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■ 第2話:ロビー活動の闇と、作られた「清潔」

 地下第4会議室の空気は、御子柴が放った「便座兵器説」という劇薬によって、一気に沸点へと達していた。

 七海悠太は床に膝をついたまま、まるで汚物でも見るかのように、隅にある多目的トイレの扉を凝視している。

「嘘だ……。俺たちが毎日使っているあの便座が、男を家畜にするための兵器だなんて……。氷室さん、何とか言ってくださいよ! こんなの非論理的ですよね!?」

 氷室司は、刻一刻と流れるタブレットのログを追いながら、眉間に深い皺を刻んでいた。

「……確かに、御子柴さんの話は飛躍しすぎています。ですが」

 氷室は指先で画面を弾き、モニターの表示を切り替えた。

「不可解な点があるのは事実です。このグラフを見てください。2010年代後半から、世界各国の女性保護団体や家庭環境改善NGOに対し、特定の出資元から巨額の献金が行われています。その額、年間で数十億ドル規模」

「数十億……!? そんな金、一体どこから出てるんだ?」

 轟大吾が、タクティカルジャケットの襟を正しながら、身を乗り出した。

「出資元の多くは、表向きは環境保護を掲げる投資ファンドや、多国籍衛生機器メーカーのダミー会社です。そして彼女たちが展開したキャンペーンのキャッチコピーは、驚くほど世界中で統一されています」

 モニターには、英語、中国語、日本語など、様々な言語のポスターが並んだ。

「【Sit Down for Love(愛のために座ろう)】。……この、一見すれば家族愛に訴えかけるようなスローガンが、電通や世界的な広告代理店を通じて、一斉に、かつ組織的にバラ撒かれた形跡があるんです」

「愛のために、座る……」

 烏丸玲奈が、その言葉を唇の上で転がすように呟いた。

 彼女は長い黒髪を指先で弄りながら、どこか遠い場所を見つめるような瞳で語り始めた。

「言葉というものは、時に毒よりも恐ろしいわ。女性たちの『家族を想う善意』や『清潔な暮らしへの憧れ』。そうした美しい感情に【座る】という行為を紐付け、逆に【立つ】ことを『不潔』『旧態依然』『暴力の象徴』として定義づけた。……これは、ある種の呪術的なレッテル貼りよ」

「呪術だと? 烏丸、そいつはどういう意味だ」

 御子柴が、ホワイトボードに赤いマーカーで「ロビー活動」と書き殴りながら問い返す。

「女性たちは、自分の夫や息子を守りたいという本能で『座りなさい』と言っているわ。でも、その背後にいる黒幕は知っているの。男性から【直立】という尊厳を奪うことが、どれほどその精神を脆弱にするかを」

 烏丸は立ち上がり、静かな足取りで会議室の中央へ歩み出た。

「人間が二足歩行を始めたのは、天を仰ぎ、地を支配するため。特に男性にとって、直立して排泄するという行為は、太古の昔から続く『自己の領域の確定マーキング』という神聖な儀式だったはずよ。それを否定され、膝を屈して座らされる。……これは精神医学的に見れば、無意識下での【去勢】と同じ効果をもたらすの」

「精神的な去勢……!」

 七海が、自分の股間を隠すように身を縮めた。

「それだけじゃねえぞ。物理的な『悪意』の証拠がここにある」

 轟が、分厚い手で自分の端末を操作し、ある設計図をモニターの端に無理やり割り込ませた。

「氷室、お前がさっき言ったスマートトイレのメーカー……その最新モデルの基板レイアウトを、極秘ルートで入手した。見てみろ。ここだ」

 轟の指が、便座の付け根付近にある小さなチップを指し示した。

「ここは本来、脱臭機能や温水ヒーターを制御する回路のはずだ。だが、ここにある『J-29』と刻印されたパーツ。これ、通常の家電には絶対に使われない【軍事用・超近接型マイクロ波発信器】に極めて酷似している!」

「軍事用パーツが……便座に!?」

 氷室が、弾かれたように席を立ち、画面を凝視した。

「ああ。こいつは特定の周波数を出すことで、対象の神経系に微細なストレスを与えたり、特定のホルモン分泌を抑制したりする効果がある。照射範囲は極めて狭いが、座っている間、男の急所はわずか数センチの距離でこの『目に見えない銃口』に狙われ続けていることになるんだ!!」

「そんなバカな! 家電製品の安全基準(PSEマーク)をどうやって通したんですか!?」

 氷室の叫びに、御子柴が鼻で笑って答えた。

「ククク……簡単なことさ。その『安全基準』を作っている審議会のメンバーリストを見てみろ。例のロビー活動に金を流しているファンドの息がかかった連中で埋め尽くされてる。奴らにとっちゃ、法なんてのは家畜を管理するための『檻』の設計図に過ぎねえんだよ」

 御子柴はホワイトボードを激しく叩き、議論をさらに一段上の階層へと引き上げた。

「いいか! ターゲットは女性じゃない! 女性たちの『清潔で幸せな家庭を作りたい』という、最も利用しやすい【純粋な善意】だ! 奴らは女性保護団体を盾にして、反対意見を『女性蔑視』として封殺しながら、世界中の男たちの股の下に【去勢兵器】を設置しちまったんだよ!!」

「つまり……母ちゃんが俺を叱っていたのも……全部、その黒幕の計画通りだったってこと……?」

 七海は、家族への愛情すらもシステムの一部として利用されていたという事実に、目に見えない巨大な蜘蛛の巣に絡め取られたような恐怖を感じていた。

「氷室、すぐに出荷記録を洗え! この軍事チップ入りの便座が、どのタイミングで、どのエリアに集中して普及し始めたか。それが分かれば、黒幕の次の『ターゲット』が見えてくるはずだ!」

「……了解。全世界の物流データを、ディープウェブ経由でハッキングします!」

 氷室の指先が、怒りを含んだスピードでキーボードを叩き始めた。

 清潔で静かなはずのトイレという聖域が、今や人類を骨抜きにする最前線へと変貌していた。

「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」

 七海の絶叫が、換気扇の回転音に虚しく吸い込まれていった。

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