 麗華は革袋を閉じた。暁風の目を見た。


「暁風殿。巡回の成果——ありがとうございます」


「礼はいい。——それより、対策を急ぐべきだ」


「ええ」


 麗華が立ち上がり、暁風の隣に立った。地図を二人で見下ろす。


「三ヶ所の試験穴——全て、霊脈の主要露頭の近くです。蘇家は霊脈の急所を正確に把握している」


「あの霊脈図が——正確だということだな」


「はい。精密な調査に基づいた地図です。蘇家は鳳凰領の霊脈構造を——私たち以上に把握しているかもしれない」


 暁風の顎が強張った。


「俺たちはどう動く」


「俺たち」と暁風は言った。


 「どう対処するか」ではなく「俺たちはどう動くか」。


 麗華はその言葉の変化に気づいた。監視役として送り込まれた将軍は——もう「私たち」の側にいる。


「では——こうしましょう」


 麗華が地図の上に指で線を引いた。


「主要露頭に常駐の見張りを配置します。暁風殿の手勢を三班に分け、昼夜交代で監視する。同時に——春蘭の情報網で蘇家の本隊の動きを追う」


「本隊?」


「試験穴を掘ったのは先遣隊です。本番の実行部隊は——まだ来ていない。来る前に察知して、迎撃する」


「迎撃か」


「はい。待つだけでは負けます。攻めに転じなければ」


 暁風は小さく頷いた。麗華の目に——かつて後宮で見たものとは違う光が宿っている。知略家としての冷静さだけでなく——領地を守る当主としての覚悟。


「任せろ。巡回と配置は俺が仕切る。——あの畑を、あの飯を作る土地を、壊させはしない」


「お願いします」


 執務室を出た暁風に、麗華が声をかけた。


「暁風殿」


「何だ」


「温かい湯麺を用意しました。食べてから出てください」


 暁風は振り返った。麗華が小さな盆を持っている。湯気の立つ湯麺。醤油の出汁に細い麺が浮かび、葱と叉焼の切り身が載っている。


「冷えたでしょう。朝から外縁部を歩いて」


 暁風は無言で盆を受け取った。椀から立ち昇る湯気が、暁風の冷えた手を包む。醤油と鶏骨の出汁が深い香りを放ち、叉焼の断面に脂が艶やかに光っている。


 一口。


 温かい出汁が喉を通り、体の芯に沁みた。麺を啜ると葱の香りが鼻に抜け、叉焼の旨味が舌に広がる。朝からの寒さが——溶けていく。


「……旨い」


 声が少し震えた。旨さのせいだけではない。冷えた体に温かいものが入ると、張り詰めていたものが緩む。


「そう言ってもらえると作った甲斐があります」


 麗華は穏やかに笑った。


 暁風は湯麺を食べ終え、箸を置いた。


「行ってくる」


「お気をつけて」


 暁風が去った後、麗華は空の椀を見つめた。


(「俺たちは」——)


 暁風の言葉が耳に残っている。もう「皇帝の将軍」は——この男の中にはいない。


 ここにいるのは、鳳凰領を守ると決めた一人の男だ。


 麗華は椀を洗い、棚にしまった。暁風が食べ終えた椀はいつも綺麗に空になっている。一粒の飯も残さない。その律儀さが、今は胸に沁みた。


(守る。この場所を。この人たちを。——この味を)


 窓の外で、暁風の大きな背中が外縁部に向かって遠ざかっていった。冬の白い空に、その影が小さくなっていく。


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