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直進  作者: pino


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5/13

四 音

 和也先輩がギターをスタンドに戻し、部屋の奥へ歩いていく。


 そのままドラムセットの前に座った。


「え?」


 健治が目を丸くする。


「和也先輩、ドラムなんですか?」


「本職はこっち」


「ギターじゃないんですか!?」


「ギターも弾ける」


「何でもありじゃないですか」


「まあ見てろって」


 和也先輩が笑って、部室の中を見回した。


「愛理沙」


「はーい!」


「相馬」


「はい」


「黒沢」


「はいよ」


「俊也」


「ん」


 愛理沙先輩がマイクを手に取る。


 大輝先輩はギターを肩に掛け、俊也先輩はベースを構えた。


 雄介先輩は部屋の端に置かれたエレクトーンの前へ座る。


 そんなものが弾けるなんて、中学の頃は一度も聞いたことがなかった。


 好き勝手に喋っていた五人が、それぞれの場所につく。


 それだけで、部屋の空気が少し変わった。


「うわ……」


 隣で健治が小さく声を漏らす。


 朝比奈も、椅子に座ったまま五人を見つめていた。


 緊張していた表情は消えていない。


 それでも今は、膝の上で手を握ったまま、少しだけ身を乗り出していた。


「じゃ、いくぞ」


 和也先輩がスティックを構える。


 短いカウント。


 次の瞬間、ドラムの音が腹の奥まで響いた。


「……っ」


 思わず息を呑む。


 大輝先輩のギターが重なる。


 俊也先輩のベースがその下を支え、雄介先輩のエレクトーンが音に厚みを加えていく。


 そこへ、愛理沙先輩の歌声が乗った。


 同じ部屋のはずなのに、別の場所みたいだった。


 音が重なるたびに、空気まで揺れる。


 和也先輩の腕が動く。


 右手、左手、足。


 何をしているのか全然分からない。


 それなのに、一つ一つの音が全部、ほかの音とつながっていた。


 気づけば、和也先輩の手元ばかり見ていた。


 中学の頃、バスケットボールを持って走る姿なら何度も見た。


 でも今、目の前にいる和也先輩は、まるで知らない人みたいだった。


「すげぇ……」


 隣で健治が呟く。


 俺は何も言えなかった。


 音楽なんて、ほとんど知らない。


 何がどうすごいのか、説明だってできない。


 それでも、胸の奥が妙にざわついていた。


 最後の音が止まる。


 一瞬だけ静まり返った部室で、健治が勢いよく立ち上がった。


「かっけぇ!!」


「うるさっ」


 愛理沙先輩が笑う。


「やばいっす! 俺、ギターやります!」


「もう決めたの?」


「決めた!」


「早すぎだろ」


 俺が呆れている間に、健治は大輝先輩の前まで駆け寄った。


「大輝先輩、教えてください!」


「いいよ」


「即答!?」


「だって後輩増えるの嬉しいし」


「よろしくお願いします!」


「おう。……あ」


 大輝先輩が健治の顔を見る。


「やっぱ山ノ井って呼びにくいな。健治でいい?」


「全然いいっす!」


「じゃ、健治。まずコードからな」


「はい!」


 横から和也先輩が不満そうに口を挟んだ。


「おい。ギターなら俺も教えられるぞ」


「和也先輩、本職ドラムじゃないですか」


 大輝先輩があっさり返す。


「黒沢、お前な」


 すると、和也先輩が今度は俺を見る。


「神崎」


「はい?」


「お前、来い」


「え?」


 嫌な予感がした。


 和也先輩が立ち上がり、ドラムの椅子を軽く叩く。


「座ってみ」


「いや、俺はいいです」


「いいから」


「触ったことないですよ」


「だから触るんだろ」


「壊したらどうするんですか」


「壊れるほど叩けねぇよ」


 俊也先輩がぼそっと言った。


「俊也先輩……」


「事実だ」


 健治が横で肩を震わせている。


「笑うな」


「だって修二、ビビりすぎ」


「うるさい」


「ほら、座れって」


 和也先輩に促され、仕方なくドラムの前に座った。


「……近いな」


 少し離れた場所から見ていた時とは全然違う。


 目の前には、形も大きさも違う太鼓が並んでいる。


 その上には金属の円盤。


 足元にはペダル。


 どれをどう鳴らすのか、さっぱり分からない。


「ほい」


 和也先輩がスティックを差し出した。


 受け取ってみる。


 思っていたより軽い。


