ep4.怪異監視庁
舞さんは再び、〝怪異監視庁〟と口にした。
あまり賢くない俺だが、それでもその単語は初めて聞いた確信があった。
そして柔らかい笑顔のまま、どこからか名刺を取り出して渡された。そこにははっきりと〝怪異監視庁統括局行動一課主任監 八風舞〟と書かれている。長ったらしい名前と漢字だらけの文字に少し眩暈がした。
「あまり大声を出せる組織じゃないから、知ってる人の方が少ないかもね」
見透かしたように舞さんはフォローしてくれるが、正直嬉しいとかそんな感情は湧かない。
「まあ名前の通り、怪異を管理する機関だね。君のその〝霧猫〟くんも立派な怪異だから、管理する必要があるんだ」
「管理って……。えっと、監視とか、捕まえるとか……?」
「うーん……、今回〝名前〟を付けちゃってるからね。だから、単に監視とか捕まえるって方針はないかも」
そんなことを言われても、何もわからない。〝名前は怪異の存在を認める〟とは言っていたが、それがそんなにまずいというのか?
『お主ら、つまり私をどうするつもりなのだ?』
霧猫は俺の言葉を代弁するように、目の前の二人に問いかけた。
二人は顔を見合わせると、どこか諦めたというか、仕方ないといった風にため息をついた。
「今から一緒に来てくれる?」
「へ?」
「勿論、〝霧猫〟くんも一緒にね」
『ほう、これは俗に言うデートとやらか?』
舞さんは少し笑いながら「ちょっと違うかなぁ」と溢すように突っ込んだ。
どうやら、霧猫の知的さの割にズレたような発言に慣れたらしい。
『ではなんだ?』
「一番近い単語で言うなら、連行かな」
『ほう、連行……。何?私は何もしておらんぞ』
霧猫が困惑していることは、トーンの下がった声色だけで伝わった。
「そ、そうですよ。コイツ別に、俺の部屋荒らしただけで、何も悪いことはしてないっていうか」
『うむ。自己弁護ではないが、罪を犯したつもりは毛頭ないぞ』
舞さんは僅かに口角を上げながら、こちらに歩み寄る。その妙な圧に、思わずたじろんでしまう。
「〝何かした〟とかじゃないんだよねぇ〜」
そう言って、舞さんはどこからかアイマスクを取り出して俺に渡した。
「これは……?」
「これから行く場所は秘密なんだ」
これをつけたら最後、次に見る景色はその〝怪異監視庁〟ということだろうか。
いやしかし、初めて会った人だ。そこまで信用していいのだろうか。人気のない山の中に放り出され、そのまま埋められてしまうなんてことも、否定はできないんじゃないか?
「もし嫌なら、霧猫くんだけ連れて行くこともできるけど」
それを聞いて一瞬安堵するが、それはつまり、コイツを見捨てるということじゃないのか。
残る選択肢はある。だがそれを選ぶ勇気——いや、無責任なことはできない。
俺は渋々、アイマスクをつけた。これを外した時の景色が、山奥の森でないことを祈りながら。
「よしよし。じゃあこれからちょっと車で走るけど、我慢してね」
「わかりました」
目隠しのせいでわからないが、恐らく雪乃さんだろう。俺は手を引かれながら車の後部座席に案内され、そのままシートベルトを締められた。
「舞さん、運転はマジで丁寧に頼むよ」
「私はずっと丁寧だよ〜」
◆◆◆
車に乗せられて数分。目隠しで乗っているから、もう既に気持ち悪い。
幸いしたのは、舞さんの運転がえらく丁寧で、とてもスムーズだったことだ。
霧猫は俺の膝に乗っている。見た目と違って重くないことに驚いた。
『お主ら、一つ聞きたいのだが』
「何かな?霧猫くん」
『この布、取ってはもらえぬか』
霧猫はどうやら、布を鉢巻きのように巻き、それで目隠しをされているらしい。
「ごめんね、着いたら外してあげるから」
『そうか。なら仕方あるまい』
「コイツ、態度デカいの?謙虚なの?どっちなのよ」
