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幻想異聞録ムーンデーヴァ  作者: 天槻悠奈
三章 幻想流転のフェスティバル
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48話 猫竜の国が滅んだ日

 衛兵に引きずられるようにして連れてこられたのは、罪を犯した王族を閉じ込めておく為の塔だった。

 最低限の掃除だけはされているのか、目立ったゴミなどはないものの、家具には薄くホコリが降り積もっているし、空気はカビ臭い。

 一歩踏み出すごとに床の冷たさが足裏に伝わってきて、シオは眉を寄せる。

 独房だっただけまだマシだと割り切ったシオは腕を組んだままどかりとベッドを腰を落とした。


「事情聴取も行わずに閉じ込めるとは……裁判を待たずして処刑されそうだな」


 どうやら黒幕は随分と深く国の中枢に入り込んでいるらしい。

 王位を簒奪したい分家筋の仕業か、現王室に叛意を持つ者か……どちらにせよ、処刑されるまで大人しく待つ彼女ではない。

 牢の中を歩き回り、脱出手段を探す。

 鉄格子は硬く、力づくでは壊せそうにないし、窓の位置も高くて手が届きそうにない。

 ベッドを踏み台にすれば登れるかもしれないが、仮に手が届いたとしても、命綱も無しに飛び降りようものなら即死は免れないだろう。

 猫竜ドラグドールには遠い祖先である竜の血の名残で羽根が生えているものの、飛行能力はない。

 体のサイズに対して、羽根が小さすぎるからだ。

 殆ど飾りに近い己の羽根に恨みがましい目を向けつつ、毛布とシーツを裂いて繋げたら命綱代わりにならないか、と考えていると、足音が近づいてくるのに気がつく。

 見回りの衛兵にしては足音が軽いし、歩き方もどこか上品に思える。

 何より、覚えのある魔力の気配にシオは立ち上がった。


「シアン!」

「やぁ、姉様」


 名前を呼ぶと、思った通りの人物が鉄格子の向こうに立っていた。

 晩餐会で顔を合わせた時と変わらぬ姿の弟に、シオは安堵の笑みを浮かべながら駆け寄ろうとする。

 ……だが、途中で足を止める。

 シアンはあまりにも普通すぎた(・・・・・)のだ。

 母が毒殺され、更に姉がその罪を着せられて囚われているというのに、全く動じた気配がないのは奇妙だ。

 中途半端な距離から睨んでいると、シアンが嫣然と微笑む。

 世の貴婦人達に天使と喩えられるだけあって、その微笑みは可愛らしいが、今のシオには命を刈り取りに来た死神のように感じられた。


「どうしたの、姉様?」


 姉様、と繰り返し呼ぶ声の響きが酷く甘ったるくて、知らずの内に鳥肌が立つ。


「まさか……おまえ、なのか?」


 喉から絞り出した声は震えていた。

 脳裏を過った最悪の想像を否定して欲しい、その一心で彼の瞳を覗き込んだシオは、アイスブルーの瞳に浮かぶ昏い色を目の当たりにして、息を呑んだ。


「……姉様って本当に鈍いんだね。今更気付いたの?」

「お、おまえ……」

「そうだよ、俺だよ。陛下に毒を飲ませたのも、反乱軍を煽ったのも、全部俺だよ」


 悪びれる素振りすらなく、あっさりと肯定され、シオは呆然と立ちすくむ。


「そん、な…………」


 シオの知る弟は、王位なんか要らないから姉様と一緒に居たいと言うような、可愛らしい子供だった。

 それが母を毒殺し、反乱軍を率いたというのが信じられなくて、目眩がする。


「こんな手を使ってまで、王位が欲しかったというのか……!」

「ん? 違うけど?」

「は?」


 疑念のこもった目を向ければ、何故かキョトンとした表情で見つめ返される。


「おまえは王位欲しさに反乱を起こしたのではないのか?」

「まさか。王位なんて面倒の塊みたいなものを押し付けられるくらいなら死んだ方がマシだよ」

「な…………」


 あまりにボロクソな言いように絶句していると、不意にシアンが呆れた顔で吐息を漏らす。


