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直進  作者: pino


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13/13

十二 MUSE

 放課後。


 ドラムの練習をしていると、和也先輩が俺の前で立ち止まった。


「神崎」


「はい」


「次の日曜、空いてるか?」


 買ったばかりのスティックを、膝の上に置く。


「日曜ですか?」


「そう」


「空いてますけど」


「よし」


 和也先輩が少し離れたところへ顔を向けた。


「山ノ井!」


「はい!」


「朝比奈!」


「はい」


「お前らは?」


「空いてます!」


「私も大丈夫です」


「じゃあ三人とも、日曜は空けとけ」


「何があるんですか?」


 健治がすぐに食いつく。


「ライブですか!?」


「違う。手伝い」


「手伝い?」


「MUSEってライブハウス。知ってるか?」


 聞いたことはなかった。


 健治も朝比奈も首を横に振る。


「親父の高校の同級生がやってるんだよ。うちの軽音部も昔から世話になってる」


「へぇー!」


「今度の日曜、ライブがあるから準備手伝ってくれって」


「何するんですか?」


「掃除とか、椅子並べたりとか。雑用」


 健治の顔から、一瞬だけ期待が消える。


「雑用……」


「終わったら、何か飲ませてくれるぞ」


「行きます!」


「安いな、お前」


 和也先輩が笑った。


 朝比奈も隣で笑っている。


「朝比奈も大丈夫か?」


「はい。行ってみたいです」


「よし」


「千紘ちゃん」


 愛理沙先輩が手を振る。


「私もいるから、一緒にやろ」


「はい」


 朝比奈の返事が少し明るくなった。


 俺は膝の上のスティックを持ち直す。


 ライブハウス。


 一度も入ったことのない場所だった。






 日曜日。


 地元駅で朝比奈と合流して、健治と三人でMUSEへ向かった。


 駅前の通りを抜け、普段は入らない細い路地へ曲がる。


「ほんとにこっち?」


「和也先輩のメモだと、この辺」


「二人とも地元なんだよね?」


 朝比奈が聞く。


「この路地は入ったことねぇよ」


「俺も!」


「二人とも知らないんだ」


「用事ないしな」


「あ」


 朝比奈が立ち止まる。


「あれじゃない?」


 小さなビルの入口。


 階段の上に、黒い看板が出ていた。


『LIVE HOUSE MUSE』


「ここだ!」


 健治が先に階段を覗き込む。


「地下じゃん!」


「だから階段なんだろ」


「秘密基地みたいじゃん!」


 薄暗い階段を下りていく。


 途中から、空気が少し変わった。


 機材の匂いなのか、建物の匂いなのか分からない。


 重い扉を開けると、正面にステージがあった。


 その上にドラムセットとアンプ。


 天井にはいくつもの照明。


 まだ誰も座っていない客席。


 階段でずっとしゃべっていた健治が、そこで黙った。


 学校の音楽室とも、部室とも違う。


 朝比奈は扉の前に立ったまま、天井の照明を見上げていた。


「おーい」


 愛理沙先輩が両手を振ってこちらを呼んでいる。


 隣に和也先輩もいた。


「迷わないで来れたか?」


「はい!」


 健治が即答した。


「いやちょっと迷っただろ」


 俺が言う隣で朝比奈が笑っていた。






「おう。来たか」


 奥から低い声がする。


「トモさん」


 和也先輩が手を上げる。


「和也、そいつらが今年の一年か」


「そう」


「神崎修二です」


「山ノ井健治です!」


「あ、朝比奈千紘です」


「修二、健治、千紘な」


 大きな体に、黒いTシャツとエプロン。


 見た目は少し怖そうなのに、目元は笑っていた。


「俺はトモ。よろしくな」


「よろしくお願いします!」


 健治だけ返事がでかい。


 トモさんが笑った。


「元気なのはいいな」


「はい!」


「じゃあ、健治。椅子、あっちから並べてくれるか」


「はい!」


「修二は和也とステージ周り。ポスターも貼り替えたい」


