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黄昏の華  作者: 奥村 葵
第一章 霧猫
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ep2.怪異

 はっと目を覚ます。夕日は既に山に隠れ、藍色の空が窓の外に広がっていた。


『起きたか、始よ』

 

 瞼を擦る俺の前に、霧猫がひょいと跳んで来た。


 どうやら、あれからそのまま床に仰向けに寝てしまったらしい。できれば夢であって欲しかったが、背中の痛みがそれを否定する。


「……で、何をしたいんだ」


 寝てしまう前の質問に、霧猫はちゃんと答えてくれていない。そう思って聞くと霧猫は——


『知見を広げたい』


 と平然と答えた。


『お主が寝ている間、いろいろ調べていた』


 何のことだと思い、ぼやけた目で部屋の中を見渡すと……


「……最悪だ」


 本棚に納めていた本は全て倒され、アルバムは中身が散らかり、教科書やノート、書類なんかも全て開いたまま床にぶちまけられている。

 それこそ、猫が暴れた跡そのものだった。


『なかなか興味深いものだったぞ、始』

「ああ、そう……」

『ふむ、怖いとは思わなくなったらしいな』

「今は〝怖い〟より〝辛い〟だからな……」


 頭を抱えたままの俺を一瞥して、霧猫は一冊の本に脚を置いた。


『時に始よ、お主のこともいろいろ知れたぞ』


 霧猫の脚の下にあるのは、俺のアルバムだった。


『随分と可愛がられたらしいな。それに、動物が好きなのだな』


 そう言いながら、前脚を器用に使って写真を目の前に差し出した。両親と共に動物園で撮ってもらったものらしい。だが、その時の記憶はまるでない。


『だが、両親は既に他界。今は親戚の仕送りで生活している……。そうだな?』

「……なんだよ、そんなことまで調べたのか」

『飽くなき探究心は魂を潤すものだ。それ故、お主も勉学に励むのであろう?』

「それとは違う気がするが……」


 霧猫は机へ飛び上がって鉛筆を咥える。そうしてゆっくりと俺の方へ向くと、こっちへ来い——と言わんばかりの目つきで、じいっ……と凝視している。

 促されるまま、痛む体を伸ばしながら机へ向かうと、広がったままのノートにひどい落書きが残されていた。


『お主が羨ましい。私には文字を起こすことができないのだ』


 しかし不思議な生き物だ……。言葉を話し、文字も読める。文字こそ書けないらしいが、人のような手があれば、きっと書いているのだろう。

 いや、そもそも生き物なのだろうか——という疑問が、慣れてきたことでようやく浮かんできた。


『ところで始よ、コレは何だ』


 丁寧に差し出してきたのは、カバンの奥底に入っていたであろう学校のプリントだった。

 渋々受け取って内容を見ると、〝異常現象に気をつけよう!〟という、ポップな雰囲気でありながらどこか不気味さを感じる、注意喚起のお知らせだった。


『〝怪異には近づかない!〟と書いてあるが、怪異とはなんだ』

「怪異?いや、聞いたことはあるけど、そこまで詳しくないかな……」

『私なりに調べたが、〝説明できない現象〟としか理解できんのだ』

「なんだその……」


 お前みたいな——そう言いかけて口を閉じる。今更になって、それこそ霧猫が〝説明できない現象〟そのものだと思い知らされる。

 つまりこいつは、異常現象——怪異、ということなのだろうか。


『何を考えておる』

「……いや、何も」


 誤魔化すように視線を逸らすが、こいつはどうも勘がいいらしく、『私の事か?』と低い声で淡々と問いかけた。


『確かに、私は私を説明できぬ。私がその〝怪異〟という存在なのであれば、ここに連絡してみてはどうだ』


 プリントの下の方へ目をやると、そこには〝お住まいの役所まで、お気軽にご相談を〟と書かれていた。ご丁寧なことに、終日対応の窓口まで用意しているらしい。


 こいつを放っておいても問題はなさそうだが、何かあっては遅い。早めに相談してみることにしよう。


 ◆◆◆


 役所へ連絡をしたところ、直ぐに向かうと言われ、俺は急いで部屋の片付けを始めた。


『何をしておる』

「見て分かれよ、お前が起こした惨劇の後始末だよ」

『忙(せわ)しいな、客人が来る前にへたばるぞ』

「お前のせいだっつってんだろ?」


 霧猫は相変わらず、呑気に座り込んで大きな欠伸をしている。それを横目に掃除をしていると、家の前に車が停まる音がした。


 玄関を開けると、女性二人が立っていた。てっきりスーツ姿かと思ったが、意外にも街で見かけるような装いだった。

 背の低い方は茶髪で、ベージュのブラウス。大人びた方は果物のような橙色の髪に、白のブラウスと、季節外れの青いスカーフを巻いている。

 ふと、背が低い方の女性と目が合うと、不機嫌な顔をしながらぐんぐん近づいてきた。

 ドスドスという音すら聞こえてきそうな力強い足、そして刺すような鋭い目……。

 

 ——俺はその圧に思わず扉を閉めてしまった。


「……は?おい、開けろよ!お前が連絡したんだろ!?」

「いや人違いじゃないですかね!?」


 玄関を無理矢理に開けようとする手を、もう一人の女性が制止した。そして扉の隙間からそっと顔を覗かせたのはその女性で、なんだか良い匂いもした。


「いきなりごめんね、大丈夫?」

「……大丈夫です」

「連絡をくれたのは君かな」


 小さく頷くと、開けるように催促され、渋々扉を開けた。


「改めて、怪異監視庁統括局行動一課、主任監の〝八風(はっぷう)舞(まい)〟です、よろしくね。隣の怖いお姉ちゃんは——」

「行動一課、〝梁坂(やなさか)雪乃(ゆきの)〟。連絡してきた怪異ってのはどこ。早く見せて」


 こんな人達が来るなんて思ってもいなかった。〝気軽に相談〟なんて書くんじゃねえよ——そう思いながらそっと振り返ると、霧猫が足元までやって来ていた。


『なんだ、騒がしい』


 ふと、玄関前の二人の動きが止まった。


「雪乃ちゃん、ア(・)レ(・)——怪異だよね」

「うん、間違いない」


 油断した俺の隙をついて、二人は半ば強引に玄関の中へと入り込み、霧猫の前に立ちはだかった。


『ふむ、人の家へいきなり入るのは、些か非常識だと思うが』

「非常識な存在が理屈言ってんじゃねえよ」


 ——連絡したのはまずかっただろうか。

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