「……前にも言ったと思うんだけどな。俺は姉様と一緒にいられるならなんでもいいって」


 その話ならシオも憶えている。

 だが、シアンが何を主張したいのか分からなかったシオは、無言で続きを促す。


「元はと言えば陛下が悪いんだよ。俺との約束を破るから」

「約束?」

「……ああ、姉様はこれも知らないんだったっけ」


 オウム返しのように同じ単語を繰り返すと、シアンが目に見えて不機嫌そうな表情を浮かべる。


「姉様は一度も疑問に思わなかったの? 俺達、姉弟というにはあんまり似てないじゃん」

「それは……」


 痛い所を指摘され、言葉に詰まる。

 シオとシアンは髪の色や雰囲気こそ似ているが、顔立ちはそれほど似ていない。

 子供の頃は気に留めていなかったものの、シオが母親と瓜二つの美女に成長していく一方で、シアンは両親どちらにも似ていないことに疑問を感じた憶えはある。

 そして、今は亡き母の弟に当たる人物の肖像画を目にした時、疑惑は一層強くなった。

 優しげなアイスブルーの瞳が、シアンにそっくりだったからだ。

 当時のシオは隔世遺伝だろうと深く考えずに流したが、あの時もう少し深く考えていたら違う答えに至れたのだろうか。


「……死んだ叔父上に隠し子がいるという噂を聞いたことはあるが、まさか、おまえが……?」

「うん、俺が生まれてすぐに両親が死んだから、シエナ陛下に養子として迎えられたんだ。初めは俺が成人すると同時に姉様と結婚させるつもりだったみたいだけど、家臣に何か吹き込まれたのか、ここ最近になって国内の高位貴族と結婚させた方が国の得になるとか言い出してさぁ。困るよね、トップがコロコロ意見変えるの」


 シアンは何でもないことのように笑っているが、初めて知らされた真実の重さに、シオは後頭部を思い切り殴られたような衝撃を覚えていた。

 彼の話が事実ならば、弟だと思っていた相手は従弟で、しかも自分の婚約者候補だったというのだから、驚くなというのは無理な相談だ。


「その様子だと本当に知らなかったみたいだね。社交界では公然の秘密だったんだけど」

「……私だけが何も知らされていなかったわけか」


 しかし、疑問は残る。

 シオは反乱を起こした理由について尋ねたはず。

 だというのに、何故彼は今この話をしたのか。

 そこまで考えて、シオは一つの結論に至った。

 ……コイツは、私と結婚したいが為だけに反乱を起こしたのか、と。

 にわかには信じがたい話だが、今までの会話の流れを総合すると、そういうことになる。

 俯いていた顔を上げれば、恍惚とした笑みで自分を見つめるシアンと視線が合い、肌が粟立つ。


「そんな馬鹿げた理由で、反乱を起こしたのか……?」

「馬鹿げたとは失礼だなぁ。俺はずっと、ずぅっと前から姉様とひとつになりたかったのに」


 ねっとりと耳朶に絡みつくような声に、肩が震える。

 本能的な危機感を感じて縮こまるシオを一切の感情が抜け落ちた表情で見下ろし、シアンは鉄格子に手をかける。


「……姉様は知らないだろうけど、俺、頑張ったんだよ? 大っ嫌いな勉強も一生懸命やったし、国の未来がどうだとか全く興味ないけど、姉様を支えられるように公務も積極的にこなした。全部、姉様の為にやったのに。なのにあの女はあっさり意見を変えやがった。その罪は万死に値する。口うるさい女官長も、傲慢な貴族共も、俺と姉様を邪魔する者は全部まとめて消すしかない。全部全部全部全部…………」


 鉄格子を小刻みに揺らしながら早口に捲し立てるその姿は何か悪いものに取り憑かれているかのようで、シオは恐ろしさのあまり反対側の壁まで下がった。

 ――狂っている。

 自分の欲望の為に平然と他人を踏み台にする思考回路も、一方的にシオを娶りたいと言いながらも、シオの自由意志は求めていない所も、何もかもが歪み切っている。

 一刻も早くここから逃げ出したい衝動に駆られたシオは変化用の魔導具を取り外し、仔猫の姿になると、ベッドを踏み台にして窓に飛び移り、シアンが呆気に取られて固まっている隙に飛び降りた。

