二 一回だけ
入学して数日。
教室も、先生も、周りにいるやつらも、まだ知らない顔の方が多い。
――なのに、俺の名前だけはやたらと知られていた。
「ねえ、神崎君ってどの人?」
廊下から聞こえてきた声に、俺はパンを食べる手を止めた。
「ほら、窓側の」
「あ、あの人?」
「そうそう。入学式で新入生代表やってた人」
聞こえてる。
全部。
顔を上げる気にもならず、そのままパンをかじった。
「……また来てるぞ」
向かいの席から、健治がニヤニヤしながら言う。
「知らねぇよ」
「今日何組目?」
「数えてねぇ」
「俺は数えてる」
「暇なのかよ」
「午前中だけで四組」
「だから何で数えてんだよ」
入学式の翌日から、こんな調子だった。
最初は同じ一年の女子だけだった。
休み時間になると、教室の前を通るついでみたいな顔をして中を覗いていく。
それがいつの間にか、上級生にまで広がっていた。
新入生代表なんて、別に大したことじゃない。
名前を呼ばれて、壇上で紙を読んだだけだ。
それなのに、なぜかそこから噂になったらしい。
「新入生代表で、頭良くて、背も高くて、顔もいい」
健治が指を一本ずつ立てていく。
「うるせぇ」
「しかも医者志望」
「それは関係ないだろ」
「女子的にはポイント高いんじゃね?」
「どうでもいい」
「あと中学では生徒会長」
「……お前、俺の個人情報広めてないだろうな」
「失礼な! 俺が喋ったのはバスケ部のことくらいだ!」
「喋ってんじゃねぇか」
睨むと、健治が笑いながらパンの袋を開けた。
「そういや修二」
「ん?」
「お前、バスケ部は?」
「入らねぇよ」
「は?」
健治の手が止まった。
「なんで!? お前、バスケ好きだろ」
「好きだけど、高校ではやらない」
「お前、中学でキャプテンまでやってたじゃん!」
「最初は部活強制だったから、なんとなくバスケ選んだだけだし」
「なんとなくでキャプテンまでなるか普通?」
「やるならちゃんとやるだろ」
「いや、その結果がキャプテンなんだって!」
近くにいた男子まで笑い出した。
健治がすかさず続けた。
「でも結局、バスケ好きになってたじゃん」
「まあな」
「じゃあ続けろよ! 上手かったのにもったいな!」
「もう十分やった。高校では勉強優先する。バスケやるなら、中途半端にはやりたくないし」
「あー……」
健治が妙に納得した顔で頷いた。
「そういうとこだよな、お前」
「何が」
「何でもない」
意味が分からない。
「じゃあ高校では部活なしか?」
「そのつもり」
「三年間ずっと?」
「勉強する」
「出た」
「何が」
「医者になる男」
「悪いかよ」
「悪くはないけどさぁ」
健治が椅子の背にもたれた。
「お前はどうすんだよ。バスケ部」
「俺?」
「お前も好きだろ」
「好きだけど、まだ決めてねぇ。バスケ部も見るけど、せっかくだから他も見てみたい」
「好きにしろ」
「修二も見ようぜ」
「何で俺まで行くんだよ」
「一人じゃつまんねぇ」
「俺を巻き込むな」
「冷たっ」
その時、教室の入り口から遠慮がちな声がした。
「あの……」
反射的にそちらを見る。
一年の女子が二人、入口に立っていた。
目が合った瞬間、片方が固まる。
「あ、神崎君……ですよね?」
「そうだけど」
「やっぱり!」
なぜか二人で顔を見合わせた。
「入学式の新入生代表の……」
「うん」
「あの……写真、お願いしてもいいですか?」
「写真?」
「一緒に……」
そこまで言って、もう一人の女子が耳元で何か囁く。
二人とも一気に顔を赤くした。
何なんだ。
「いいけど」
「ほんとですか!?」
声でか。
結局、教室の入り口で三人並んで写真を撮った。
「ありがとうございます!」
「失礼しました!」
二人は来た時と同じ勢いで去っていった。
席へ戻ると、健治が机に突っ伏して震えていた。
「……何笑ってんだよ」
「いや……っ、お前……」
「何だよ」
「『いいけど』って! あっさり撮るんだ!」
「断る理由ないだろ」
「そういう問題じゃねぇよ!」
周りの男子まで笑っている。
「神崎、お前すげぇな」
「もうファンクラブできるんじゃね?」
「いらねぇよ」
「三年の先輩も見に来てたらしいぞ」
「暇なのかよ」
「全学年制覇じゃん」
「何を制覇してんだ」
また笑い声が上がった。
入学したての頃は、少し遠巻きに見てくるやつも多かった。
新入生代表だの推薦だの、そういう話だけが先に回って、勝手に堅いやつだと思われていたらしい。
「神崎ってもっと怖いやつかと思ってた」
同じクラスの男子にそう言われて、さすがに首をかしげた。
「何で」
「だって入学式でめちゃくちゃ堂々としてたし」
「書いてあるの読んだだけだろ」
「しかも女子に囲まれても平然としてるし」
「囲まれてねぇよ」
「いや、囲まれてる」
周りから一斉に言われた。
納得いかない。
別に何かしたわけじゃない。
ただ学校へ来て、授業を受けて、飯を食っているだけだ。
知らないやつと話す。
知らない教室で笑う。
高校生活なんて、案外こんなものなのかもしれない。
放課後。
帰る準備をしていると、健治が一枚の紙を俺の机に置いた。
「修二」
「何だよ」
「部活見に行こうぜ!」
「嫌だ」
「即答!?」
机の上を見る。
部活動紹介と書かれたプリントだった。
「昼も言っただろ。俺は部活やらない」
「入れとは言ってない!」
「じゃあ何だよ」
「見るだけ!」
「一人で行け」
「嫌だ!」
「なんで」
健治は真顔で答えた。
「迷子になる」
「高校で迷子になるな」
「まだ入学したばっかだぞ!」
「胸張って言うな」
「頼む! 一回だけ!」
「嫌だ」
「修二ぃー」
「気持ち悪い声出すな」
「じゃあ明日! 明日だけ!」
鞄を肩に掛ける。
健治はまだこっちを見ている。
たぶん、断っても明日また同じことを言う。
中学三年間で、それくらいは分かっていた。
「……一回だけな」
「よっしゃ!」
「見たら帰るからな」
「分かってるって!」
満面の笑みを浮かべる健治を見て、俺は小さくため息をついた。
部活に入るつもりはない。
勉強以外のことに、三年間を使うつもりもない。
見るだけだ。
見たら、帰る。




