第5話 攻撃力1のなまくらソード
「俺こそが、世界を終わらせるバケモンかもしれませんよ?」
「ええ」早川さんはあっさり言った。
「そこは否定しないんですか」
「できないもの。絶望が能力を生むなら、絶望の深い協力候補者は、同時に危険人物の候補でもある」
「だったら、俺よりまともな人間を探した方がいいんじゃないですか」
「まともなだけでは駄目なの。絶望を知らない人間に、絶望から生まれた力を止められる保証はない」
早川さんは、机の上の適性評価へ目を落とした。
「それに、私たちは絶望の深さだけで候補者を選んでいるわけじゃない。何に傷つき、何を憎み、どこへ怒りを向けているのか。絶望の性質も見ている」
「どういうことです?」
「君は、世界そのものが憎いわけじゃない」
俺は窓の外を見た。
グラウンドでは、相変わらず誰かの青春が続いていた。
「当の本人は、こんな世界終わればいいのにと思ってるんですけど」
「君が腹を立てているのは、世界にある不公平な仕組みの方でしょう?」
「仕組み?」
「親も、家庭も、生まれた場所も、持って生まれた才能も、自分では選べない。それなのに、結果の責任だけは本人に押しつけられる。努力が足りない。覚悟が足りない。本人の選択が悪かった。君が嫌っているのは、そうやって話を片づけるルールの方」
悔しいけど、否定する言葉が出てこなかった。
「……それで?」
「異常な力にも、結果を成立させるための仕組みがあるはずなの。眠らせる対象。燃やす相手。発動する条件。能力者自身の願いや傷によって作られた、その人だけのルールが」
「俺なら、そのルールを壊せるかもしれない?」
「そういう力が芽生える可能性がある、と私たちは考えている」
外れカードばかり配られた人間が、能力者たちへ対抗する切り札になる。
冗談としては悪くない。冗談じゃないなら笑えない。
右手が、また疼いた。
俺は机の下で右手を握った。
「そいつは光栄ですね」
「本気で言ってる?」
「皮肉に決まってるじゃないですか」
痛みをごまかすように、指へさらに力を込める。
「俺は、あんたたちの手札にはなりませんよ」
早川さんの眉が、わずかに動いた。
「理由を聞かせてくれる?」
「俺は、そういうテーブルにはつかないことにしてるんです」
「テーブル?」
「人生がゲームなら、勝つ奴も、負ける奴も、イカサマする奴も、奇跡を信じる奴も、勝手にやっていればいい。俺は離れた場所から眺めてる。これまでもそうしてきたし、これからもそうします」
「戦わないの?」
「戦えるカードも配られてないのに、参加だけは強制される。そんなゲームへ真面目につき合う方がおかしいでしょう」
俺は適性評価の書かれた紙を指先で机の向こうへ押し返した。
「そう」
早川さんは、意外なほどあっさりとうなずいた。机の上に広げていた資料を集め、薄いファイルへ戻していく。紙の角が揃うまで、指先で二度ほど整えた。
「私も、たった一度の説得で君が応じてくれるとは思っていない。だから諦めない」
早川さんはファイルを脇に抱え、立ち上がった。
「世界の未来も、私がコンビニの限定スイーツを買えるようなくだらない日常も、君の右手にかかっているんだから」
「右手?」
思わず聞き返していた。
しまった。
聞き返した時点で、心当たりがあると認めたようなものだった。
でも早川さんは何も答えなかった。こちらの反応を確かめるように一度だけ俺の右手を見て、そのまま生徒指導室を出ていった。
扉が閉まる。
廊下のざわめきが、少し遠くなった。
俺は机の下で握りしめていた右手を見下ろした。爪が手のひらに食い込んでいる。
いつから気づいていた?
この部屋に入ってきた時からか。俺が話を聞いている間ずっとか。それとも、俺自身が異変を自覚するより前から、何かを掴んでいたのか。
右手はまだ、かすかに疼いていた。まるで今の会話を聞いていたみたいに。
「うるせぇよ」
俺はもう一度、その手を握った。
世界の未来。
コンビニの限定スイーツ。
並べていいものじゃないだろう、と思った。片方は大きすぎるし、もう片方はくだらなすぎる。
なのに、そのくだらなさが妙に胸に残った。
明日も店の棚に新商品が並ぶこと。誰かがそれを見つけて、ちょっとだけ気分を良くこと。
そんなものまでまとめて「世界」と呼ぶのなら、俺が終わればいいと思っていたものは、案外いろんなものでできているらしい。
……なんだか頭まで痛くなってきた。
今日は朝から、いろんなことが起こりすぎた。
さっさと帰ろう。
そう思って立ち上がりかけた時、机の上に置かれた一枚の紙が目に入った。
早川さんの名刺だった。
内閣府危機管理局。
異常事案対策室。
特命現地対応班。
主任調査官。
早川絵里。
長い。
何もかもが長すぎる。
早川絵里。たった四文字。
その上に乗っているものだけが、やけに重い。
国。異常。世界。責任。
そんなものを俺に押しつけるな。
そう思った。それなのに。
俺は気づけば、机の上の名刺を手に取っていた。
*
学校を出た頃には、空が赤くなり始めていた。
家へ帰っても、夕食が勝手に出てくるわけではない。俺は冷蔵庫の中身を思い出し、帰り道にある商業施設へ寄った。
食料品を買い、ビニール袋を提げて出口へ向かう。
入口脇には、十台ほどのカプセルトイが並んでいた。
動物。食べ物のミニチュア。使い道のわからない小さな置物。
普段ならそのまま通り過ぎている。今日は一台だけ妙に目についた。
少し古びた赤い機械だった。透明なケースの中に、剣や槍や斧の形をしたキーホルダーが詰まっている。
台紙には、鎧を着た少年が光る剣を掲げる絵と、金色の文字が躍っていた。
――君も世界を救う勇者になろう!
