五 新入生歓迎会
数日後の放課後。
気づけば俺は、また軽音部の部室にいた。
「大輝先輩、ここ押さえるんですか?」
「そう。指、もっと立てて」
「痛っ!」
「最初はそんなもん」
健治は大輝先輩の隣でギターを抱え、さっきから同じコードと格闘している。
この前まで楽器なんて触ったこともなかったくせに、ずいぶん楽しそうだ。
「神崎」
「はい?」
和也先輩が俺を見る。
「お前、見てるだけ?」
「そのつもりです」
「つまんねぇな」
「勉強あるんで」
「部室まで来て参考書開くやつ初めて見た」
「健治に連れてこられただけです」
「はいはい」
和也先輩が笑う。
少し離れたところでは、朝比奈が愛理沙先輩と話していた。
最初に来た日よりは、少しだけ表情が柔らかい。
「そうだ」
和也先輩が思い出したように手を叩いた。
「明日の新入生歓迎会、俺ら演奏するから」
「マジっすか!?」
ギターを持ったまま、健治が振り返る。
「軽音部の紹介?」
「そう」
「絶対見ます!」
「全員見るだろ、新入生なんだから」
「あ、そっか」
「お前もう入学したこと忘れてんの?」
「忘れてません!」
大輝先輩が笑う。
「健治、明日ちゃんと俺のギター見とけよ」
「はい!」
和也先輩がこちらを見る。
「神崎も」
「何で俺まで」
「ドラム見ろ」
「……はいはい」
「返事が軽い」
和也先輩が不満そうな顔をする。
「朝比奈もな」
「は、はい」
朝比奈が小さく頷いた。
愛理沙先輩が隣で笑う。
「明日はもっと広いところで歌うからね」
「……楽しみにしてます」
その声は小さかったけれど、迷っているようには聞こえなかった。
翌日。
午後の授業時間を使って、新入生歓迎会が行われた。
一年生全員がクラスごとに体育館へ集められ、ステージでは次々と部活動紹介が続いていく。
野球部。
サッカー部。
バレー部。
吹奏楽部。
運動部は実演を交え、文化部は作品や活動内容を紹介する。
「結構いろいろあるな」
隣に座った健治がパンフレットをめくる。
「この前散々見ただろ」
「見るのと紹介聞くのは違うって」
「そうかよ」
「でも俺、もうほぼ決まったけどな」
「軽音?」
「うん」
健治が即答した。
「昨日もギター触って、やっぱこれだわって思った」
「指痛いって騒いでたじゃん」
「それとこれとは別!」
どっかで聞いたような台詞だな。
「修二は?」
「何が」
「軽音」
「入るって言ってないだろ」
「まだ言ってんの?」
「まだも何も、最初から入るつもりない」
「頑固だなぁ」
「お前が軽すぎるんだよ」
そんな話をしているうちに、ステージ上の部員が入れ替わった。
「続いて、軽音楽部です!」
司会の声が響く。
「来た!」
健治が急に姿勢を正す。
ステージの中央にドラムセットが運び込まれていた。
和也先輩がそこへ座る。
大輝先輩はギター。
俊也先輩はベース。
雄介先輩はエレクトーン。
そして、ギターを抱えた愛理沙先輩がマイクの前に立った。
「愛理沙先輩、ギターも弾くんだ」
「この前言ってただろ」
「あれ聞くのと見るのじゃ違うじゃん」
「それさっきも言ってたな」
照明が少し落ちる。
体育館のざわめきが静まった。
和也先輩がスティックを上げる。
気づけば、俺もステージを見つめていた。
カウント。
ドラムが鳴る。
体育館いっぱいに音が広がった。
部室で聞いた時より、ずっと大きい。
ギターも、ベースも、鍵盤も、歌も。
広い体育館なのに、音が薄くならない。
五人の音が一つになって、正面からぶつかってくる。
「やっぱかっけぇ……」
健治が呟く。
視線は大輝先輩の手元に釘付けだった。
俺は、また和也先輩のドラムを見ていた。
速く動く腕。