「持ってみ」


「こうですか?」


「力入りすぎ。そんな握ったら手ぇ痛くなるぞ。もっと軽く」


 言われた通り、少し力を抜く。


「……こう?」


「そうそう」


 和也先輩が目の前の太鼓を指差した。


「まずそれ叩いてみ」


「これ?」


「スネア」


「名前から覚えるんですか」


「当たり前だろ」


 恐る恐るスティックを振り下ろす。


 パンッ。


「……お」


 思っていたより大きな音が出た。


 もう一度。


 パンッ。


 和也先輩の音とは、全然違う。


 ただ叩いて、音が出ただけなのに、なんとなく、もう一度叩きたくなった。


「どう?」


 和也先輩が笑う。


「……まあ」


「かっこいいだろ?」


「ちょっとだけ」


「素直じゃねぇなぁ」


 健治が横から覗き込んでくる。


「修二、似合うじゃん!」


「二回叩いただけだろ」


「次、俺もやっていいですか?」


「お前、もうギターに決めたんじゃなかったのかよ」


「ドラムもやってみたい!」


「いいじゃん」


 和也先輩が笑う。


「うちの軽音部、自分の担当だけ弾ければいいってもんじゃないから」


 俺たちは和也先輩を見る。


「俺はドラムだけどギターも弾く。愛理沙は歌うけど、ギターもピアノもできる。俊也もギター弾けるし、相馬はピアノもできる」


「そんなにやるんですか?」


「全部上手くなれって意味じゃねぇよ」


 和也先輩が、俺の手からスティックを一本取った。


「バンドは全員で音楽を作るんだ」


 スティックの先で、大輝先輩のギター、俊也先輩のベース、雄介先輩のエレクトーンを順番に示す。


「だから、ほかの楽器を知るのも大事」


「……」


「ギターが何してるか。ベースが何してるか。ドラムがどこで入るか。そういうの分かってた方が、絶対面白いから」


「なるほど……」


 健治が真面目な顔で頷いている。


 和也先輩はスティックを俺に返した。


「まあ、やってみるのが一番早いけどな」


「和也先輩、ちゃんと先輩っぽいこと言うんですね」


「神崎、お前俺を何だと思ってんの?」


「彼女欲しくて軽音部に入った人」


「お前なぁ!」


 大輝先輩が声を上げて笑った。


 愛理沙先輩も口元を押さえる。


「いつも自分で言ってるじゃん」


「愛理沙まで……」


「それとこれとは別!」


 部室に笑い声が広がる。


 その中に、一つだけ小さな声が混じった。


「ふふっ」


 そちらを見る。


 朝比奈が笑っていた。


 初めて見た。


 目を細めて、口元に手を当てて楽しそうに笑っていた。


 目が合う。


 朝比奈の笑顔が少しだけ固まる。


「……何?」


「え?」


「今、俺見て笑ってただろ」


「ち、違っ……」


 一度言いかけて、朝比奈が小さく首を振った。


「……神崎君も、そういうこと言うんだなって」


「そういうこと?」


「さっきまで、ドラムの前ですごく困った顔してたのに」


「別に困ってない」


「……少しだけ、困ってました」


 朝比奈の口元が、また少し緩む。


「別にいいけど」


「え?」


「面白かったんだろ?」


「……はい」


「修二、初ドラムで女子に笑われてんじゃん」


 健治が嬉しそうに口を挟む。


「うるさい」


「なあ、千紘。修二めちゃくちゃ固まってたよな?」


「えっ」


 突然振られた朝比奈が目を泳がせる。


「ほら、千紘もそう思うだろ?」


「え、えっと……」


 しばらく困った顔をしていた朝比奈が、健治を見る。


「健治君、うるさいです」


「えっ!?」


 今度は健治が固まった。


 愛理沙先輩が真っ先に吹き出す。


「千紘ちゃん、言えるじゃん!」


「えっ……」


 朝比奈自身も驚いたように目を見開いた。


「すみ――」


 そこで、口を閉じる。


 少しだけ迷って。


 やがて、恥ずかしそうに笑った。


「……言えました」


「うん」


 愛理沙先輩が嬉しそうに頷く。


「その方がいいよ」


「ちょっと待って。俺だけ被害受けてない!?」


「お前がうるさいからだろ」


「修二まで!?」


 朝比奈も、今度は声を隠さずに笑った。


 俺はまだ、スティックを握ったままだった。


 もう一度だけ、目の前のスネアを軽く叩く。


 パンッ。


 乾いた音が部室に響く。


 さっきまで知らなかった音だった。


 その向こうで、朝比奈がまだ笑っていた。

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