第4話 絶望深度、S+
「こんな世界終わればいいのにと思っていた俺に、世界を救えって言ってんの?」
早川絵里は、俺の言葉に怒りも笑いもしなかった。
机の向こうから、まっすぐこちらを見ている。
黒のスーツ。隙のない姿勢。左袖から覗く、小ぶりでちょっと高そうな腕時計。漢字を詰め込みすぎた名刺。そのどれもが、生徒指導室には不似合いだった。
俺はその視線から逃げるように、窓の外を見た。
放課後のグラウンドでは、野球部が白球を追っていた。青空の下、跳ねる汗と土。少し離れた場所ではサッカー部がコーンを並べて走っている。練習をサボって、いちゃつく部員と女子マネ。俺には用意されなかった時間。
「いいじゃないですか」
窓の外を見たまま、俺は言った。
「こんな世界、終わっちゃえば。せいせいする」
少なくとも、一度くらいはガチャを引き直せるかもしれない。次の世界なんてものがあれば、の話だが。
早川さんは小さく息を吐いた。ため息というより、予想していた答えを確認したような息だった。
「久世君。君、好きなアイドルとかいない?」
「急になんですか」
「協力してくれれば推しのアイドルに会わせてあげられるかもしれないわよ?」
「いません」
「転売続出で手に入りにくい最新のゲーム機、欲しくない?」
「いりません」
「南の島とか行きたくない? たとえば、タヒチとか」
「行きません」死んでも行くか。
「ずいぶん欲のない高校生ね」
「欲しいものくらいありますよ。あんたに言う気がないだけです」
今度こそ、早川さんははっきりため息をついた。
「資料で見るより、ずっと扱いにくい子ね」
「帰っていいですか」
「だめ」
「協力しませんよ」
「とりあえず、話だけでも聞いて」
「面倒です」
早川さんの目が光った。
「君、さっき変異が実際に起きているって聞いても、あまり驚かなかったよね?」
俺は黙った。
「普通はもっと驚くの。そして疑うの。そんなまさか、って。君のような世界を信用していない子なら、なおさら、ね」
朝の光景を嫌でも思い出す。何もない普通の歩道。沈んでいく城戸先輩の体。最後にこちらを見た目。
「久世君。君にも、一連の事件について知りたいことがあるんじゃないの?」
図星だった。認めたくはないけど、朝のあれを実際にこの目で見てしまった以上、完全に無関係な顔はできない。先輩はどこに消えたのか。生きているのか。知りたいことは、ある。
「それに――」早川さんはわざとらしくドアの方を見た。「こんなに早く退室しちゃったら、ありがたいご指導の続きが待っているかもよ?」
コツ。コツ。コツ。
権田の赤ペンの音が、耳の奥によみがえった。それだけは勘弁だった。
「わかりましたよ。聞きますよ」
「ありがとう。始める前に一つだけ。今から話すことは口外しないで。家族にも、友人にも、インターネットにも」
「話す相手なんていませんよ」
「そういう皮肉も含めて、念のため。漏れれば、君だけでなく周囲の人間を危険に巻き込む」
今度は、きちんとうなずいた。
早川さんは手元のファイルを閉じ、両手の指を組んだ。
「まず、一連の異常を起こした人たちについて。私はさっき、彼らには共通点があると言った。覚えてる?」
「何かに絶望していた」
「正解」
自分にも当てはまる、と思った。
「絶望すること自体は、珍しくないわ。私だって、仕事帰りに楽しみにしていたコンビニの限定スイーツが売り切れていれば絶望する」
「ずいぶん安い絶望ですね」
「大事よ。仕事を頑張った日の甘い物は」
「俺、甘い物は好きじゃないんで」
「君とはわかり合えないかもしれない」
早川さんは口元だけで笑った。
「でも、彼らの絶望はそんな軽いものではなかった。長い時間をかけて心の中に溜まり続け、ある地点を越えた時、普通ではあり得ない力として外へ現れた」
「超能力、ってことですか」
自分で言って、馬鹿馬鹿しくなった。けれど早川さんは否定しなかった。
「現時点では、そう呼ぶのが一番わかりやすいでしょうね」
「人を燃やしたり、眠らせたり、地面の下へ落としたりする能力」
「ええ。そして、その力は本人の願いや傷に強く結びついていると考えられる」
「願いや傷?」
「集団昏睡事件を起こしたのは、生まれたばかりの子供を育てていた母親よ。夜泣きが続く。夫は仕事で家にいない。頼れる親戚も近くにいない。睡眠時間がとれない彼女は、ずっと我が子に『眠ってほしい』と願っていた」
ワンオペ育児、ってやつだ。それくらいは俺も知っている。
「それである日の昼、やっと赤ちゃんが眠った。彼女自身も何日ぶりかわからない久々の昼寝をしようとした。カーテンをしめて目を閉じたその時、家の隣の公園に遠足の子どもたちが来た」
「ああ……」思わず声が漏れた。もう結末はわかる。
「はしゃぐ声。先生の笛。遊具の音。彼女は限界だった」
早川さんはそこで、少し目を伏せた。
「彼女は決して子どもを憎んでいたわけじゃない。むしろ、ちゃんとした母親でいようと努めていた」
まともな母親だ、と思った。少なくとも、高校生の息子を置いて男と南の島へ行く女よりは。
「それでも加害者扱いですか」
「……仕方ないわ。だって子供たちは、今も眠ったままだから」
