49話 不滅の焔
いきなり生首に話しかけられ、心臓が飛び出るくらい驚いたが、落ち着いてよく見れば生首の下に丁度頭ひとつ分が通れるくらいの穴が空いており、覗き込めば首の下に胴体が繋がっているのが分かる。
ひとまず亡霊の類ではないと理解した白猫は体の構えを解き、男の目の前にしゃがみ込む。
『……おまえは何をしているんだ?』
「いやぁ、うっかり落ちちゃって。引っ張ってもらえると嬉しいんだけど」
間抜けなやつだとシオが呆れた表情を向けても、男はヘラヘラとした態度を崩さない。
それが余計癪に触る。
別に助ける義理もなかったが、床から生首が生えているようにしか見えない絵面があまりにも不気味なので、シオは渋々手を貸すことにした。
『引っ張るぞ。……せーのっ』
脇の下に手を入れて引っ張り上げると、男の全身が露わになる。
歳は二十代後半から三十代ほどだろうか。
落とし穴にハマっていた時は気付かなかったが、中々整った顔立ちの男だった。
身長はそこそこ、赤毛と茶髪の中間のような錆色の髪に、左右で色が違う瞳。
パリッと糊が効いたスーツを嫌味なく着こなしており、全体的に垢抜けた印象を受ける。
落とし穴に落ちた為か薄汚れてしまっているものの、スーツの仕立ては上等だし、革靴や腕時計の質も悪くはない。
(まるで仕事のできる公務員みたいだな……それにしては表情や雰囲気がぽわぽわしているが……)
観察すればするほど幻界を巡りにきたとは思えない風貌に、シオは不信感を募らせる。
その場の勢いだけで手を貸してしまったものの、一体何者なのだろうと訝しんでいると、スーツの土埃を払っていた男が緩やかに目を細める。
「ありがとう、猫竜のお嬢さん」
『……何故それを』
「んー? ドラゴンの因子を持ってる猫といえばドラグドールしかないだろ?」
猫竜は人間界では知名度の低い魔獣だ。
あの玖蘭鬼灯ですら初見でシオの種族を当てられなかったというのに、この男は迷う素振りすら見せずにシオの種族を当ててみせた。
表情を硬くするシオとは裏腹に、男は話は終わったとばかりに上着のポケットから一粒サイズのチョコレートを取り出し、頬張り始めた。
『……随分呑気なものだな』
「うん? 君にもひとつあげようか?」
『要らん!』
チョコレートを催促していると思われたのか、一粒差し出されるが、シオは断固として受け取らなかった。
『というか、のんびりしている場合じゃないだろう!? ここは何処なんだ!?』
「そう焦らなくても大丈夫だよ。見た所、君は従魔だろ? その内マスターに召喚されるんじゃないか?」
『む……』
言われてみればそうだとシオは口をつぐむ。
男に気を取られるあまり、月成達に自らの無事を知らせるのを失念していた。
神経を内側に向けて、魔力の回線越しに月成に信号を送るが、反応は無い。
どうにも通信妨害系の呪詛が建物全体にかけられているようで、この様子では座標の逆探知をするのも難しそうだと悟る。
『……駄目だ。念話の回線が繋がらない』
「ありゃ、それは災難だな。それなら別の作戦と行こうか」
『別の作戦だと?』
男が右手の人差し指で頭上を指し示す。
その先には、ただ木製の天井が繋がっているだけだ。
「僕はあそこから落ちてきて、床の落とし穴にハマったわけなんだけど。君も同じようなものなんじゃないか?」
『…………それがどうした?』
近くに積んであったダンボールの山にどかりと腰掛けながら、シオは低い声で凄む。
「僕達が辿ってきたあの穴は、二階層のクイズ部屋と繋がっている。見た感じ、向こうの部屋からこの部屋に転移させる一方通行のトラップだね」
『つまりこちら側から門を開くことはできないわけか』
「いいや。雨垂れが少しずつ岩を抉り、穴を空けるように、同じ場所に何度も門を開けば痕跡が残る。そこから逆探知して、新たに門を創造すれば最短で元の場所に戻れるはずだ。理論上はね」
空気の抜けた風船のようにフニャフニャした表情ばかり浮かべていた男の瞳が意地悪く光るのを見て、シオは目を瞠った。
『……暴論すぎる。幻界の構造を書き換えるなど、出来るはずがない』
「並の創造主ならね」
その時、シオはいつの間にか男の手に見慣れない筒が握られていることに気がつく。
形からして、ロケットランチャーだろうか。
