第二十八話 敬意を払って
まずいまずいまずいまずい。
この男がもう追いついてくるとは微塵も思ってなかった。
オレたちの眼前に現れた威風堂々とした男。
それは先の『剣王』よりも上を行き、その師に当たる存在。
『剣神』アレクサンダー・ヴァール・ジークハルト。
恐らく王国最強の男だ。
だが、その名誉も疑うほどに満身創痍。
息を吸う度に顔を顰め、全身のあちこちから止めどなく血が流れている。
剣士服は絞れば溢れんばかりに血を吸い込み、重りのようにのしかかっている。
「ピサロは、どうした」
「僕がこの場にいることが、答えだ」
両手と顔の半分を黒の塗料で染めたかのように暗黒と化している『剣神』の顔。
恐らく両手はほとんど機能しない。
右半分の目も耳も、何もかも器官は停止しているだろう。
それでも十分手に余る人間、それが奴だ。
オレはソッと腰の剣に手を伸ばす。
対してアレクサンダーは最終警告という最上位の警報を出してくる。
「これが最後だ。投降してほしい。僕は君たちのような子供を傷つけるつもりはない」
「信じるとでも?」
「……疑いの色が見える。ここに来る途中、タケルが死んでいた。それが理由だろう?」
「あんな人間を部下に置く人間を信用出来ない。部下の行動は主にも影響する」
部下が忠節もクソもない行動を取れば主は周囲から後ろ指をさされる。
昔からある理だ。
オレの元いた世界、日本ではそれが如実に現れていたのは戦国、江戸時代だろう。
力強く、残った力を振り絞って柄を握りしめる。
そして、鞘から刀身が抜かれる音を聞きながらジッとアレクサンダーを見据える。
「それを抜いてしまえばこちらも容赦はできない。ムミョン、間違った選択をしてしまったね」
こちらの選択を嘲るようにアレクサンダーは最速で距離を詰めてきていた。
風が遅れて着いてくる程の勢い。
細くしなやかな右足が振り上げられる。
想定内。手が使えない時点で予測していた。
躱せる、ギリギリまで引き付け反撃。
出来ると思った。
顔のミリ単位で見切ったと思った蹴りは突如間合いが伸び、オレの左頬を強打する。
「がァっ?!」
どんなカラクリか、オレはそんな疑問を思いつつ廊下をボロ雑巾のように転がり、立ち上がる。
トットッ、とつま先を地面にぶつける。
それに答えが隠されているのか分からないが、何か技を発動した感じは無し。
瞬き一つの間、既にアレクサンダーは踏み込んでいた。
再び神速の薙ぎ。
今度はミリ単位で回避とはいかない。
十分な距離を取ってオレは初撃を回避。
蹴った勢いで身が翻ったアレクサンダーの体は左側面をこちらに向けている。
好機! 肝臓を刺せば一撃必殺。
この瞬間を無駄にしないがため、止まった奴の半身に向けて刃を放つ。
刹那、止まっていた体が再び勢いを帯びて半回転。
それも、先程とは反対の足を上げている。
「なぁっ?!」
連続回し蹴り、それも完全に隙を作り出しこちらが動き出すのを見てから再び動く。
通常なら不可能な御業。
にも関わらず可能にしているのは、奴が『剣神』だからに違いない。
すぐさま剣を盾に防ぐ。
カァン!
