三 軽音部
翌日の放課後。
「修二、行くぞ!」
「声でかい」
帰る準備をしていた俺の肩を、健治が勢いよく叩いた。
「昨日約束しただろ!」
「一回だけな」
「分かってるって!」
本当に分かってるのか。
どうせこいつのことだから、気になる部活を見つけるたびに寄り道する。
そんな予感はしていた。
そして、その予感は見事に当たった。
「お、野球部!」
「見てく?」
「うん!」
「お前が見たいなら勝手に見ろ」
次はサッカー部。
その次は吹奏楽部。
体育館の前ではバレー部の練習を覗き、グラウンドでは陸上部にまで足を止める。
「お前、全部見る気かよ」
「せっかくだし!」
「俺はせっかくだと思ってない」
「高校生活楽しもうぜ、修二!」
「勉強で十分楽しめる」
「それ言う高校生、お前くらいだと思う」
健治がまた廊下を歩き出す。
「そういや、バスケ部も見る?」
「俺はいい」
「ほんとに入らねぇんだな」
「昨日も言っただろ」
「確認!」
「何の」
「気が変わってないか」
「変わってない」
「そっかー」
好きじゃないわけじゃない。
中学の頃は、放課後になると先輩たちと駅の近くの公園でボールを追いかけていた。あの時間は、今でも覚えている。
それでも、決めたことは変えない。
健治は残念そうに言ったくせに、次の瞬間には別の部活を探して辺りを見回していた。
切り替え早すぎだろ。
その時だった。
廊下の奥から、ギターの音が聞こえた。
「……お?」
健治が足を止める。
俺もつられてそちらを見る。
短いフレーズだった。
一度途切れたあと、今度は少し違う音が続いた。
「なんか、かっこよくね?」
「そうか?」
「行ってみようぜ」
「帰るぞ」
「なんで!?」
「もう十分見ただろ」
「まだ一回もちゃんと入ってない!」
「充分歩いた」
「一分!」
「嫌だ」
「一分だけ!」
「……」
「修二!」
「分かったよ」
「よっしゃ!」
「一分だからな」
健治が音のする方へ走っていく。
廊下の突き当たり近く。
扉の横に、『軽音楽部』と書かれた札が掛かっていた。
「ここか」
健治が迷いなく扉を開ける。
「失礼しまーす!」
「お前、そういう時だけ勢いいいよな」
後ろから中を覗いた。
「お?」
ギターを抱えた男子生徒が振り返る。
一瞬、目を疑った。
「……神崎じゃん!」
「え?」
「山ノ井も!」
「和也先輩!?」
健治の声がひっくり返る。
そこにいたのは、中学のバスケ部で一緒だった橘和也先輩だった。
「マジか! お前ら麗丸来たんだ!」
「いや、それこっちの台詞ですよ!」
健治が和也先輩のギターを指差す。
「なんでギター持ってるんですか!?」
「似合うだろ?」
「そうじゃなくて!」
部室の奥から笑い声がした。
「相変わらずうるさいな、山ノ井」
声の方を見る。
「……雄介先輩まで!?」
「おー。久しぶり」
相馬雄介先輩が笑いながら手を上げた。
「え、ちょっと待ってください」
健治が二人を交互に見る。
「二人ともバスケ部じゃないんですか?」
「俺は中学で終わり」
和也先輩があっさり答える。
「なんで!? 和也先輩、めちゃくちゃ上手かったじゃないですか!」
「もっといいもん見つけた」
「もっといいもん?」
和也先輩がニヤッと笑う。
「バンド」
「……はい?」
「バスケよりモテそうじゃん?」
「そこ!?」
健治の声が部室に響いた。
「彼女欲しくて、入学してすぐ軽音入った」
「最低だー!」
「褒めんなって」
「褒めてません!」
部室の中から笑い声が上がる。
和也先輩らしい。
昔からこういう人だった。
「でも実際モテるぞ?」
「マジっすか!?」
「マジ」
「俺も入ろうかな……」
「単純だなお前」
「修二、バンドだぞ! モテるらしいぞ!」
「興味ない」
「お前はな!」
「山ノ井は分かりやすいな」
雄介先輩が苦笑する。
「雄介先輩は何で入ったんですか?」
「俺? 最初はバスケ部だったよ」
「やっぱり!」
「でも和也先輩が毎日のように誘ってくるから」
「人聞き悪いな」
「事実じゃないですか」
雄介先輩が笑う。
「最初は断ってたんだけど、何回かここに来てるうちに面白くなって。それで結局、こっちに移った」
「結果オーライ!」
「それ、和也先輩が言うんですか?」
「いいじゃん。今楽しんでんだろ?」
「まあ、それはそうですけど」
また笑いが起きた。
「で、こっちが黒沢大輝」
和也先輩が、窓際でギターのチューニングをしていた男子を指す。