男は『どっこいしょ』とおっさん臭いかけ声と共にそれを担ぎ上げると、何事かを呟きながら天井に銃口を突きつける。
「幻想干渉×反転×風の加護×転移――複合魔術展開。転移門作成……!」
一見して文法も法則性もめちゃくちゃな、単語の羅列と呼ぶべき詠唱。
しかし、極限まで縮めた一小節の魔術を複雑に組み合わせているのだろうことはシオにも分かった。
詠唱が終わると同時に、銃口から目が眩むほどの光線が迸る。
虹色の光の奔流が天井を穿ち、強引に空間の穴をこじ開ける様を、シオは口を開いたまま眺めることしかできなかった。
何故かビームランチャーを撃った張本人である男も、まさか一撃で上手くいくとは思わなかったと言わんばりに額に冷や汗を滲ませている。
「ひゃー、さっすがミツル君の補助付き対幻想砲だ。短時間だけとはいえ、本当に幻界を書き換えられるとは」
『……ミツル? ミツルだと?! それってまさかパンダみたいな白黒頭の少年のことか!?』
「あれ? ドラグドールちゃんもミツル君と知り合いだったの?」
『種族名で呼ぶな! 私の名前は……!』
名乗りを上げようとしたシオは、はっとして言葉を止める。
シオ・クレマチス・ドラグドールの名は、国が滅んだ日に捨てた。
だから今の彼女に名乗るべき名前はない。
しかし、名無しの魔獣のままではやりにくい。
いっそのこと仮の名前でもでっち上げようかと思ったその時、従魔契約時に月成から与えられた名前の存在を思い出す。
月成と念話が交わせるようになった後も、シオが本名を名乗らなかった為に、苦肉の策として与えられた仮の名前。
瞼を閉じれば、契約を結ぶ数日前から本棚をひっくり返し、いくつも名前の候補を考えていた月成の姿が鮮明に浮かぶ。
たくさん調べて、悩んで、迷走して、周りの意見を聞いて……ようやく決まったその名前を、シオは名乗った。
『…………私は、キャサリン。鳴海キャサリンだ』
口の中で転がすように、キャサリンという言葉を反芻する。
一度口に出した名前は、元の名前とは似ても似つかない響きだというのに、思ったよりも馴染んでいた。
"純粋"の意味を持つ名前だと、辞書を広げながら語っていた月成の笑顔を思い出した途端、彼が恋しくて堪らなくなった。
ついさっきまで喧嘩をしていたというのに、つくづく自分勝手だと自嘲めいた笑みが込み上げてくる。
一方、キャサリンの名乗りを受けた男はというと、靴下の匂いを嗅いだ猫のように両眼と口を大きく開いた顔で固まっている。
「えっと……売れないお笑い芸人……?」
『どういう意味だ貴様』
「思いっきり洋名なのに苗字和風なのダサすぎる」
『オイ』
「おぉっと、早く飛び込まないと穴が塞がっちゃうな〜! んじゃお先に〜!」
軽く殺気を浴びせると、男がわざとらしく声を張り上げながら天井の穴に飛び込んでゆく。
……逃げたな。
キャサリンは溜息を吐きつつ、男の後を追った。
* * *
……時刻はキャサリンが目を覚ます少し前に遡る。
謎解きの間を出た月成は、黙々とエネミーを狩っていた。
流石に三階層ともなるとエネミーを全て回避するのは不可能なので、一匹ずつ誘導して剣で斬り刻み、光の加護を付与した鉱石爆弾をばら撒き、白焔で軽く炙り、数を減らしてゆく。
十体も倒す頃には立ち回りを覚えたのか、月成の動きはより効率的に、洗練されたものになる。
最小限の消耗で、最大限のダメージを。
先陣を切って道を拓く月成をサポートする形で、バーンは襲いくる人形の兵士を燃やし、ミツルは二人に防御結界と光属性の付与を絶え間なくかけ続ける。
彼らの陣形に隙はなかった。
『この調子なら道中の雑魚は問題なさそうだな』
人形の兵士をまた一体炭にしながらバーンが呟く。
最大火力代表である白猫が不在ということに少なからず不安を抱いていた彼だが、意外にも余裕があった。
特にミツルは優れた補助魔術師らしく、月成やバーンが何発か避け切れずに攻撃をくらってしまった時も大してダメージを受けなかった。
おまけに今日初めてパーティーを組んだとは思えないほど息が合うし、こちらから何か指示する前に強化や回復が飛んでくるのは有り難かった。
問題があるとすれば、とバーンは前方を駆け抜ける主に視線を戻す。
