HPとは
「なるほど、こうすればHPは回復するのか」
『雨野 中』
HP11/11 MP8/8
術式 『霊術:霊傘』
そうつぶやくアタルの目の前には、自らのステータスが表示されていた。
どうやら食事をすればHPやMPは回復できるようだ。その事実を知れて満足したアタルは、自身のステータスを閉じた。
あの後コンビニから出たアタルたちは、建物の廊下で周囲の安全を確認してから食事を始めた。
本来はこんな埃っぽく不衛生で、いつあの幽霊が来るかわからないようなところで食事なんてしようとは思わないだろう。
しかしアタルはこの場所に来てからかなりの時間歩き続けており、少し前には激しい戦闘を行っていた。
さらには先行きの見えないストレスが無自覚に溜まっており、食料を見て空腹を自覚した結果食べることを抑えることはできなかった。
「……まぁ、腹が減っては戦はできぬっていうし」
誰に向けてかわからない言い訳をしながら、焼きそばパンにかじりつくアタル。ルルはそんなアタルの隣でお菓子を食べていた。
「とりあえず食べ終わったら、ここを探索するか」
先に食べ終わったアタルは、ルルが食べ終わるのを待ってから周囲の探索を開始した。
とはいえ、ここの探索はそれほどできることはなさそうだ。
先ほどは余裕がなかったから周囲を確認することはできなかったが、ここの廊下は先ほどの入口を除くとあと2つほどしかない短い廊下で、あとは上の階に続く階段しかなかった。
「……とりあえず、一部屋ずつ見ていくか」
アタルは護身用に先ほど強化したビニール傘を構え、動きの邪魔にならないようにビジネスバッグとビニール袋をルルに持たせて後ろに立たせる。
そして一つ目の扉のドアノブに手をかけ、中に入ろうと捻った。
「……あれ、あかない?」
何度かガチャガチャとしてみても、扉が開く気配はない。まるで今までのように扉そのものに拒絶されているかのようであった。
「それじゃあ、こっちは…… ダメか」
まさかと思いもう片方の扉も開いてみようとするも、そちらも開かない。先ほどと同じように扉がピクリとも動かなかった。
「なら次は二階…… ルル、後ろに隠れてろ」
ならば残された道に行くしかないと階段の方に目を向けると、そこには先ほどの幽霊がいつの間にか立っていた。
長い髪の毛をした白装束の女性。いや、もしかしたら学生くらいの若さかもしれない。
その顔は生気がなく無表情で、真っ暗な眼孔がアタルに向けられている。
そのことに気が付いたアタルは、ルルをかばうように前に立ち、彼女の出方を待つ。
不意を突かれた先ほどと違って覚悟を決めており、手に持つ強化されたビニール傘をいつでも開けるように構えている。
「……きて」
両者の睨み合いがしばらく続いたが、その静寂を破ったのは幽霊の方だった。
彼女はアタルたちを呼ぶと、そのまま2階へ向かって消えていってしまった。
「……ルル、行くぞ」
ひとまず彼女に敵意がないことを悟ったアタルは、ルルを連れて彼女の消えた2階へと上がっていく。
2階にも1階と同じような廊下が続いていたが、4つあるうちの一つの扉の前で幽霊がたっていた。
「……助けて」
「いや、助けてって…… いったい何をすればいいんだ?」
「……助けて」
扉を指さしながらそうつぶやく幽霊に話しかけるも、同じ言葉が返ってくるだけだった。
それに対して少し不満を感じるアタルだったが、もしかしたら幽霊にとって会話自体は難しいのではないかと考え無理やり自分を納得させる。
「とりあえず、この中に入ればいいのか?」
「……助けて」
「わかった、わかったから……」
幽霊に急かされるように扉に手をかけるアタル。そしてそのまま、扉を押して中に入った。
「……えっ」
しかし、部屋の中は悍ましい光景が広がっていた。
「ガッガッガッ!」
荒れ果てたオフィスのような部屋の中は、全てがボロボロになって血に濡れていた。
そしてその中心では、一匹の獣が、何かを夢中になって貪っている。
一度その光景を見てしまっていたアタルは、その正体にすぐ気が付いてしまった。
そして、その動揺が命取りだった。
「ガウッ! ガアァァァ!!」
「なっ!?」
先ほどまで夢中になって何かを貪っていたはずの獣が、アタルの隙に気が付いたのかすぐさま反転して襲い掛かってきたのだ。
アタルが慌てて傘を構えようとするも、傘を持つ右腕をかまれて押し倒され、マウントを取られてしまう。
「いっ、痛てえぇぇぇ!!!! くそっ!! 離れろ!!」
アタルが必死になって振りほどこうとするも、犬のような獣はより顎の力を強め鋭い歯がアタルの腕に食い込んでいく。
ブチブチと何かがちぎれるような音と共に、スーツの黒い生地の上からでもわかるくらいに真っ赤な血が溢れてくる。
「畜生! 離れろ!! なんなんだよお前は!!??」
アタルの言葉に反応して『悪意に濡れた獣』という表示が出るも、もちろんそれを気にする余裕などない。
必死になって腕を振り回そうとするも、さらに腕がブチブチと音をたてて体もアタルも悲鳴を上げる。