『何、与えられた自由を満喫するまでだ』
こいつみたいなスタンスで生きていられたら、きっと何でも楽しく感じるのだろう。
実際、今の俺にそんな余裕はない。何でもないふうに取り繕っているが、これから何が起こるのかわからない不安は、どうしても心の底で燻っている。
真っ暗な視界の中、カーラジオと風の音だけが聞こえる車内は、現実味を薄れさせる。
そんな中、さらに数十分が過ぎた。
そろそろ着いて欲しい——その願いがようやく届いたのか、バックの警報音が鳴り出し、やがてエンジンの音が消えた。
「はーい、到着です。みんな、お疲れ様」
『取って良いか?』
「はいはい、取ってやるから動くなよ」
雪乃さんは霧猫の布を取って外の景色を見たらしく、感嘆した声が聞こえた。
俺も目隠しを取ると、想像していたのとは少し違う建物が目の前にあった。
だが少なくとも、山へ捨てられるとか埋められるとか、物騒な方向には向いていないことに心底安心した。
「ようこそ、怪異監視庁へ」
役所や組織の入る施設なら、ビルか何かだと思っていた。
これはそんなものじゃない。古い歴史を思わせる和風の、所謂屋敷だった。それも塀が遠くまで続いているあたり、なかなか規模の大きいものだろう。
「でけぇ…………」
『こんな場所があるのか。早く出てみたいのだが』
「せっかちさんだねぇ。あとで散歩していいから、まずは私たちに着いてきてくれるかな」
『いいだろう』
車を降りると、青い匂いが顔を覆う。都会からはそれなりに離れているらしい。
そして緑に囲まれた広い駐車場を数分歩くと、屋敷の入り口に着いた。
しかし面白いのは、玄関がガラス製の自動ドアだったことだ。この外観でそんな事あるのかと感心していると、内装もなかなかに不思議なものだった。
床は全てカーペット、来客用のスリッパが置いてあるところから、土禁であることが伝わる。
外観は和の屋敷、中は立派な役所。そんな変わったものだった。
舞さんに促されるまま、靴を脱いでスリッパを履く。霧猫はそのままカーペットを歩いているが、感触が不思議なのか、その場をクルクルと回っている。
「今から報告に行くから、二人とも着いてきてね」
舞さんを先頭に、俺と霧猫はその後ろ、さらに後ろには雪乃さんがいる。挟まれたまま存外に長い廊下を歩いていると、やがて奥に大きな扉が見えた。
その扉に、舞さんがノックをして「凛ちゃん、入るよ」と少し大きな声で叫んだ。
「凛ちゃん……?」
「この組織のトップだよん」
「え、え!?」
いきなりそんな大物と会うなんて、あまりにも予想外だ。てっきり俺は取調室みたいな所に入れられて、デスクライトに照らされながら尋問をされることを覚悟していたというのに。それを軽く上回らないでほしい。
そんな俺の気持ちを差し置いて、舞さんが扉を開けると、また変わった内装が出迎えた。
さっきまでは洋の雰囲気もあったのに、この部屋は畳が敷いてあったり、何が書いてあるか読めない掛け軸がかけられていたりと、何故か和装になっている。この組織のバランスがよくわからなくなってきた。
「舞ちゃん、お疲れ様。あれ?後ろの二人……」
「お疲れ様ー。そうそう、例の通報してくれた子だよ」
「ああ、例の」
恐る恐るその「凛ちゃん」を見ると、きっちりとスーツを着こなした、黒髪の女性がデスク前に座っていた。ただ、蛍光黄緑のネクタイが妙に浮いている。
「初めまして、怪異監視庁統括局長の〝矢坂凛〟です」
「……初めまして、鳥羽始です」
『霧猫だ』
流れのまま自己紹介をすると、凛さんは俺と霧猫を値踏みするように、じっくりとその場から観察した。
「ことの顛末はある程度聞いてる。君、本当に名前をつけてしまったのね」
——また〝名前〟だ。俺は一体、何をしてしまったのだろうか。