――伝説の武器コレクション。
俺は足を止めた。
今日はやけに、世界から助けを求められる日らしい。
台紙の中央では、雷と炎をまとった剣が、ほかの武器より三倍くらい大きく描かれていた。特賞。伝説の聖剣エクスカリバー。攻撃力999。
その下には、一等の勇者の剣、二等の竜殺しの槍、三等の炎の戦斧が並んでいる。
そして、台紙の一番下。
背景に溶け込みそうな灰色の小さな剣。ハズレ。なまくらソード。攻撃力1。
当たりと外れが、ずいぶん親切に並べられていた。
俺は赤い機械を見下ろした。早川さん。ここで特賞を引いたら、少しくらい考えてやってもいい。もちろん、本人に伝えるつもりはない。
財布から百円玉を二枚出し、投入口へ入れようとした時だった。
「久世さんも、こういうのをやるんですね」
横から声がした。
見ると、同じ制服の女子が立っていた。
顔には見覚えがある。たぶん、同じクラスだ。
それよりもまず、左手首へ目がいった。
グレーがかった青い文字盤。CITIZEN。
高校生がつけているものとしては、少し珍しい。
「……誰だっけ?」
女子は一瞬だけ黙った。
それから、困ったように少し笑った。
「新村真白です。同じクラスの」
「ああ」
「それと、去年も一度お会いしています」
「そうだっけ?」
去年は別のクラスだったはずだ。
「腕時計を直していただきました」
腕時計。
その言葉で、ようやくピンときた。
「……ああ。白い文字盤のオメガ」
女子生徒が目を丸くした。
「覚えていたんですね」
「時計は」
「……そうですか。できれば、名前も覚えていただけるとうれしいです」
少しだけ残念そうだった。でも、すぐにまた笑った。
「あの時は、急に動かなくなって困っていたところを、見ていただいて」
「いい時計だったからな」
高校一年でオメガ。普通に考えれば、ずいぶん裕福な家の子なんだろう。
「はい」
「でも、おまえには似合ってなかった」
女子生徒が瞬きをした。
さすがに失礼だったかもしれない。
けれど、彼女は怒らなかった。
「……はい」
むしろ、少し嬉しそうに微笑んだ。
「わたしも、そう思っていました」
変なやつだ。俺はもう一度、彼女の左手首を見た。
去年の白いオメガとは、ずいぶん雰囲気が違う。
「今はシチズンなんだな」
「はい。これは自分で選びました」
「ふうん」
もう一度見る。
グレーがかった青。派手ではない。でも地味でもない。
値段だけなら、去年見た時計の方がずっと上だろう。
それでも、こっちの方がずっと自然に見えた。
「それの方が似合ってる」
「……え?」
「今の時計。前のより」
女子生徒は何も言わなかった。
ただ、自分の左手首へ視線を落とした。
それから文字盤を見つめて、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……ありがとうございます」
声が、さっきより少し小さかった。
彼女は俺の手元の百円玉と、目の前の赤い機械を見た。
「特賞、当たるといいですね」
「いや、今日は当たってもらっちゃ困るんだ」
少し不思議そうな顔をした。
「そういう日もあるんですね」
そう言うと、彼女は軽く頭を下げて歩いていった。
俺はその背中を少しだけ見てから、もう一度ガチャへ向き直った。そして百円玉を二枚入れ、ハンドルを右へ回した。
ごとん。
排出口へ、黒いカプセルが落ちてきた。
俺は買い物袋を足元へ置き、カプセルを開けた。
中から出てきたのは、剣の形をした小さなキーホルダーだった。
銀色というより灰色に近い、丸みを帯びた刃。柄には安っぽい赤い石が埋め込まれている。どう見ても、台紙の中央で雷を浴びていた剣ではない。
同封された紙を広げる。
なまくらソード。
攻撃力1。
「……本物のガチャも大外れかよ」
俺はそれを捨てようとしたが、ふと思い留まって制服のポケットに突っ込んだ。
まぁ、俺らしいと言えば俺らしい景品には違いない。
「……早川さん。さっきの話はなしで」
本人のいないところで、俺は取引を取り消した。
家までのあいだ、攻撃力1の剣は、歩くたびにポケットの底で小さく揺れていた。




