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黄昏の華  作者: 奥村 葵
第二章 怪異
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ep9.善意

 目の前の扉以外に道はないか血眼になって探してみるが、そんなものは見当たらない。窓もあるにはあるが、一目で開かないことが分かるほど損傷が激しい。

 出られないならどうすればいい……、とりあえず隠れるべきか——。そう考え、扉から死角になりそうな場所を探す。すると、さっき見かけた遺体のあたりが机の陰になっていることに気がついた。

 気は進まないし、何より申し訳ない気持ちも浮かんでくるが、この際仕方がない。

 俺は腰を下ろしたまま、足音を殺しながら遺体のそばへと隠れた。

 そうしていると、俺が捕まっていた椅子が突然起き上がった。驚く声を両手で堰き止めながら見ていると、そこにさっきの男がそっと座らされ、手足を縛られるのが見えた。


「うぅ……」


 男の呻き声がする。どうやら息はあるらしいが、気を失っているのかかなり弱々しい。

 さっき俺が体験したものは、きっとコレだろう。

 いつア(・)イ(・)ツ(・)が現れるか、怯えながら構えていると、男が意識を取り戻した。


「……な、なんだよコレ」

「大丈夫ですか」

「てめえ、さては嵌めやがったな……」

「え?」


 勘違いをされているらしいが、今はそれを訂正する時間はないだろう。ここじゃ、いつ何が起こるかわからない。さっきみたいに突然襲われることになりかねない。


「おい、なんとか言えよ」


 捲し立てるように男は言うが、その裏にある怯えが声に滲んでいる。

 自由が利く今、俺はこの男からも、アイツからもすぐに逃げられる。それだけならすぐに逃げようと思った。

 だが、このまま逃げたら、この男はどうなるんだ。


 殺されても文句を言えない人だということは、少ないやり取りでもわかってしまう。だけどそれを良しとしていいのだろうか。怪異監視庁だかなんだか知らないが、人としてそれは違う気がする。だったら——


「ほんと、ごめんなさい!」

「は?おいッ——!」


 俺は、さっきやられたように椅子を思いっきり蹴飛ばし、男ごと床に転がした。


「てめえ、何しやがんだ!」

「いってぇええ……!」

「だから答えろっつってんだろ!?」


 あまりの衝撃に、蹴り上げた足を抱えて蹲る。椅子を蹴るのがこんなにも痛いとは思わなかった。


「俺と同じ状況にすれば、椅子から離れると思ったんです……、いててて……」

「…………」

「手……、どうですか」


 数秒の沈黙の後、男はゆっくりと床に伏し、そのまま立ち上がった。どうやら手足の縛りはなくなったらしい。


「……どういう原理だよこれ、それにさっきのアイツ——」

「今は時間が惜しいです、すぐに出ましょう」


 助ける価値だとか、義理だとか、俺は賢くないからそんなものに頼れない。ならせめて、その時正しいと思ったことをやるべきだ。


「ここから出口までのルートって知ってますか」

「……そこの扉を曲がって、まっすぐだ」


 ……つまり、怪異の居る方に出口があるらしい。


「……俺が先に行きます、着いてきてください」

「…………」


 いやに大人しいのが引っかかるが、そんな事を気にしていられない。

 足音を立てないよう、少しずつ扉へと向かう。そこから吹き込む風は妙に生暖かいが、臭いはまるで感じない。というより、既に鼻が機能していないのだろう……。


 顔をそっと覗かせて、廊下の様子を窺うが、それらしい影は見当たらない……。足音も、液体の音も今は聞こえない。動くなら今のうちだ——


「うわッ——」


 背中に強い衝撃が走り、俺は廊下に放り出される。直後、大きな足音を立てながら男が俺の上を飛び越えていった。


「トロくせえんだよ、お前だけ捕まってろ!」

「え、えッ……!?」


 助けた恩を返せとは言わないが、あまりの身勝手さに絶句してしまう。助けなければよかったと思うわけではないが……。


 清々しいほどの逃げ足に、奮い立っていた自分を恥ずかしく思っていると、再び男の悲鳴が聞こえた。

 今ならまだ間に合うかもしれない、そう思うと同時に走り出した。


 暗い廊下のすぐ突き当たりを曲がると、玄関にやってきた。だがそこには——


「お、お前……、コレ、なんだよ……!」


 目の前の壁が、繊維のような細長いもので埋め尽くされていた。真っ黒で、そしてほんのりと艶がある。恐る恐る近づくと、それは髪だった。

 その髪が、玄関の扉をバリケードのように覆い尽くしていた。


「……〝帰さない〟って意味……か?」

「ふ、ふざけんなよ!こんなもん——ッ!」


 男は苛立ったように、力強く扉を蹴り付ける。凄まじい音が響くが、まるでびくともしない。


「畜生、何がどうなってんだよ……!」

「わかりません……」


 異常な光景に、自分が今見ている世界は本物なのかすら怪しくなってしまう。


「……あれ、じゃあ、森のコックさんはどこに……?」


 ただなんとなく思ったことを口にしただけだったが、それを理解すると、じわじわと凍てつくような寒気が足元から這い上がってきた。


「……ならてめえが探しに行けや!」


 腕を強引に掴まれ、そして廊下の曲がり角へと突き飛ばされる。すぐに周りを見渡すが、幸いここにはいないらしい。


「良かったじゃねえか、森のコックさんに会えるチャンスだろ!?」

「そんなこと言ってる場合じゃ——」

「黙れ!さっさとここから出せ!」


 俺が黙ったのは、言葉を被せられたからじゃない。男の背後にある、扉を覆った髪がざわめき立っているのに気がついたからだ——

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