六 三人
それから数日たった放課後。
健治が鞄を閉じるなり、勢いよく立ち上がった。
「よーし!」
「何だよ」
「楽器屋行くぞ!」
「は?」
「ギター見たい!」
「また?」
「またって何だよ。ちゃんと店で見るの初めてなんだって」
「大輝先輩の借りて散々触ってるじゃん」
「自分のが欲しいの!」
「まだ入部届も出してないくせに」
「気持ちはもうギタリストだからな」
「単純だな」
「修二も行くだろ?」
「何で俺が」
「暇じゃん」
「勉強する」
「毎日してるだろ」
「毎日するもんなんだよ」
「高校生らしく遊べ!」
「お前が勉強しろ」
健治はまるで聞いていない。
「よし。じゃあ千紘も誘おう」
「何でそうなる」
「三人の方が楽しいじゃん」
「朝比奈、別のクラスだろ」
「だから誘いに行くんだよ」
もう教室を出ようとしている。
「思い立ったら早いよな、お前」
「いいことだろ?」
「限度がある」
仕方なく、俺も鞄を持って後を追った。
朝比奈の教室へ向かう途中、廊下の向こうから鞄を肩に掛けた朝比奈が歩いてきた。
「あ、千紘!」
「健治君」
朝比奈が足を止める。
俺を見ると、小さく頭を下げた。
「神崎君」
「おう」
「今から駅前の楽器屋行くんだけど、千紘も行かない?」
「え?」
朝比奈が目を丸くした。
「楽器屋……?」
「うん。ギター見たいんだ」
「私も……?」
「もちろん」
朝比奈は一瞬、俺の方を見る。
何で俺を見るんだ。
「嫌なら無理しなくていいけど」
健治が言う。
「ち、違う!」
朝比奈が慌てて首を振る。
「嫌じゃなくて……」
少し迷ってから、俺たちを見る。
「……一緒に行っても、いい?」
「いいに決まってんじゃん」
「じゃ、決まり!」
そのまま歩き出そうとする健治を、俺は呼び止めた。
「自転車」
「あ」
「忘れて帰る気か?」
「危なっ」
「健治君、本当に忘れそう」
朝比奈がぽつりと言った。
「千紘までひどくない?」
「ご、ごめんなさい」
朝比奈は反射みたいに謝って、少しだけ眉を下げた。
「……でも、本当に忘れそうだったから」
「そこは譲らないんだ」
「だって……本当にそう思ったし」
「言うようになったなぁ」
「健治が言わせてるんだろ」
「俺のおかげ?」
「違うと思う」
朝比奈がさらっと返す。
「即答!?」
思わず吹き出した。
駐輪場で自転車を取って、三人で学校を出た。
俺と健治は自転車を押し、朝比奈はその隣を歩く。
「で、どんなギター欲しいんだ?」
俺が聞くと、健治が急に黙った。
「……分からん」
「そこからかよ」
「見た目かっこいいやつ!」
「一番ダメそうな選び方だな」
「最初は見た目でもいいんじゃない?」
朝比奈が小さく言う。
「ほら! 千紘もこう言ってる!」
「でも、弾きやすい方がいいと思う」
「裏切られた」
「よく分からないけど……」
「だったら大輝先輩に聞けば?」
「それは聞く!」
「じゃあ今日は下見か」
「見るだけでも楽しいだろ」
「お前はな」
「修二もドラムあったら見てこいよ」
「何で俺が」
「気になるんだろ?」
「別に」
「この前、部室でずっと和也先輩の手元見てたくせに」
「見てない」
「見てた」
「……見てました」
横から、小さな声がした。
「朝比奈?」
「神崎君、部室でずっとドラムの方見てたから」
「ほら!」
「うるさい」
二人がこっちを見る。
自転車のハンドルを握り直して、少しだけ歩く速さを上げた。
駅前の商店街にある楽器店は、外から見るより奥行きがあった。
扉を開けた途端、壁一面にギターが並んでいる。
「うわ……」
健治が立ち止まる。
「すげぇ」
「さっきまでの勢いどこいったんだよ」
「だって見ろよ!」
赤。
黒。
青。
木目のもの。
形も大きさも少しずつ違うギターが、何本も壁に掛けられている。
健治は吸い寄せられるようにギターコーナーへ向かった。
「これかっけぇ!」
「高っ!」
「修二、これ見ろよ!」
「三十万?」
「無理!」
「当たり前だ」
「じゃあこっちは……」
値札を見た健治が黙る。
「いくら」
「さっきより高い」
「何で高い方ばっか見るんだよ」
「かっこいいのが悪い」
「意味分かんねぇ」
しばらくすると、店員に声をかけられ、健治は一本のギターを持たせてもらっていた。
恐る恐るストラップを肩に掛ける。
「どう?」
「似合ってる似合ってる」
「適当だろ」
「まだまともに弾けないんだから、見た目しか分かんねぇだろ」
「千紘は?」
「えっ、私?」
朝比奈が真剣に健治を見る。