一見、普段と変わらない立ち回りをしているように見えるが、白猫と別れてから一言も口を利いていないし、動きも心なしか荒々しい月成のことが、バーンは心配だった。
(本当はすぐにでも姐さんを迎えに行きたいんだろうな)
分断後、何度も念話や召喚を試みたが、そもそもこの幻界には通信妨害系の呪詛がかけられているようで、いずれも不発に終わった。
ただ、魔力供給の回線は繋がったままなので、生きているのは確からしい。
逆に言えば、生きている以外の情報がないのだ。
大怪我をしていて動けないのかもしれないし、無傷でピンピンしているかもしれない。
ミツルいわく、クイズ部屋で問題を間違えると一階層の小部屋のどこかに転送されるらしいが、ランダムなので詳しい座標も当然不明だ。
そんな状況で心配するなという方が無理な話かもしれない。
引き返そうにも通路は一方通行らしく、今し方潜り抜けてきた扉は固く閉ざされている。
そうなれば最速でクリアして、白猫を探しに戻るしかない。
この件に関して月成とバーンの意見は一致していた。
鉄壁の陣形で進んでいると、不意に開けた空間に出る。
ホラーゲームに出てきそうな洋館からまるっきり様子が変わって、ドラマに出てくる武家屋敷のような座敷が眼前に広がっていた。
数十人は軽く収まりそうな座敷部屋に三人が踏み入った瞬間、背後の襖がひとりでに閉ざされる。
「なっ!? 襖が勝手に……開かねえ!? なんでびくともしねーんだよ!?」
バーンが襖にしがみついて無理矢理こじ開けようとする中、月成はふらふらと何かに吸い寄せられるように前進する。
「……この感じ、懐かしいな。……まるで、アイスゴーレムと戦った時みたいだ」
言い終わるか終わらないかの内に、天井が開いて巨大な人影が降ってくる。
轟音とホコリを立てながら現れたのは、戦国武将のような鎧に身を包んだ絡繰人形だった。
大きさは精々五メートル程度と、いつかのアイスゴーレムに比べれば小柄であるものの、肩から伸びた四本の腕がそれぞれ刀を構えて突進してくる様は中々に凶悪だった。
『爆ぜろ、炎の弾丸!』
咄嗟に絡繰人形めがけて炎弾をぶつけるバーンだが、急拵えの術式は絡繰人形の鎧の表面を軽く焦がす程度に終わった。
「散開っ!」
月成の合図に合わせて、三人は散り散りに離脱する。
次の瞬間、絡繰人形が急加速して三人のいた場所に踏み込み、近くにあった畳と座布団が細切れになる。
それを見たバーンは怖気つく心を誤魔化すように冗談めかして口笛を吹いた。
『ひゅう、あっぶね……なんつースピードだよ』
身軽さにはそこそこ自信のあったバーンですら、ギリギリ回避できたくらいだ。
一般人なら反応すら出来ずに膾にされていただろう。
月成は素早く状況を把握すると、二人に聞こえるよう声を張り上げた。
「俺が引きつける! 二人は援護をお願い!」
「了解!」
「はいは……おい待て、後ろ!」
気の抜けた表情を浮かべていたミツルは、突然顔色を変えて怒鳴った。
反射的に月成が横向きに跳んだ瞬間、月成の立っていた場所に雨霰の如く魔力弾が降り注ぐ。
そちらに視線を向ければ、いつの間にやら小さな人形達が群を成して三人に迫ろうとしていた。
掌に乗るくらいのサイズのそれは、魔術攻撃に特化しているようで、弾幕のように魔力弾を浴びせてくる。
それらを避けるのに夢中になっていれば、素早い一太刀が飛んでくる。
「くっ…………!」
剣で刀を受け止める月成だが、予想以上に重たい一撃に眉を歪める。
受け流すようにして離脱すれば、すかさず弾幕に追い立てられ、一瞬たりとも休む暇がない。
「十六夜奇譚、第四楽章――独奏アンノウン!」
魔導書のページが輝き、三人の体に淡い光が宿る。
ミツルの防御結界だ。
どんな攻撃も一度だけ防いでくれるという優れものだが、例え擦り傷程度のダメージでも『一撃』にカウントされ、解除されてしまうのが唯一の欠点だった。
しかし、防御結界があるという心理的余裕からか、防戦一方だった月成達の動きに勢いが戻ってくる。
絡繰人形と鍔迫り合いを繰り返しながら、月成は再び大きな声で呼びかける。
「作戦はいつも通り、短期決戦! 五分以内にカタを付ける! いいね!?」
『おう!』
「めちゃくちゃだな……」
約一名不満が漏れ聞こえた気がするが、それに反応する者はこの場にはいなかった。