「きゃうんっ!」
「なっ!?」
このままではアタルが押し負ける、そう思われた矢先に横やりが入ってきた。
獣の横腹を、バスケットボール大の水球が吹き飛ばしたのだ。
その水球がきた先にいたのは、ルルであった。ルルがどのようにして水球を放ったのかはわからないが、その両手を獣に向け水球をぶつけたのだ。
「ルルッ!?」
アタルが思わず獣を吹き飛ばした功労者であるルルの方を見ると、扉の向こうで手招きをしていた。
アタルはすぐにその意図を汲むと、急いでその部屋に飛び込んで扉を閉めるのであった。
「はぁっ、はぁっ…… くそっ!! どうなってるんだ……」
何とか獣が部屋に入る前に扉を閉めて背中で押さえる。扉の外からは体当たりをするかのような音と衝撃が伝わってくる。
「ルル、助かったよ…… 大丈夫だ、心配するな」
ルルに先ほどの感謝を述べたアタルは、心配させまいとやせ我慢してルルに笑みを向ける。しかし誤魔化しきれないのかルルは心配そうにしていた。
アタルは先ほどまで噛まれていた右腕を左手で押さえながら止血を試みる。それでも血は止まらずにどくどくと流れ出てしまうのだった。
「はぁっ、はぁっ、そうだ、HPってどうなってるんだ?」
そこでアタルは、自身のHPの状態に疑問を持った。
彼の知る限り、HPとはその人物の残りの命を数値化したものだ。もしかしたら自分の猶予がわかるかと思ったのだ。
「ス、ステータス…… はぁ?」
息も絶え絶えで自分のステータスを確認するも、そこに表示されたものはアタルにとって信じられないものだった。
「な、何も変わってない……」
『雨野 中』
HP11/11 MP8/8
術式 『霊術:霊傘』
アタルのステータスは、一つも変わっていなかった。
アタルはHPがいくつか減っていると思い込んでいたが、今思えば傘の修理や飲み水の補充でHPを補充した時には体に何の変化もなかったことに気が付いた。
「なら、このHPはものを直すためにしか使えないのかよ…… いや、待てよ」
自分の勘違いに空を仰ぐも、あることを思いつく。
もしもそれが可能ならば、この状況をどうにかできるかもしれない。
「頼む、成功してくれ…… 『回復』!」
HPを使って物を直せるのなら、同じように人体も治せるのではないかと考えたのだ。
傘を直したときのように、自分の傷口が治るように念じる。
すると噛まれた傷は淡く輝き、みるみるうちに出血が止まっていき痛みが引いてきたのだった。
「はぁ、はぁ…… 治ったのか?」
アタルは腕まくりをして傷を確認すると、自身の血の下の肉体には傷口どころか傷跡すら残っていなかった。
「腕は…… よし、ちゃんと動くな」
右手を握って、開いてを繰り返してきちんと動くことを確認する。先ほどまで噛みちぎられそうになっていたとは思えないほどだ。
「HPは…… えっ、こんだけの消費でいけるのか?」
出しっぱなしにしていたステータスを確認すると、HPは1減っているだけだった。
これなら怪我の心配もひとまずは大丈夫とステータスを閉じる、そうホッとしていると先ほどの幽霊が現れた。
「おまえっ、俺たちを殺す気か!?」
「……助けて」
「ふざけるな! そもそも助けてってどうすればいいんだよ!? あの獣を倒せばいいのかよ!!」
アタルがこうなった元凶である幽霊に感情を爆発させる。
先ほど獣に襲われた際、ルルがいなければアタルは死んでいただろう。
それに、HPによるけがの回復に気が付かなければ、その命がどうなっていたかもわからない。
「……助けて」
だがどれだけアタルが感情的になろうと、幽霊はそれしか答えなかった。
「……っ、お前は、それしか言えないのかよ」
「……助けて」
常に表情の変わらなかった幽霊は、血の涙を流して訴えた。
アタルもさすがにその変化に驚き、幽霊の必死さに気づいて一度気持ちを鎮めることにした。
「……わかった、どうせ奴をどうにかしないと、外には出られないからな」
「ルル、さっきの水球は、まだ出せるか?」
アタルの問いかけに、ルルは力強く頷く。どうやらやる気は満々のようだ。
「幽霊さん、あんたはあいつを倒せば満足なんだな」
「……」
「それは、あいつ一匹なのか?」
アタルの問いかけに、幽霊は黙って頷く。
一度冷静になったアタルは、状況を整理してあの獣を倒すことを決意する。
絶対に奴を倒して生還すると、闘志を燃やしながら。
『雨野 中』
HP10/11 MP8/8
術式 『霊術:霊傘』
『妖術:水球』
己の存在を霊力として抽出して固め、相手にぶつける妖術の基礎。己の存在を色濃く映して水の塊となって具現化された。
威力は使用者の存在強度に依存するが、汎用性が高く使い勝手が良い。
この雨降る街に住む者にとって、水は己自身のようなもの。
今まで自在に操り遊んでいただけのそれは、初めてできた大切な人を守るために、己の武器として振るわれた。
大切な人が守ってくれたように、自分も何かをしたかったのだ。