「……ギターの方が、大きく見える」
「俺が小さいってこと!?」
「違っ……そうじゃなくて……」
朝比奈が慌てて否定してから、自分でもおかしくなったのか笑い出した。
健治もつられて笑う。
少しして、健治は別のギターを見るため店員についていった。
「元気だね、健治君」
「昔からあんな感じ」
「神崎君とは、ずっと一緒なんだよね」
「中学から」
「いいなぁ」
「何が?」
「そういう友達」
朝比奈の声が少しだけ小さくなった。
俺が何か言う前に、朝比奈は店の奥へ目を向けた。
「あ……」
鍵盤楽器が並んでいる。
「見る?」
「え?」
「ピアノやってたんだろ」
「……うん」
朝比奈は少し迷ってから、キーボードの方へ歩いた。
俺も後をついていく。
朝比奈が鍵盤の前で立ち止まった。
「懐かしい……」
「弾かないの?」
「ここで?」
「誰も気にしないだろ」
「気にするよ」
「俺は歌まで聞いたけど」
「それは忘れて!」
珍しく強い声が返ってきた。
「まだ恥ずかしいのかよ」
「恥ずかしいよ!」
「上手かったのに」
「……もう」
朝比奈が頬を赤くして俺を見る。
でも、前みたいに俯かなかった。
やがて人差し指で、一つだけ鍵盤を押した。
小さな音が鳴る。
もう一つ。
それから少しだけ、指が動いた。
短いメロディー。
ほんの数秒で、朝比奈は手を離した。
「やっぱり、忘れてる」
「普通に弾けてたじゃん」
「これくらいなら」
「じゃあ軽音入れば」
朝比奈が俺を見る。
「……神崎君は?」
「俺?」
「入らないの?」
「俺は――」
「修二!」
店の奥から健治の声が飛んできた。
「来て!」
「声でけぇよ」
「すげぇのある!」
「何が」
「来れば分かる!」
「今行く!」
朝比奈が俺を見る。
「行ってあげたら?」
「朝比奈も来いよ」
「うん」
健治のところへ向かおうとして、途中で足が止まった。
棚に、何種類ものドラムスティックが並んでいる。
太さも長さも違う。
素材も違うらしい。
何気なく一本手に取る。
「……」
この前、部室で握ったものより少し軽い。
「修二ー!」
「分かったって!」
スティックを棚へ戻す。
振り返ると、朝比奈がこっちを見ていた。
「何」
「ううん」
少しだけ口元が緩む。
「……ドラム、気になってるんだなって」
「別に」
「またそれ?」
「うるさい」
棚に戻したはずのスティックの重さが、まだ右手に残っていた。
健治のところへ行くと、壁に掛かった黒いギターを指差していた。
「これ!」
「さっきと何が違うんだよ」
「全然違うだろ!」
「俺には分からん」
「見ろよ、この形!」
健治が値札を見る。
動きが止まった。
「……無理だ」
「また?」
「さっきより高い」
「お前、ほんと高いの見つける才能あるな」
「いらねぇ、その才能」
結局、健治はギターを買わなかった。
店を出た途端、大きく息を吐く。
「決めらんねぇ!」
「知ってた」
「ありすぎだろ!」
「最初の五分で買おうとしてたやつが言うな」
「予算もあるしね」
朝比奈が言う。
「そうなんだよなぁ……」
健治は腕を組んだ。
少し考えてから、顔を上げる。
「よし。大輝先輩におすすめの店聞こう」
「今日の店じゃダメなの?」
「もっとでかい店とか知ってそうじゃん」
「まあ、知ってそうだけど」
「そしたら休みの日に、ちゃんと見に行こうぜ!」
「また俺も?」
「もちろん! あと千紘も!」
「わ、私も?」
「三人で行こうぜ」
朝比奈は少し驚いた顔をした。
「……うん」
それから、はっきり言った。
「行きたい」
「決まり!」
「俺まだ何も言ってないけど」
「多数決!」
「……二対一、だね」
朝比奈までそんなことを言う。
「朝比奈、健治に染まってない?」
「え?」
「いい傾向だ!」
「お前は黙ってろ」
駅へ向かうあいだも、健治はさっき見たギターの話を延々としていた。
「赤もよかったけど、黒もかっこよかったよな」
「まだ言ってる」
「千紘はどっち?」
「えっと……黒かな」
「だよな!」
「じゃあ黒にすれば」
「いや、でも赤も――」
「知らねぇよ」
朝比奈が小さく笑う。
俺も少しだけ笑った。
駅に着く。
朝比奈は改札の前で足を止めた。
「じゃあ……また明日」
「おう」
「またな、千紘!」
「うん。また明日、健治君」
朝比奈が改札を通る。
少し進んでから振り返り、俺たちに小さく手を振った。
健治が大きく振り返す。
俺も片手を上げた。
健治と二人なら、自転車で通り過ぎるだけの道だった。
今日は、そこを三人で歩いた。




