十一 日曜日
午前十時の十分前。
駅前の駐輪場に自転車を止めると、健治がもう待っていた。
「遅い!」
「まだ十分前だろ」
「待ってた!」
「早く来すぎんなって言ったよな」
「待ちきれなかった!」
「ガキかよ」
「うるせー! 今日はいいんだよ!」
健治はさっきから、妙にそわそわしている。
「金、ちゃんと持ってきたか」
「持ってきた!」
「昨日数えた?」
「三回!」
「何で三回」
「途中で分かんなくなったから」
「意味ねぇじゃん」
「最後は合ってた!」
ほんとかよ。
改札の方を見る。
ちょうど電車が着いたらしく、人が何人か出てきた。
「あ」
健治が手を上げる。
「千紘!」
朝比奈がこっちに気づいた。
白いワンピースに、小さなショルダーバッグ。
制服じゃない朝比奈を見るのは、初めてだった。
「おはよう」
「おはよ!」
「……おはよう」
「うん。おはよう」
「千紘、私服だ!」
「日曜日だもん」
朝比奈が少しだけ自分の服を見下ろす。
「白い!」
「見れば分かるよ」
「似合ってる!」
「……ほんと?」
「うん!」
「そっか」
朝比奈がもう一度、ワンピースの裾を見る。
「修二も何か言えば?」
「何で俺が」
「いいだろ別に」
「うるせぇ」
朝比奈がこっちを見た気がした。
俺は何も言わなかった。
「よし!」
健治が改札を指さす。
「行こう!」
「朝比奈、今出てきたばっかだけど」
「大丈夫」
「じゃあ行くぞ!」
朝比奈が出てきたばかりの改札へ、三人で戻った。
電車を降りると、地元の駅よりずっと人が多かった。
「でかいな」
健治が辺りを見回す。
「店どこ?」
「駅ビル」
「何階?」
「ちょっと待て」
健治が大輝先輩にもらったメモを取り出す。
「……上」
「何階だよ」
「書いてある!」
「最初から見ろよ」
「今見てるだろ!」
エスカレーターで上の階へ向かう。
着いた先は、ほとんど一フロア全部が楽器売り場になっていた。
「……すげぇ」
健治の足が、ほんの一瞬止まる。
ギターだけでも、見える範囲に何十本も並んでいた。
「修二」
「何」
「俺、今日ここに住みたい」
「帰るぞ」
「まだ何も見てない!」
「じゃあ行けよ」
「行ってくる!」
「犬かよ」
健治はさっそくギターの並んだ方へ歩いていった。
「健治君、本当に楽しみにしてたんだね」
「会った時からずっとあれ」
「昨日、眠れたのかな」
「知らん」
俺たちも後を追う。
健治は値札を一枚ずつ確認しながら、棚を見ていた。
前に駅前の店へ行った時みたいに、値段も見ずに高いギターへ手を伸ばしたりはしなかった。
しばらくして店員に声をかけ、予算を伝えて何本か出してもらっていた。
「持ってみてもいいですか?」
「もちろんです」
ストラップを肩にかける。
健治はすぐに左手をネックへ添えた。
覚えたばかりのコードを押さえる。
鳴らした音は、少し濁った。
「あれ」
「指」
朝比奈が言う。
「分かってる!」
健治が押さえ直す。
もう一度。
今度はさっきより、ちゃんとした音が鳴った。
「お」
健治の顔が明るくなる。
それから何本か持ち替えて、重さやネックの握りやすさを確かめていく。
いつもの健治にしては、妙に静かだった。
店員の説明も、ちゃんと聞いている。
「……これにします」
最後に持ったギターを見ながら言った。
「もう決めたの?」
朝比奈が聞く。
「うん」
「早くない?」
「いっぱい触った!」
「十分くらいだろ」
「俺には十分!」
そう言って笑ったあと、健治はもう一度ギターを見る。
その顔は、ふざけていなかった。
「これ、お願いします」
初めて、自分のギターを買う。
店員に渡す時まで、健治はずっと嬉しそうだった。
「神崎君は、見に行かないの?」
「何を」
「スティック」
朝比奈が当たり前みたいに言った。
「……行く」
ドラム用品の売り場へ向かう。
スティックの棚だけで、駅前の店の何倍もあった。
「いっぱいあるね」
「多すぎて分かんねぇ」
「持ってみたら?」
「そうする」
何本か取り出して、一本ずつ握る。
太さも、重さも少しずつ違う。
その中の一本を持った時、手が止まった。
駅前の店で一度握って、そのまま棚に戻したもの。
あれと同じくらいの重さだった。
軽く振ってみる。
もう一度、握り直す。
「それ?」
朝比奈が聞く。
「……うん」
「買うの?」
「たぶん」
「たぶん?」
「他も見る」
「うん」
何本か比べた。
結局、最初に手を止めたものをもう一度取る。
「やっぱこれ」
「そっか」
朝比奈がスティックを見る。
「何?」
「神崎君、自分の買うんだなって」
「部室の借りてもいいんだけど」
「うん」
「まあ、自分のあってもいいかなって」
「そっか」
「何だよ」
「別に」
思わず朝比奈を見る。
「……それ、俺の真似?」
「どうかな」
朝比奈はとぼけた顔で、目をそらした。
「朝比奈は?」
「私?」
「何か見ないの?」
「楽譜見たい」
「じゃあ行けば?」
「うん」
朝比奈は楽譜の並ぶ棚へ向かっていった。
俺は手元のスティックをもう一度見る。
それから、そのままレジへ持っていった。
店を出る頃には、昼を過ぎていた。
買ったギターはソフトケースに入れてもらい、健治が背負っている。
「重い」
「もう後悔してんの?」
「してない! 重いけど、これがいいんだよ!」
「どっち?」
朝比奈が首をかしげる。
「いいんだよ!」
「そう」
「絶対分かってないだろ!」
近くのファストフード店に入り、健治はギターケースを倒れない位置に置いてから席についた。
それでも何度か横を確認している。
「幸せだー!」
ハンバーガーを持ったまま、健治が言った。
「それ、ハンバーガー?」
「ギター!」
「だと思った」
「帰ったらずっと弾く」
「ほどほどにしとけよ」
「修二に言われたくない」
「何で」
「お前、勉強ずっとやってるじゃん」
「勉強と一緒にするな」
「一緒だろ。好きでやるなら」
「……」
言い返そうとして、やめた。
「神崎君も買ったね」
朝比奈がテーブルの横に置いた袋を見る。
「スティックだけだけど」
「でも、自分のだよ」
「……まあ」
「千紘は何も買わなかったな」
健治が言う。
「今日は見るだけ」
「次は?」
「楽譜なら買うかも」
「じゃあまた来よう!」
「うん」
健治が俺を見る。
「修二もな」
「……スティックが折れたらな」
「折る気かよ!」
「使ってたら折れるんだよ」
「じゃあいっぱい叩け!」
「何でお前に言われなきゃなんねぇんだ」
「早く上手くなれってこと!」
「お前もな」
「俺は今日からめちゃくちゃ練習する!」
「指つぶすなよ」
「大丈夫!」
「その返事、部室でも信用されてなかったよね」
朝比奈が言う。
「千紘、覚えてたの!?」
「うん」
「忘れて!」
「無理」
健治は何か言い返しながら、また隣のギターケースに目をやる。
朝比奈は、そのたびにおかしそうに目を細める。
今日はまだ、一ページも参考書を開いていない。
こんな日曜日も悪くないと思った。




