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黄昏の華  作者: 奥村 葵
第二章 怪異
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ep7.森のコックさん

 舞さんは、俺が道中でほぼ気絶していたことを知って、改めて怪異の説明をしてくれた。


 体現型――つまり噂話などから生まれる怪異。霧猫と同じ分類だそうだ。ただコイツと決定的に違うのは、怨恨性と呼ばれるもので、簡単にいえば危険度の高い存在ということらしい。

 現に、この山に入った人間が数人行方不明となっているそうだ。

 そして一番の問題は、その怪異は〝森のコックさん〟と呼ばれ、既に名前を得てしまっているということだ。


「〝森のコックさん〟……。料理でも出すんですか?」

「らしいよ〜。噂によると〝眼球スープ〟が有名なんだって〜」


 それが何かはわからないが、多分想像通りのものだろう……。あまり考えたくはない。


「意外だね、すんなり受け入れるんだ」

「まあ霧猫がいますからね……」

『怪異とやらもいろいろいるらしいな。しかし眼球スープか……。ふむ、興味深い』

「興味持つなよ気色悪い……」


 やはりというか、ご機嫌な様子の霧猫は、尻尾を立てたままどんどん奥へと進んでいく。

 しかし、ある地点でぴたりと足を止めた。

 どうしたのかと声をかけようとすると、霧猫の方から振り返って『臭い』と言った。


「臭いって……、別に何も匂わないけど」


 いくら鼻を利かせようとも、匂わないものは匂わない。森の緑と土の匂いが全身を覆っていることしかわからない。


『なんとも形容し難い臭い……。腐った臭いとでも言うのか?とにかく不快だ』


 舞さんは納得したように、霧猫の方へと向かう。


「多分だけどさ〜。それ、腐乱臭じゃない?」

『ほう』

「……腐乱臭って?」

「この先遺体があるってこと〜」


 聞き間違えたかと思い、二、三度目を瞬(しばたた)かせる。しかしいくら反芻しても「遺体」としか聞き取れない。


「一線超えちゃったってことかな」

「……つまり?」

「調査優先だけど、最悪処理も検討しなきゃだねぇ」


 その何もかもを包み込むような笑みのまま言われてしまうと、身慄いをしてしまう。舞さんはやっぱり怖い人なのだろうか……。もはやわからない。


「とはいえ、怪異が原因と決まったわけじゃないからね〜。単に思い詰めた人の成れ果てかもしれないし」

「それはそれで怖いんですけど……」


 先に進む足が止まってしまう。俺は今、流れのままここまでやって来たが、これ以上進む心意気がないことを自覚した。

 自分には縁のないと思っていた〝死〟が、歩いてすぐのところに鎮座している——。その実感がじわじわと恐怖心を煽り、やがて生暖かい汗となって額を伝った。


「舞さん、ちょっと怖がらせすぎ」

「あちゃ〜……、ごめんね、無配慮だったよ……」

「いや、まあ……、大丈夫です。俺が行くって言ったんですから」


 それを聞いて安心したのか、舞さんはゆっくりと前へと歩き始めた。

 着いていくしかない。俺はなけなしの勇気を振り絞って、足を前へと運ぶ。一歩一歩に緊張したのは、生まれて初めてだった。


『……臭い』

「我慢して……」

『むう……』

「仕方ないなぁ……」


 嫌がる霧猫をそっと抱き上げ、そのまま頭の上へ乗せてみた。


「これならどう?まだ臭う?」

『うむ、許容できる』

「よし、行こうか」

『あまり気は乗らないがな……』


 初めて文句を垂れる霧猫は新鮮だった。

 頭に霧猫を乗せたまま、森の奥へと続く獣道に足を踏み入れた——


 ◆◆◆


 木の枝を踏み、虫を追い払い、藪を掻き分けて進む。しばらくすると、少し開けた場所へと出て来た。


「気をつけて、この下崖だよん」


 そう言われて立ち止まると、十数メートル程の崖が眼下に待ち構えていた。


「みっけ。あれが目標だね」


 舞さんが指を向けた方に、ペンションが建っていた。

 しかし話通りかなり朽ちていて、屋根も一部は穴が空いているらしく、真っ黒な闇を覗かせていた。


「雪乃ちゃん、いるかな」

「うん、居るよ」

「何か言ってる?」

「言ってるというか……、〝どこ?どこ?〟って感じね」

「ふぅ〜ん……」


 初めて会った時から感じていた、雪乃さんの違和感がさらに増した。この人、何故か確信したように話している。

 単に言葉を汲み取ったとか、そんなふうに思っていたが、今のコ(・)レ(・)は絶対におかしい。


「おい、始」


 雪乃さんの目線が突然俺へと向いた。


「今は余計なこと考えないで。また今度話すから」

「……わかりました」


 やっぱり何か変じゃないか——とは思うが、確かに雪乃さんの言うとおりだ。今は怪異に集中するべきだろう……。


「とりあえず、あのペンションに入るって感じですか」

「いやぁ、まずは観察——」

「待って!」


 舞さんの言葉を、雪乃さんが唐突に遮った。


「移動した……。今探してる、気をつけて」

「……みんな、集まろうか」


 場の空気が張り詰めたことを肌で感じる。風と葉の擦れる音、虫のさざめきだけがこの場を埋め尽くす。

 街灯ひとつ無い、月明かりだけが照らす足元を丁寧に歩いていると、黒い帯状の何かが俺の足の間を縫ったのが見えた。

 蛇か何かと思った矢先、突然それは足にまとわりつく。そして——


「うわああッッ——」

「始ッ!」


 雪乃さんの叫び声も虚しく、俺は抵抗できない程の強い力に引き摺られた。

 何も見えない真っ暗な闇、身体中をそこかしこにぶつけながら、ただひたすら、延々と土の上を転がされた…………


 ◆◆◆


 身体中の痛みで目を覚ますと、強烈な刺激臭が鼻を劈いた。

 本能的に手で覆おうとするも、手が何かに捕まって身動きが取れない。いや、手だけじゃない。体も、足も、なんなら手首足首すら動かない。

 姿勢は座っているらしいが、全身の動きが何故か封じられていた……。


「く、臭ッ……、なんだ、コレ……」


 呼吸をしたい。だが臭くて息が吸えない。

 鼻を覆いたい。だが手足が動かせない。

 自由を奪われた俺に、成す術は何もなかった……。


 近くに人の気配はない……。幸い自由の利く頭を動かして周囲を見渡すが、やはり誰もいなかった。


 嫌な予感がしてならない。これはつまり、怪異に捕まったということだろうか——

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