ep14.特別編成課
哲也さんが怪異という衝撃をどう言葉にしたらいいか分からない。わたわたしていると、凛さんは立ち上がって部屋の窓を開ける。
朝の心地よい風と共に、青い香りが部屋の中を瞬く間に満たした。
「私達は異常を監視する組織。だから、その異常をも扱っているの」
「……あ、だから霧猫も」
「うん、正解」
この時初めて、霧猫が単なる監視対象ではないことを知った。そう思うとなんだか、少し安心したような気さえした。
「霧猫くんや哲也くん、香奈ちゃんみたいに意思疎通ができて、人に危害が無いと判断した怪異は、その監視者も含めて雇う方が都合がいいってのもあるけど」
「へぇ……。霧猫の場合は俺って事ですね」
「そういうこと」
『監視……、そんな気配は無いがな』
「まあ一緒に過ごしてるだけだもんな……」
……いやしかし、そうなると少し怖い気もする。哲也さんみたいに、人だと思っていたが実は怪異だった――って事が普通にあるという事になる。
「ちょっと不安かな」
「不安というか、ちょっと怖いっていうか……」
「でも、知らなかったらなんともなかったでしょ?」
「そりゃ、まあ……」
不安が顔に出ていたらしい俺を見て、凛さんは再び椅子に腰掛けた。
「人も怪異も、確かにそこに存在する。名前もある。人を傷つける怖い人もいれば、霧猫くんみたいな怪異もいる。人と怪異の違いって、なんだろうね」
哲也さん特有の優しさに直接触れたからわかるが、ああいう人はあまり見かけない。それなのに怪異だからという理由で怖がるというのは、失礼というか、そんな気がした。
「そんな訳だから、修一くんと香奈ちゃんは今日から特別編成課に配属することになったの」
「……え?俺と同じ?」
「特別編成課なんて名前してるけど、実際は新人の実地研修とか適性審査を兼ねた部署だよ」
「…………」
――今聞いた言葉を整理しようと、頂いたコーヒーをここで漸く開け、一口啜った。砂糖多めのカフェオレで、口の中いっぱいに甘い香りがふわりと広がった。
それを味わいながら、凛さんの言葉の意味を少しずつ理解していく。そしてそれが、自分の立場を大きく変えるものだと理解できるのに、時間はかからなかった。
「……あのー」
「どうしたの?」
「もしかしなくても、俺、先輩になるんですか?」
「うん」
「……俺未成年ですよ?」
「そうだね」
「俺の年上が、後輩に……?」
「そうなるね」
思考を挟む間もなく、とんとん拍子で会話が進んでしまう。
「……何したらいいんですか?」
「うーん、顎で使ってあげたらどうかな」
「いや無理でしょ!」
思わず突っ込んでしまう。仮にも監視庁のトップに向かってだ。しかし凛さんは何も思っていないらしく、ふふ……と、静かに笑うだけだった。
「それはそうとね、例の聞きたいことなんだけど」
何かと突っ込みたい気持ちが強かったが、それが言葉になる前に、凛さんから質問が飛んできた。
「森のコックさんと思われる怪異について、実際どんな感じだったかを教えてくれるかな」
そう言えば、報告という報告は一切できていない。
俺は連れ去られたところから、舞さんに助けられるまでに起きたことを包み隠さず話した。
「……なんだか噂とかなりかけ離れてるね」
「そうですよね。なんというか、イメージと違うというより、そもそも本当にそいつだったのかな、とさえ思うぐらいで……」
凛さんは目を瞑ったまま数回ほど頷き、自分で納得したようにすると目を開け、ゆっくり立ち上がった。
「怪異も人も、絶えず変化するものだからね」
「……そういうものなんですか?」
「そういうものだよ」
その時の凛さんは、どこか飄々としているようでありながら、それでも強い意志を感じられる、妙な雰囲気があった。
「朝から長々とありがとうね、助かったよ」
「いえ、こちらこそ。コーヒー、ありがとうございます」
「帰りはまた舞ちゃんに送ってもらってね。あと――」
凛さんは部屋の出口で振り返り、おもむろに髪の毛を指した。
「寝癖、すごいことになってるよ」
「へ?」
「じゃあ、またね」
凛さんはそのまま部屋を後にした。
俺は急いで洗面台へ向かい、自分の寝癖を確認してみた。
前髪も含め、ほとんどの髪が空へと向かって伸びている。疲れているから、なんて理由で髪を濡らしたまま寝た罰が下りたようだ……。
◆◆◆
昨日の服を備え付けの洗濯機で洗いながら、寝癖を戻す。しかしこの後どうしたらいいのかわからない。
とりあえず帰りたいが、そうなると舞さんに伝えたらいいのだろうか。しかしどこにいるのか全く知らない。
運良く会えて伝えたら、「いいよ〜」と言ってくれる姿が目に浮かぶ。しかし、またあの恐ろしい運転になったりしないだろうか……。
そういえば、昨日の帰りは目隠しをされなかった。修一さんと香奈さんにはされていたのに、どういう訳だろう。職員なら大丈夫ということだろうか。
『始、客人だ』
「え?」
布団に横たわり、天井を見上げていた体を起こす。扉を開けると、そこには昨日の二人、修一さんと香奈さんが立っていた。
「おはようございます!」
「お、おはようございます……。なんかありましたか?」
「え?ここに始くんが居るって聞いて、それで来ちゃいました!」
「……」
「……」
多分なんの用事もないのだろう。しかし客人を外に放り出すのは心が痛む。俺は二人を部屋の中へと案内した。
「ほえ〜、綺麗ですね〜」
両手を広げながら、香奈さんは一人で部屋の奥へとぐんぐん進んでいく。その通り道からは、どこか金木犀の香りがした。
「ごめんな、始……。言っても聞かないんだよコイツ」
「あ、あはは……、想像できます……」
「はぁ……、ほんと、ごめんな」
修一さんの目は虚だと思っていたが、どちらかというと憔悴しきった目という具合だ。日頃から苦労しているのだろう……。
「……ところで、ちょっと聞きたいんだが」
「なんですか?」
「お前んとこのその猫……、怪異だよな」
修一さんはベッドの枕で眠る霧猫を指した。
「なんで〝霧猫〟なんだ?」
「えー、まあ霧みたいなモヤモヤで、なんか猫みたいに見えたからですね……」
「猫は猫でも、これ〝猫又〟だよな。尻尾も二本あるし」
「あー、まあ確かに……」
話題の張本人はその声を聞き取ったのか、背中を天にグッと伸ばしてからこちらへと寄ってきた。
『私は猫又ではないぞ』
「……ああいや、似てるって話だよ」
「あー、霧猫ちゃんだ!ねえねえ、撫でていいかな」
霧猫が返事をする間もなく、香奈さんは両手で霧猫を揉みくちゃにする。
最初こそ抗っていたが、どうでも良くなったのかすぐに何もしなくなった。
「……で、一応聞きますけど」
「なんだ?」
「何か用事ですか?」
「悪い、マジで何もないんだ……」
そんな事だろうと思った。ため息をつくと、修一さんも同じようにしていた。
目の前の香奈さんだけが、えらく元気だった。