「よろしく。大輝でいいよ」
「山ノ井健治です!」
「神崎修二です」
「知ってる知ってる。噂の新入生代表だろ?」
「……ここまで来てるんですか、その話」
「結構有名」
勘弁してくれ。
「黒沢も去年、見学来た時こんな感じだったよな」
「俺は山ノ井ほど騒いでないですよ、和也先輩」
「そうだっけ?」
「絶対違います」
「えー?」
「覚えてないだけじゃないですか」
大輝先輩が呆れたように笑った。
「で、あっちが俊也」
和也先輩の視線を追う。
部屋の端には、ベースを持った男子生徒がいた。
その先輩は、こちらをちらりと見る。
「西城俊也」
それだけ言って、またベースに目を落とした。
「愛想なさすぎだろ、俊也」
「うるさい、橘」
「こいつ昔からこんな感じだから気にすんな」
「お前に言われたくない」
「ほら、仲いいだろ?」
「どこがですか」
健治が笑った。
俺も、少しだけ口元が緩む。
思っていたより、変な部活だ。
もっと静かに楽器を練習している場所を想像していた。
実際は、誰かが喋って、誰かが笑って、途中で楽器の音が鳴る。
部室というより、放課後のたまり場に近い。
「和也ー」
その時、扉が開いた。
「ん? どうした、愛理沙」
振り返った和也先輩の向こうに、女子生徒が立っていた。
「おっ、見学者いるじゃん! 白石愛理沙です。よろしくね。」
「よろしくお願いします。」
「ねえねえこの子、軽音部が気になるんだって」
後ろに、もう一人。
「あ……」
思わず声が漏れた。
長い髪。
見覚えがある。
入学式の日。
風に飛ばされたプリントを拾った、あの女子だった。
向こうも俺に気づいたらしい。
一瞬だけ目が合う。
すぐに視線を伏せた。
「えっと……すみません……」
何で謝るんだ。
「ほら、入って」
愛理沙先輩が優しく笑って、その子の背中をそっと押した。
「大丈夫。みんな優しいから」
「は、はい……」
女子はおそるおそる部室に入ってくる。
そのまま小さく頭を下げた。
「朝比奈千紘です……」
朝比奈。
そういう名前なのか。
「よ、よろしくお願いします……」
「俺、山ノ井健治! よろしく、千紘!」
「えっ?」
朝比奈がぱっと顔を上げる。
「は、はい。よろしくお願いします、山ノ井君」
「山ノ井君って硬っ! 健治でいいよ!」
「えぇっと……」
明らかに困っている。
健治、初対面なんだから少し加減しろ。
「じゃ、じゃあ……健治君で」
「おう! それでいい!」
満足そうに笑う健治。
朝比奈はまだ少し戸惑っていた。
「神崎修二です」
また目が合った。
「この前は……ありがとうございました」
「ああ、プリント」
「はい……」
「別に。足元に飛んできただけだし」
「……はい」
会話が終わった。
と思った瞬間、和也先輩が後ろから顔を出してきた。
「神崎、この子と知り合い?」
「いや違います」
朝比奈の表情が曇る。
「す、すみません……!」
「いや、違うってそういう意味じゃなくて」
「え?」
「入学式の日にちょっと会っただけ」
「……はい」
「だから謝らなくていいだろ」
「す、すみませ――」
朝比奈が口を閉じた。
部室が一瞬、静かになる。
そして健治が吹き出した。
「今また謝ろうとしただろ!」
「……!」
朝比奈の顔が一気に赤くなる。
愛理沙先輩も、くすっと笑った。
「ほら。言ったでしょ? みんな優しいから」
「は、はい……」
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
「はい」
今度はちゃんと謝らなかった。
「俺、橘和也。よろしくな、朝比奈」
「相馬雄介です。そんな固くならなくていいから」
「黒沢大輝。お菓子食べる?」
「えっ」
「黒沢、お前いつの間に持ってきたんだよ」
「さっき買ったんですよ、和也先輩」
「俺にもくれ」
「嫌です」
「なんで!?」
最後に、俊也先輩が朝比奈を見る。
「立ってると疲れるぞ」
「……はい!」
朝比奈は慌てて空いていた椅子に腰を下ろした。
さっきまで赤かった顔が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。
「せっかく見学が三人も来たしさ」
和也先輩が手を叩く。
「一曲やるか」
「マジですか!?」
真っ先に健治が食いついた。
「もちろん」
和也先輩は楽しそうに笑う。
「軽音部がどんなとこか、見せてやるよ」




