霊脈の露頭
点が線になった。
冬の朝。執務室の窓から差し込む光は低く、卓の上の地図を斜めに照らしていた。茶碗から立つ湯気が、冷たい空気の中で白く浮かんでいる。
暁風の尾行情報と春蘭の情報網の報告を突き合わせたとき、麗華は全体像を掴んだ。
執務室。地図の上に、二つの色の印が並んでいる。赤は暁風の巡回による目撃地点。青は春蘭の情報網が捉えた工作員の行動範囲。
赤と青が——重なっている場所がある。
そこは全て、鳳凰領の霊脈が地表に露出する地点だった。
「暁風殿の報告と、春蘭の情報を合わせると——」
麗華は地図の上に指で線を引いた。
「工作員は鳳凰領の霊脈露頭を、組織的に巡っています。北から順に、東、南、西——全方位をカバーしている」
春蘭が頷いた。
「私の手の者が追跡した結果、工作員たちは霊脈露頭の位置を記録し、それぞれの露頭で何らかの測定を行っています。土を採取し、深さを測り、周囲の地形を図面に起こしている」
「組織的な調査だ」
暁風が腕を組んだ。
「一人二人ではない。少なくとも四つの班が別々に動いている。統率されている」
麗華は地図から目を上げた。
「蘇家の工作員が鳳凰領の霊脈を調査している。目的は——」
「霊脈の破壊か」
暁風の言葉に、部屋の空気が冷えた。
「まだ断定はできません。ですが——」
麗華は指で地図上の露頭を順に指した。
「これだけの露頭を組織的に調べるということは、個別の破壊工作ではなく、霊脈の全体構造を把握しようとしている。全体を把握した上で——最大効率で攻撃するためです」
「食糧生産の根幹を断つつもりか」
「あるいは、それ以上の目的があるかもしれません」
麗華の声が低くなった。
「蘇家が狙っているのは——政治的権力ではなく、霊脈という資源そのものです」
沈黙が落ちた。
春蘭が紙片を差し出した。
「もう一つ報告があります。先日お伝えした蘇家が買い付けている鉱物——正体が判明しました」
「何だ」
「硫鉄鉱です。そのままでは何の変哲もない鉱物ですが——古い文献によると、霊脈に特定の処理を施した硫鉄鉱を注入すると、霊脈の流れを阻害する効果があるそうです」
麗華の目が鋭くなった。
「霊脈に——毒を入れるつもりか」
「推測ですが——状況は一致しています。霊脈の位置を特定し、毒を注入する場所を決め、大量の鉱物を買い付けている」
暁風が立ち上がった。
「待て。それが実行されたら——」
「鳳凰領の霊脈が汚染されます。地養術が使えなくなり、穀物が育たなくなる。食糧生産が——止まる」
三人の間に、重い沈黙が降りた。
窓の外では鳳凰領の日常が続いている。領民が畑で働き、子供が走り回り、市場の賑わいが聞こえてくる。
その全てが——霊脈の恵みの上に成り立っている。
「蘇家が市場に立たないのは当然だ」
暁風が低い声で言った。
「食の豊かさを偵察していたんじゃない。食を生み出す源——霊脈そのものを見ていた」
「ええ」
麗華は地図を見つめた。
「敵の視点から見れば——鳳凰領の価値は穀物ではなく、穀物を生み出す霊脈にある。穀物を止めるなら政治で十分。だが霊脈を壊せば——鳳凰領は二度と食糧を生産できなくなる」
「取り返しのつかない一撃だ」
「はい。蘇家はそれを狙っている」
麗華は立ち上がった。
「対策を急ぎましょう。まず——霊脈露頭の警備を強化します。暁風殿、巡回隊の配置を見直してください。特に主要な露頭には常駐の見張りを」
「分かった」
「春蘭。蘇家の動きを引き続き追って。いつ実行に移すか——そのタイミングを掴まなければ」
「承知しました」
「そして——翠微」
麗華は窓の外を見た。修行場で翠微が土に手を当てている。
「翠微の耳を使います。あの子は霊脈の異変を誰よりも早く察知できる。翠微に——状況を説明しなければ」
「あの子を巻き込むのか」
「巻き込むのではありません。翠微は——鳳凰領を守る力を持っている。その力を使ってもらうだけです」
暁風は数秒考え、頷いた。
「あんたの判断を信じる」
会議を終えて、麗華は一人で厨房に立った。
春蘭が「とりあえず何か召し上がってください」と出した粥を温め直す。白粥に塩を少し加え、干し海老を散らした。
椀を手に取り、一口。
温かい粥が喉を通る。干し海老の出汁が広がり、体の芯にじわりと沁みる。
食べている場合ではないかもしれない。だが——食べなければ戦えない。
(この味を——守る)
麗華は粥を飲み干し、椀を置いた。
目に覚悟が宿っていた。
午後。翠微の修行を見に行った。
翠微は修行場で自主練をしていた。冬小麦の苗に手を当て、霊脈の声を聞いている。指先の翡翠色の光が、安定して輝いていた。
「先生!」
麗華に気づいた翠微が駆け寄ってきた。
「今日の畑——なんか変です」
「変?」
「いつもと声が違います。穀物が緊張してるっていうか……空気がぴりぴりしてます」
麗華は顔色を変えなかった。だが内心、翠微の感知能力に改めて驚いていた。
(この子は——人間の緊張すら、大地を通じて感じ取っているのか)
蘇家の工作員が外縁部で活動している。その不穏な気配が——鳳凰領の大地にも伝わっているのかもしれない。あるいは、試験的に注入された霊毒の微かな影響を、翠微の耳が捉えている可能性もある。
「翠微。もしこれから、畑の声がいつもと違うことがあったら——すぐに私に教えなさい」
「はい。どうしてですか?」
「大切なことだから」
翠微は首を傾げたが、素直に頷いた。
麗華は修行場を後にしながら思った。
(この子の耳が——鳳凰領を守る盾になる。蘇家がいつ動いても、翠微の感知が最初の防波堤になる)
暁風が軍事で守り、春蘭が情報で守り、翠微が感知で守る。そして麗華が——全てを束ねて知略で守る。
一人ではない。もう一人ではない。
だがその全てが——蘇家の一撃を防げるかどうかは、まだ分からなかった。