足元。
曲の流れが変わるたびに、叩く場所も音も変わる。
この前、自分でスネアを叩いたせいか。
前より少しだけ、何をしているのか気になった。
演奏が終わる。
体育館に一気に拍手と歓声が広がった。
健治も夢中で手を叩いている。
「修二」
「何」
「俺、やっぱギターやる」
「昨日もう決めたって言ってただろ」
「今日ので確信した!」
健治がまだ何か言っている。
ふと、別のクラスの列に目を向けた。
少し離れた場所に、朝比奈がいた。
ステージを見ながら、一生懸命拍手している。
部室ではいつも少し俯いているのに、今は顔を上げていた。
ステージの方だけを見て、笑っていた。
「修二、聞いてる?」
「聞いてる」
「絶対聞いてなかっただろ」
「うるさい」
歓迎会が終わり、体育館から教室へ戻る途中。
「千紘!」
健治が前を歩いていた朝比奈を見つけた。
また迷いなく呼ぶ。
朝比奈が振り返った。
「健治君」
「軽音すごかったな!」
「うん」
朝比奈が頷く。
その声が少し弾んでいた。
「千紘も入る?」
「えっ」
分かりやすく固まる。
「俺はもう入るって決めた!」
朝比奈が少し笑った。
「健治君らしいね」
「だろ?」
「褒めてないだろ、それ」
「修二は黙ってろ」
俺は朝比奈を見る。
「朝比奈は?」
「え?」
「軽音。気になってるんだろ」
少しだけ間が空いた。
「……うん」
思っていたより、素直な返事だった。
けれど、すぐに視線が下がる。
「でも……私なんかが入っても、迷惑じゃないかなって」
「何で?」
「人前も苦手だし……ピアノも、小学校でやめちゃったし……」
「愛理沙先輩に誘われたんだろ?」
「……うん」
「なら迷惑じゃないだろ」
「そうそう!」
健治が横から入ってくる。
「俺なんてこの前初めてギター触ったんだぞ!」
「それ自慢することじゃないだろ」
「大丈夫ってこと!」
朝比奈がまた少し笑った。
「……そっか」
その顔を見ていると、昨日よりずっと話しやすくなった気がした。
翌日の昼休み。
俺は参考書を借りるため、図書室へ向かっていた。
音楽室の前を通りかかった時、歌声が聞こえた。
足が止まる。
「……?」
小さい。
でも、はっきり聞こえる。
音楽室の扉が少しだけ開いている。
前の授業のあと、閉め忘れたのかもしれない。
中を覗く。
窓際に、一人だけいた。
朝比奈だった。
誰もいない音楽室で、目を閉じて歌っている。
普段の話し声より、ずっと伸びやかだった。
大きな声じゃない。
それなのに、廊下のざわめきが聞こえなくなった。
愛理沙先輩の歌とは違う。
柔らかいのに、ちゃんと芯がある。
朝比奈は歌っている間、一度も俯かなかった。
俺はその場から動けなかった。
やがて歌が止まる。
朝比奈が息をついて、振り返った。
「……あ」
目が合う。
朝比奈がその場で固まった。
「か、神崎君!?」
「ごめん。驚かせた」
「い、いつから……?」
「途中から」
朝比奈の顔が一気に赤くなる。
「ご、ごめんなさい!」
「何が?」
「その……勝手に歌ってて……」
「別に悪いことしてないだろ」
「でも、聞かれてると思わなくて……」
両手で制服の裾を握っている。
本気で恥ずかしいらしい。
「朝比奈」
「……はい」
「歌。上手いな」
朝比奈が顔を上げた。
「……え?」
「上手かった」
「……ほんと?」
思わず出たみたいな声だった。
「おう」
「……」
しばらく何も言わない。
それから。
「ありがとう」
朝比奈は、ほんの少しだけ笑った。
昨日、体育館で遠くから見た笑顔とは違う。
今度は、俺に向けられた笑顔だった。
図書室に行くはずだったことを、しばらく忘れていた。




