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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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秘伝の行方

 深夜の執務室。


 蝋燭の炎が揺れ、壁に麗華の影が大きく伸びている。窓の外からは虫の声が微かに聞こえ、秋の夜の冷たい空気が隙間風となって頬に触れた。


 麗華は一人で帳面を広げていた。翠微、宝泉、小蕊——三人の素質者の情報を並べ、能力の差異と共通点を整理している。筆が紙の上を走り、墨の匂いが蝋燭の蝋の匂いに混じった。


 翠微。強い感知能力。「聞く」力に特化。霊脈の変動から天候予測まで可能。地養術も習得中だが、方向性は「育てる」より「聞く」に偏る。


 宝泉。中程度の感知能力。「流れ」を感じる。水脈と霊脈の区別がつかない段階。潜在性は未知数。


 小蕊。微弱な感知能力。翠微に似た「聞く」系統だが、まだ芽吹いたばかり。体が弱いため修行に時間がかかる可能性。


(三人の素質者がいる。一つの領地の中に。百人に一人の素質者だとすれば——鳳凰領の人口を考えると、もっといてもおかしくない)


 麗華は筆を置いた。


 帳面の数字が、一つの問いを突きつけている。


(「秘伝」という概念そのものが——間違っていたのではないか)


 一人の天才が秘術を独占する。鳳家はそうやって数百年を生き延びてきた。だが本来、地養術は一人のものではなかった。百年以上前には外にも術者がいた。多様な系統の術者が——それぞれのやり方で大地と向き合っていた。


 それが百年前に途絶えた。霊脈震のせいだと、老太爺は言った。だが——本当にそれだけか。


 麗華は書庫に向かった。


 鳳家の書庫は居室の奥にある小部屋だ。壁一面に棚が並び、巻物や書冊がびっしりと詰まっている。その中から、秘伝書の本巻を取り出した。


 革装の重い書冊。表紙に「鳳家地養秘伝」の金文字が押されている。


 何度も読んだ。隅から隅まで暗記している。だが今夜は——別の目で読み直す。


 頁を繰る。古い紙の匂いと墨の匂いが鼻に届く。歴代の当主が書き加えた筆跡は、一人一人異なる。力強い字、繊細な字、走り書きのような字。数百年分の知の蓄積が、この一冊に詰まっている。


 地養術の基礎理論。霊脈の構造。穀物への力の注ぎ方。応用技法。季節ごとの施術法。歴代当主の記録。


 全て「育てる」力に関する記述だ。「聞く」力については——一行もない。


 翠微の「聞く」力のような系統が存在するなら、秘伝書のどこかに痕跡があるはずだ。少なくとも「こういう力を持つ者がいた」という記述が——。


 ない。


 徹底的に消されている。


 だが——痕跡はある。


 頁と頁の間に、わずかな段差がある場所がある。薄い紙を剥がした跡のように見えなくもない。秘伝書の綴じ方を見ると、何ヶ所かで糸が二重になっている。一度ほどいて綴じ直した形跡。


(頁が抜かれている——?)


 そして、秘伝書の最後の頁。先々代の当主——老太爺の父——が書き残した一文。


「この術を閉じたのは、守るためではない」


 何度も読んだ言葉だ。だが今夜は、この言葉の続きが気になった。


 墨の色が異なる。本文は深い黒だが、この一文は少し赤みがかっている。書かれた時期が違うのだ。後から——おそらく晩年に——書き加えられた。


(守るためではない。ならば何のために閉じた?)


 答えは秘伝書にはない。抜かれた頁にあったのかもしれない。


(閉じた理由が「守る」以外にあるなら——「開く」理由もあるはずだ)


 麗華は秘伝書を閉じた。


 扉が叩かれた。


「お嬢様。夜更かしが過ぎます」


 春蘭の声だった。


「入って」


 春蘭が盆を持って入ってきた。胡桃と蜂蜜の菓子——麗華が考え事をするときに好む甘味だ。


「考え事の時は甘いものを、でしたね」


「ありがとう。春蘭は気が利く」


「気が利かなければ、お嬢様の侍女は務まりません」


 春蘭は菓子を卓に置き、蝋燭の芯を整えた。


 麗華は胡桃の菓子を一つ口に入れた。蜂蜜の甘さと胡桃の香ばしさが口に広がる。素朴だが、夜更けの疲れた体に染み入る味だ。


「春蘭」


「はい」


「鳳家の秘伝を——開くべきだと思うか」


 春蘭は一拍置いて答えた。


「お嬢様がお決めになることです」


「それは知っている。お前の考えを聞きたい」


 春蘭は背筋を伸ばした。


「——開くべきだと、思います」


「理由は」


「一人で背負うには、重すぎるからです。お嬢様は何でもお一人でなさろうとする。それは強さですが——弱さでもあります」


 麗華は菓子をもう一つ口に入れた。


「厳しいことを言うな」


「お嬢様がお望みでしたので」


 春蘭が微笑んだ。


 麗華は秘伝書の革表紙を指で撫でた。


「開くことが正しいのか、まだわからない。でも——閉じたままでは、次が来ない」


「次?」


「翠微のような子が——この先も見つかるかもしれない。その子たちに何も教えられないまま放っておくのは——食べ物を目の前にして箸を渡さないのと同じだ」


 春蘭が深く頷いた。


「お嬢様らしい喩えですね。食のことになると、いつも言葉が鋭くなりますわ」


「食に例えれば何でも分かる。私は単純な女だから」


 麗華は立ち上がり、窓を開けた。冷たい夜風が蝋燭の炎を揺らし、一瞬だけ部屋が暗くなった。


 夜空に月が出ていた。秋の月は白く澄んで、鳳凰領の田畑を銀色に照らしている。


(開くことが正しいのか——まだ分からない。だが閉じたままでは、いずれ全てが途絶える)


 三人の素質者。翠微、宝泉、小蕊。彼らは鳳家の血筋ではない。だが大地の声を聞く力を持っている。


 秘伝書から消された記述。抜かれた頁。先々代の「守るためではない」という言葉。


 全ての糸が、一つの結論を指し示していた。


(鳳家の秘伝は——閉じるべきものではなかった。何かの理由で閉じざるを得なかったのだ)


 その「何か」を——まだ麗華は知らない。だが知る時は、きっと来る。


 月光の下で、麗華は胡桃の菓子の最後の一つを口に入れた。


 甘い。蜂蜜と胡桃の素朴な甘さが、夜更けの疲れた体に染み渡る。だが——甘さの奥に、ほろ苦さがあった。


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