「分かりました」


「千紘は愛理沙と受付頼む」


「はい」


「千紘ちゃん、こっち」


 愛理沙先輩が手招きする。


「はい!」


 それぞれが散っていく。


 ステージへ上がった。


 目の前にあるドラムセットへ、つい目がいく。


「神崎」


「はい」


「見てないで、これ持て」


「……はい」


 和也先輩からポスターを渡される。


「気になる?」


「ちょっと」


「あとで見ればいい」


「触っていいんですか?」


「勝手には触んなよ」


「分かってます」


 言いながら、壁の古いポスターを剥がした。


 掃除をして、椅子を並べて、受付の準備をする。


 思っていたより、やることは多かった。






 全部終わる頃には、かなり時間が経っていた。


「終わった……」


 健治がソファへ沈む。


「疲れた……」


「若いのに情けねぇな」


 トモさんが笑いながら冷蔵庫を開ける。


「ほら。好きなの飲め」


「コーラ!」


「即答だな」


「修二は?」


「お茶で」


「千紘は?」


「オレンジジュース、ありますか?」


「あるぞ」


「ありがとうございます」


 愛理沙先輩と和也先輩も飲み物を受け取る。


 トモさんが紙コップを持ち上げた。


「お疲れ」


「お疲れさまでした!」


 健治がコーラを一気に飲む。


「うまっ」


「働いたあとはうまいだろ」


「はい!」


 トモさんが空いた椅子に腰を下ろす。


「まあ、ライブなくても来たきゃ来ていいからな」


「いいんですか?」


 健治が聞く。


「いいよ。うち、軽音部の連中は昔からよく来るし」


「へぇ」


「音楽聴きたい時でも、学校帰りに暇な時でも」


 そこで一度、言葉を切った。


「何かあって、行くとこない時でもな」


 トモさんは、何でもないことみたいに言った。


「高校生に酒は出せねぇけど、ジュースくらいなら出してやる」


「じゃあ毎日来ます!」


「毎日来るなら働け」


「はい!」


「そこは返事するのかよ」


 和也先輩が言って、みんなが笑う。


 俺も笑った。


 トモさんに会ったのは、今日が初めてだった。


 なのに。


 ――行くとこない時でも。


 その一言だけが、笑い声と一緒に流れていかなかった。






 しばらくすると、ステージの方から音がした。


 ドン、と低い音。


 全員がそっちを見る。


「始まったな」


「何がですか?」


「今日出るバンドのリハ」


 トモさんが答える。


「見てていいぞ。邪魔しなきゃな」


「マジですか!」


 健治が真っ先に立つ。


 ステージでは、さっきまで何も鳴っていなかった楽器の前に人がいた。


 ギター。


 ベース。


 ドラム。


 マイク。


 一つずつ音を確かめていく。


 全部が一度に鳴った瞬間、さっきまでの静かな店とは別の場所になった。


 部室で聞くドラムとは、音の大きさがまるで違う。


 健治は黙ってステージを見ている。


 朝比奈は、マイクから目を離さなかった。


「……かっけぇ」


 健治が呟く。


 朝比奈が小さく頷く。


 それから少しして。


「修二」


「ん?」


「俺、ここでライブしたい」


 ステージを見たまま言った。


 いつもの勢いだけの声じゃなかった。


「そうか」


「絶対やりたい」


「うん」


「神崎君」


 反対側から朝比奈に呼ばれる。


「何?」


「私も」


 朝比奈もステージを見ていた。


「ここで、歌ってみたい」


「……そっか」


「うん」


 もう一度、ステージを見る。


 照明の下で、ドラマーがスティックを振り下ろす。


「神崎君は?」


「俺?」


「うん」


 少し考える。


 ここでドラムを叩く自分なんて、まだ想像もできない。


「……まあ。叩けるなら」


「おお!」


 健治がこっちを向いた。


「修二が言った!」


「うるせぇ」


 朝比奈が笑う。


 ステージから、もう一度ドラムの音が響いた。


 今度はさっきより少しだけ、近く聞こえた。

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