鉄鋼でも入っているのではないかと思うほどの踵の重さ。
轟音を響かせ、地面を削り、再び後退。
寸前で入れた剣は未だに震え、オレの手にも痺れているような震動が伝わってきている。
ピサロが残してくれた傷というハンデを背負ってなおこの強さ。
実力で言えば、間違いなく王国最強だろう。
「黙って見てる訳にはいかないわ。水刃──!」
ラナがアレクサンダーの死角をついて魔法を発動。
しかし、奴は些細な物事を感じ取れる耳が片方生き残っている。
無論届いている水特有の心地よい音が奴の鼓膜を激しく揺さぶった。
水刃と呼び名がつく技の通りに刃物のように怪しく光るそれは、当たればただでは済まないだろう。
奴が、相手が『剣神』出なくばその速度に対応できず一刀両断されていただろう。
「っ! ライト、守れ!」
「はいっ!」
身を反転し駆け出したアレクサンダー、その大きく逞しい背中を追いながらも保険を入れる。
ラナとアレクサンダーの間に入ったライト。
夕焼けのように輝く髪がアレクサンダーの踏み込み風に押され、靡く。
だが、どういうわけかライトを一瞥した奴は突如奇怪な動きを見せる。
直線に加速したアレクサンダーは左へ側宙。壁に足がついた瞬間、今度は天井に、次は地面へとステップを踏む。
「精神をどうこうする類の色をしている。君と目を合わせるのは危険極まりない」
「っ!」
すぐさまラナの背面へと回るライト。
その行動も虚しくアレクサンダーは反対へと壁を伝って移動する。
蜘蛛のように動き回るステップに翻弄されたライトは心臓の鼓動が早まり、足先から冷たい何かが上がるのを感じ、硬直してしまった。
「魔法使いであろう君はその存在の中でも特異な色をしている。王国の敵となれば将来、厄介な魔女になる」
しかめっ面で自らに迫る死の象徴を迎え入れるラナ。
瞬間的判断で、ライトと自分を含む大きな風の鎌倉を形成。
構造をイメージし、魔法を具現化、マナの調節までの異質とも言える速さに今度は『剣神』が目を丸くし、感嘆。
アレクサンダーは足を止めて、その前で直立。
いくら『剣神』といえど、全てを切り裂く風の防御の内へと入ることは出来ない。
まして今は満身創痍も良いところ。
だが、それを考慮して踏みとどまったのではやい。
奴の言うようにラナの魔法技術が卓越している。
廊下に豪風と共に形成された楕円の鎌倉には軽い結界が施されている。
高等技である結界の運用を五歳児がやってのけた。
その祝福すべき事項を突破するのは大人気なく、子供の心を壊してしまうやもしれない。
その考えももまみえて『剣神』は止まったのだ。
「本当に君たちは、才能に恵まれているね」
「そんな安っぽい言葉で片付けないで欲しいな。オレたちは才能ではなく、努力を積み重ねてきたんだ。言葉には気をつけろ」
生まれた時点でハンデを負っているオレたちに対して才能があるなどという言葉は褒め言葉にならない。
むしろ、それらは神経を逆撫でするチクチク言葉だ。
「すまない。前言撤回しよう。その努力に『剣神』である僕は敬意を払う。生まれた場所など関係なく努力を積み重ねれば君たちのようにスーパーな存在になれる」
一言一言を噛み締めるように、『剣神』は言葉を紡いでいく。
「多くの人が君たちに後ろ指をさし、石を投げてきただろう。そんなことを諸共せずに立ち上がり、こうして僕を感嘆させるまでに至った。その心に、行動に、頭を下げる」
まさか、突然の礼。
紺青色の頭が倒れるのを見て、オレは警戒度を上げた。
次に奴が取った行動は、頭を上げて、そして──腰に帯びた七星の剣に手を伸ばしたことだった。
「なっ……手は!」
「ご心配無用。激しい動作をしない限り崩れはしない」
全てはこの動作のために、足だけを使っていた。
オレたちを子供扱いし、足だけで制圧出来るとタカをくくっていた。
タケルが『剣王』という生き方を選んだようにやはり、この男も『剣神』なのだ。
師弟揃って人を見下している。
だが、この男はまだ誠実で実直。
相手に敬意を払える。
その分マシだと思いたい。
そして奴が柄を握った途端、呼吸が苦しくなり汗が止まらなくなった。
「実力とは単なる強さでは決まらない。心、ひいては精神も含まれる。君たちのように生まれの過酷さに嘆かず、泣かず、止まらず、叫ばない百折不撓の魂に、敬意を払って──『剣神』は”刃を抜く”」
世界に存在する『五大聖魔神竜星剣』の一本、『星剣』ホシギリが、抜かれた。