 少しして、頭上から悲鳴とも怒号ともつかない声が降ってくるが、気にせず近くの木々を伝って衝撃を殺しつつ床に降りる。

 今はまだ夜だ。

 暗闇に紛れて脱出するしかない。

 生憎、城の中だけが遊び場だったシオはこの城の構造を隅々まで把握している。

 茂みや建物の陰を縫うように移動し、上手く見張りの衛兵の視線をかわしながら進むシオだが、城門に近づくにつれ、刺激臭が鼻を突くようになる。

 ……嫌な予感がした。

 城壁に取り付き、よじ登るようにして城外に顔を出したシオの瞳に映ったのは、猛火に包まれ昼間のように明るくなった城下町だった。


「そん、な…………」


 数時間前までは栄華を極めていた王都が、一瞬にして地獄に変わっていた。

 逃げ惑う人々を容赦なく手にかける反乱軍。

 町の至る所にうず高く積まれた死体の山。

 その中に、見知った顔を見つけたシオは素早く城壁を駆け下りる。

 街を焦がす炎に煌々と照らされ、死体の顔が露わになる。


「じいや……みんな……」


 果敢にも反乱軍に立ち向かって敗れたのだろう、じいやは鎧を着た姿のまま、倒れ伏していた。

 その体には無数の矢や槍が突き刺さっている。

 他にも騎士団の制服を着た者達だったり、逃げ遅れた侍従達が折り重なって血の海を作っている。

 近くには見当たらないが、恐らく女官長やシャーロット、他にも自分の世話をしてくれた侍女や召使い達も何処かで同じように殺されてしまっているだろう。

 それほどまでに酷い惨状だった。


「…………私は今まで何をしてきたのだろうか」


 弟の出生も、内に秘めた狂気的で残忍な側面も、何も知らずにここまで生きてきた。

 知ろうとすら思わなかった。

 次期女王として大切に城という名の鳥籠に囲われていたシオにとっては、与えられたものだけが全てで、鳥籠の外に意識を向けることは殆どなかった。

 なんて愚かだったのだろう。

 護るべき故郷も、信じてついてきてくれた部下も、何一つ守れないまま、一人生き延びて何になる?

 いっそ、自分もこの場で彼らと共に命を絶った方がいいのではないだろうか。

 近くに落ちていたガラス片を拾い、首筋に充てがうが、母が死に際に遺した言葉を思い出し、直前で思い留まる。


「……一人生き恥を晒すことをお望みなのですか。酷い人」


 自分が死んでしまえば、本当の意味でこの国は終わりだ。

 あのシアンにまともな治世ができるとは思えない。

 いや、それ以前に国を丸ごと焦土に変えられてしまう恐れすらある。

 ……自分は、生き延びなければならない。

 再び髪飾りの形をした変化補助用魔導具を付けて人の形に戻ると、動かない足を叱咤して、より遠くを目指して燃える街を走り抜ける。

 幸か不幸か、皆自分が逃げ延びるのに必死で、王女であるシオが街中を走っていても誰も気に留めなかった。

 いや、そもそも寝巻き姿で煤に汚れながら走り回る小娘が王女だなんて夢にも思わないのかもしれない。

 かえって好都合だと、シオは走り続ける。

 何処を目指すわけでもなく、ただ追っ手から逃げ延びる為だけに。

 走って、走って、走って……やがて気持ちが切れて、ノワール曲馬団の拐かしに遭うまで、シオは走り続けた。


     *   *   *


『う…………ん……』


 不鮮明だった視界が、徐々に輪郭を取り戻す。

 体の節々が軋んではいるが、動けないほどの怪我はしていないことに安堵をする。


『…………随分と懐かしい夢を見たな』


 月成と出会い、共に過ごすようになってからは殆ど見なくなっていたというのに。

 決まってこの夢は油断した頃に訪れる。

 まるで忘れるなと戒めるように。


『言われなくても、忘れられるはずがないというのに……』


 それはそうと、と呟いてシオは辺りを見回す。

 古めかしい洋館の一室に、彼女は横たわっていた。

 室内の雰囲気からして、恐らくクイズ部屋から第一階層の何処かの部屋に落とされてしまったのだろう。

 月成達は無事に次の階層へ進めただろうか。

 果たして最上階を自分なしで攻略できるのかとハラハラするのと同じくらい、出来ることならこのまま暫く顔を合わせたくないという欲求が鎌首をもたげる。

 思わぬ形で過去を晒す羽目になってしまったから、合流すればきっと問い詰められるだろう。

 しかし、此処でウジウジしていても問題の先送りにしかならない。

 意を決したシオが勢い良く立ち上がった時だった。


「あ、あのー……すみません、誰かいるんですか……?」

『え?』


 弱々しい男の声が何処からともなく聴こえて、辺りを見回す。

 が、当然この部屋にはシオ以外に誰もいない。


「いえあの、もう少し下の方です。えっと、そっちじゃなくてもう少し右に向いて頂ければ恐縮なんですけど……そうそう、その調子です。ありがとうございます」


 言われた通りに視線を下に落としたシオは、視界に入ったものを見てひゅっと息を呑む。

 なんと、床の上に男の生首が落ちていたからだ。

 左右で色が違う虹彩と視線が合った瞬間、尻尾の毛がぶわりと広がる。


『な、生首っ!?』

「ああ、えっと、驚かれるのは当然かと思うんですけど、違います。ちゃんと人間です」


 思わぬホラー展開に飛び上がるシオに、生首は困ったように微笑むのだった。

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