第8話 火の玉もビームも出ません
「断ります」
俺はきっぱり言った。
「何度来られたって考えは変わりません。俺はあんたたちに協力しません」
早川さんは、少しだけ困ったように笑った。
「取りつく島もないわね」
「だいたい、俺に何ができるっていうんですか」
俺は右手を顔の前へ持ち上げた。きのうから勝手に疼く、迷惑な右手だ。
「見ていてください」
手のひらに力を込める。
「火の玉」
出ない。
「波動」
出ない。
「ビーム」
もちろん出ない。
早川さんの肩は震えていた。
「笑わないでくださいよ」
「ごめん。真剣なのはわかってるんだけど、最後だけ急に雑で。ビームって……」
「とにかく、何も出やしません。俺は絶望している以外は普通の高校生です。俺なんかに頼るのが間違ってるんですよ。警察とか自衛隊とか、そういうちゃんとした人たちに任せればいいじゃないですか。あんたたちは国の機関なんでしょう」
早川さんの表情から笑いが消えた。
「頼んでいるわ、もちろん。でも、彼らには彼らの役割と限界がある」
「限界?」
「警察は証拠に基づいて人を逮捕する。自衛隊は法律に基づいて動く。裁判は、誰が、いつ、どこで、何をしたかを示さなければ成立しない。『あの人は絶望したので、地面から人を落とせます』なんて主張を、法廷でどうやって証明するの?」
俺は黙った。たしかに言われてみればその通りだった。
「……説明、妙に手慣れてますね」
「これでも高校の教員免許は持ってるのよ」
「教師になるつもりだったんですか」
「大学に入った頃はね」
「ずいぶん大きな進路変更ですね」
「君だって、進路希望どおりの場所へ行けるとは限らないわよ」
「
「まだ何も書いてません」
「そう。なら、私より心配ね」
「今の、進路指導ですか」
「教員免許を持っていると言ったでしょう」
「嫌な教師になりそうですね」
「君は手のかかる生徒になりそうね」
早川さんはそう返してから、声を少し落とした。
「話を戻すわ。能力による事件には、凶器も指紋も足跡も残らないことがある。映像に残るのは、起きた結果だけ。仮に能力者らしい人物を見つけても、人をもう一度落としてみてくださいとは言えないでしょう」
「警察も自衛隊も役に立たない、と」
「違う。彼らにしかできないことはたくさんある。でも、彼らの力が届かない最後の一歩がある」
「その最後の一歩を、俺にやらせたい」
「ええ。それに、この事態がいつ終わるかはわからない。長期戦になるなら、力があるだけでは足りない。秘密を守れる人間であることも必要になる」
まぁそうだろうな、と俺は思った。
「能力者の存在が広まれば、次に起きるのは撮影と拡散よ。面白半分で近づく人間も、再生数や金のために利用する人間も、力を欲しがる組織も現れる。能力者本人が注目を求める可能性だってある」
「だから、事故ってことにしてる」
「今はね。仕組みも止め方もわからないうちに公表すれば、事件を解決する前に混乱だけが広がるもの」
「それで、俺なら黙っていると」
「世界を救えるかもしれないと言われて、すぐに断る人よ」
「それが信用になるんですか」
「少なくとも、秘密を売って英雄になりたがる人間には見えない。現にきのう、私は君に、本来なら外へ出せない話までした。でも今のところ、その内容はネットに出ていない」
「まだ一日しか経ってませんよ」
「一日あれば、噂が街を一周する時代よ」
早川さんの視線が、俺の右手へ落ちた。
「ねぇ久世君。能力に対して能力で対抗できる人間が必要なの」
右手が嫌なタイミングで疼いた。
「君はきのうの朝、自然落下の現場にいた。そして消えた人のすぐ近くにいた犬を助けた。その後、右手に異常が出ている。……そうね?」
俺は眉をひそめた。やはり見抜かれていたか。
「能力者を裁く制度はまだない。証拠も残りにくい。警察も自衛隊も、正面からは動けない。だから私たちは、能力そのものに干渉できる可能性を探している」
「その実験台が俺」
「違う」
「違わないでしょ」
「実験台にしたいなら、こんなふうに頼んだりしないわ。黙って連れていく方法だって、なくはない」
「さらっと怖いこと言いますね」
「だから、そうしないために話している」
早川さんは、タブレットを伏せた。
「協力してほしいの。君の右手に何が起きているのかを確かめたい。そしてもし本当に異常を止める可能性があるなら――次に誰かが落ちる前に、間に合わせたい」
ずるい言い方だと思った。
俺の右手が疼くことまで、説得材料にされている気がした。
「……悪いけど、俺の意思に変わりはありません」
早川さんは驚かなかった。落胆もしなかった。むしろ、最初からそういう答えが返ってくると知っていたみたいに、すんなりタブレットを鞄にしまった。
「今日はここまでにしておくわ」
「もう来ないでもらえると助かります」
「それはできない約束だな」
早川さんは数歩進んだところで、ふと足を止めた。
そして振り返らないまま言った。
「久世君。君はたぶん、遅かれ早かれ私たちに協力せざるを得なくなる」
「……どういう意味ですか」
「今日の件、表に出ている情報はかなり絞ってある。二十代の女性。場所はバスターミナル前。報道に出ているのは、そこまでよ」
「なんでですか」
「氏名や経歴まで出せば、関係者が騒ぐ。ネットも騒ぐ。次に狙われるかもしれない人間まで、勝手に掘り返される」
早川さんの声が、少しだけ低くなった。
「それに、犯人にも伝わる。私たちが何に気づきかけているのか」
「何に、って」
「私たちは知っている」
早川さんは、そこで一度だけ言葉を切った。
「自然落下の被害者には、共通点がある」
「共通点?」
早川さんは答えなかった。そのまま、歩いていく。
「ちょっと待ってください。共通点ってなんですか!?」
返事はない。やがて黒いスーツの背中は、人混みの中に紛れていった。
「……なんなんだよ」
俺はひとりで呟いた。
なんだってあの人は、去り際に必ず意味深なことを言い残していくんだ。前回は右手。今回は共通点。あまり褒められない趣味だ。いや、違う。おそらくあれはわざとだ。最後にああいう言い方をすれば、わずかでもまた会いたくなる。
時計の扱いは真っ当でも、人の扱いまで真っ当とは限らないらしい。
俺は家へ向かって歩き出した。
けれど、頭の中には答えのない言葉が残った。
共通点。
たった三文字が、右手の疼きよりもしつこく、帰り道のどこまでもついてきた。




