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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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穏やかな朝に

 穏やかな朝だった。


 麗華が目を覚ますと、窓の外から鶏の声が聞こえた。続いて牛の低い鳴き声。遠くで子供が笑う声。いつもの朝だ。空は青く澄み、霜が降りた畑に朝日が差し込んで、白い氷の粒がきらきらと光っている。


 冬が近い。


 朝餉の支度をしながら、麗華は今日の予定を頭の中で並べた。翠微の修行。北の村の宝泉の様子を確認する使いの手配。午後は帳面の整理。夕方には暁風と巡回の報告を確認する。


 いつもの日常。


 翠微が修行場に向かう姿が窓から見えた。三つ編みの少女が小走りで畑に入り、土に手を当てる。指先が翡翠色に光った。もう朝の瞑想は日課になっている。


 領民が畑に出る。牛がすきを引き、種を蒔く者、水を遣る者、収穫の残りを干す者。鳳凰領の朝は、食を作る人々の姿で始まる。


 食堂では、翠微が地養で育てた穀物の飯が炊き上がっていた。蓋を開けた瞬間、ふわりと立ち昇る湯気と共に甘い香りが鼻に届く。翠微の地養米は、麗華のものとは微妙に香りが異なる。澄んだ、透き通った甘さだ。翠微、暁風、春蘭と四人で卓を囲む。


「いただきます」


 翠微が飯を頬張る。


「先生。今日の穀物、すごく元気です。昨日の雨で根っこが喜んでます」


「そう。お前の耳で確かめてくれ」


「はいっ」


 暁風が黙々と飯を食べる。白飯に漬物。暁風の朝食はいつも簡素だ。だが鳳凰領の飯を旨そうに食べる姿は、もうすっかり日常の風景になっていた。


 春蘭が茶を淹れながら、さりげなく言った。


「お嬢様。帝都からの定期便が昨夜届いております」


「内容は?」


「朝廷の情勢に大きな動きはありません。ただし——」


 春蘭が声を落とした。


「蘇家に関する新しい情報があります」


 翠微と暁風の箸が止まった。


「後で聞く。翠微は修行に行きなさい」


「はいっ」


 翠微が食器を片付けて、修行場に走っていった。暁風も席を立とうとしたが、麗華が目で止めた。


「将軍殿も聞いてください」


 三人が執務室に移った。春蘭が帝都からの密書を広げる。


「蘇家が人員を動かしています。目的は不明ですが——規模が先月から倍増しています」


「倍増?」


「ええ。私の手の者の観測では、蘇家の屋敷から出入りする人間が明らかに増えている。商人や職人を装っていますが、新たに雇い入れた者が多い」


 暁風が腕を組んだ。


「鳳凰領の外縁で目撃された工作員も——増えているな」


「はい。先週だけで五件の目撃情報があります。これまでの三倍です」


 麗華は地図を広げた。工作員の目撃地点に新しい印を書き加える。


 点が増えている。外縁部を取り囲むように——鳳凰領の周辺に、蘇家の人間が集結し始めている。


「何を企んでいるか——まだ特定できないか」


「断片はあります。蘇家の商会が、ある種の鉱物を大量に買い付けているとの情報が」


「鉱物?」


「はい。正体は不明ですが——帝都の薬問屋が扱う類のものではないようです」


 麗華は目を細めた。


(鉱物の買い付け。工作員の増加。霊脈露頭の偵察。——全てが繋がるとすれば)


 だがまだ全容は見えない。


「春蘭。鉱物の正体を特定してくれ。何を買っているか分かれば、目的が絞れる」


「承知しました」


「暁風殿。巡回の頻度をもう一段上げてください。特に夜間」


「分かった」


 三人が散った後、麗華は一人で執務室に残った。


 窓の外では、翠微が修行場で土に手を当てている。指先の翡翠の光が、秋の陽射しに溶けて見える。


(平穏は長くない。この穏やかな朝食の風景が、いつまで続くか分からない)


 麗華にはそれが分かっていた。蘇家の動きは加速している。何かが——近づいている。


 だが領民には悟らせない。鳳凰領の日常は——食を作り、食を分け合い、食で人を繋ぐ。その日常を守ることが、麗華の戦いだ。


 昼食は翠微が育てた穀物の粥に、干し椎茸と鶏肉のスープを添えた。翠微が「今日の粥、穀物が嬉しそうに歌ってます」と笑う。


 この豊かな食卓が——蘇家の標的であることを、翠微はまだ知らない。


 麗華は粥を一口啜り、穏やかに微笑んだ。


(守る。この食卓を——何としても)


 午後。翠微の修行を見守りながら、麗華は考え事をしていた。


 蘇家が動いている。規模が増している。だが目的がまだ特定できない。


 翠微が修行場で土に手を当てている。指先の翡翠の光が安定している。この子の力は日々強くなっている。だがこの力が——蘇家の標的であることを、翠微はまだ知らない。知らせるべきか、まだ早いか。


「先生。今日の土、いつもより深くまで聞こえます」


「深く?」


「はい。いつもは畑の表面くらいまでしか聞こえないんですけど——今日は、その下の……大きな流れが聞こえます。ゆっくりで、あったかくて」


「霊脈の本流だ」


 麗華は目を細めた。翠微の感知能力が深まっている。表層の穀物だけでなく、霊脈の本流にまで届き始めている。


(この子の成長は——想像以上だ)


 翠微を抱き込む危機が近づいている。だが同時に、翠微の力もまた成長している。


 夕食は昼とは趣向を変えて、白飯に鶏肉と根菜の炊き合わせ。翠微が「この鶏、すごくご機嫌だったんですね。声が明るいです」と笑う。暁風が黙々と二杯目を食べている。春蘭が茶を淹れる。


 穏やかな食卓だ。


 この豊かさが——蘇家の標的であることを、麗華だけが知っている。


 食後、春蘭と二人きりになった執務室で、麗華は呟いた。


「平穏は——長くないわね」


「ええ。ですから——今のうちに備えましょう」


 春蘭の目が鋭い。この侍女は、主人が何を考えているかを常に先回りしている。


「暁風殿には巡回の強化を。翠微には——もう少し成長してから、状況を伝えます」


「承知しました」


 窓の外では、修行場の翠微が土に手を当て、指先の翡翠色の光を安定して輝かせていた。あの子の力は日々強くなっている。だがその力を狙う影も——同じ速さで近づいている。


 穏やかな朝の下に、確実に影が忍び寄っている。


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