何も返せなかった。
追い詰められていたことも、頑張っていたことも、被害に遭った子供たちには関係がない。
「人体発火の件は?」
「長年勤めた会社に、自分の人生を燃料として使われていると感じていた男性よ。こちらは自身の能力に気づいたあと、自分を燃やしたと思う相手への復讐に使った」
「二人は今どういう状況なんですか?」
「身柄を確保している。それから二つの事件は止まった」
「代わりに始まったのが、自然落下」
「そういうことになるわね」
「自然落下にも犯人がいるんですか」
「いると考えている」
「その犯人も、何かに絶望している」
「おそらく」
「犯人は、現場にいたんですか」
「わからない。能力者は、見ただけでは普通の人間と区別できない。現場から離れて能力を使える可能性もある」
「それで、まだ見つけられない」
早川さんは小さくうなずいた。
「それで、さっきの『この世界はもうじき朝を失う』って話ですけど」
「ええ」
「もうじき、っていつです?」
「明日かもしれないし、一年後かもしれない。わからないの。なぜなら、その言葉を最後に当の本人は口をつぐんでしまったから。何を聞いても答えようとしない」
「明日の朝が来るといいですね」
「皮肉屋さんね」
早川さんはそう言って、空がまだ明るいことを確かめるみたいに、一度窓の外を見た。
「その人の言葉の真偽がどうであれ、久世君もここまで話を聞いて、少しは思わない? 今のところは、人体発火にしろ、集団昏睡にしろ、被害の範囲はこの街の中にとどまっている。でも、この先もずっとそうだとは限らない。いつか本当に、世界そのものに影響を与える能力を持つ人が現れるかもしれない、って」
「なるほど。それで、世界を終わらせるようなとんでもない能力を持つバケモンを、俺に止めろって言いたいわけですか」
「化け物みたいな力が現れてからでは遅いの。一刻も早く、能力によって起きる被害を食い止める手段を、私たちは手に入れなきゃいけない。今こうしている間にも、この街のどこかで新しい能力が芽生えているかもしれない。もう後手に回るわけにはいかないの」
俺は、歩道から為すすべなく落ちていった城戸先輩の顔を思い出した。
学校中から煙たがられていた不良。
でも、俺にはちょっとした借りのあった人。
「……なんで俺なんです? 他にも、力になってくれそうな人はいるでしょう」
「もちろん探したわ。だからこそ、私たちは協力者に向いている人間の条件を調べたの」
「それで高校生?」
「正確には、十代後半の若者よ」
「もっと意味がわからなくなりました」
「能力は、深い絶望を抱えた人間に生まれる。でも、絶望が深ければ誰でもいいわけじゃない」
「どういう意味です」
「絶望が人間の中で固まりすぎると、その人は自分ではなく、世界の方を変えようとする」
眠れなかった母親は、周囲を眠らせた。
人生を燃やされた男は、他人を燃やした。
……なるほど。
「凝り固まった絶望は、世界に仕返しをする」
俺が言うと、早川さんは小さくうなずいた。
「だから私たちに必要なのは、絶望を知っていて、なおかつ、それをまだ人生の結論にしていない人」
「それが十代後半?」
「子供ほど無防備ではなく、大人ほど自分や世界の形が固まっていない。傷を抱えている。それでも、まだ変わる余地が残っている」
「要するに、まだ手遅れじゃない年齢ってことですか」
「そういうこと。少なくとも、私たちはそう考えてる」
早川さんは続けた。
「異常は今のところ、この街に集中している。だから私たちは、市内にいる高校生世代、およそ五千人分の情報を調べた」
「個人情報って言葉、知ってます?」
「もちろん。知った上で、非難されるのを覚悟で来たの。逆に言えば、それだけ切羽詰まっているっていうこと」
早川さんは手早くファイルを開き、何枚かの資料を机へ並べた。
俺の名前。
生年月日。
家族構成。
成績。
出欠状況。
部活動や委員会への所属。
知っている情報と、知られたくなかった情報が、同じ大きさの文字で並んでいた。
「……なんだよ、これ」
「そう思うのは当然よね。それについては謝る。でも、必要だった」
早川さんは申し訳なさそうに、しかし機敏に、新しく一枚の紙を俺の前へ滑らせた。
久世蓮
絶望深度 S+
環境負荷 S
孤立傾向 A+
学校適応 B+
対話能力 A
抽象化能力 A
外部干渉耐性 S
他者保護反応 未確認
総合適性 S+
「……俺、いつの間に採点されたんですか」
「協力候補者としての適性評価」
「人間をゲームのステータスみたいに並べないでください」
「私もその表記はどうかと思ったんだけど、分析担当が一番わかりやすいからって」
「絶望深度、Sプラス」
「そこだけで決めたわけじゃないわ」
「環境負荷、S」
「だから、そこだけじゃない」
「孤立傾向、Aプラス」
「読み上げなくても覚えてる」
外部干渉耐性。
他者保護反応。
意味のわからない項目もある。
それでも、上に並んだ三つがろくでもない評価なのは、高校生の俺にもわかった。
「市内五千人の中で、君の総合適性は突出していた」
「つまり、この街で一番の社会不適合者ってことですか」
「そういう意味ではない」
「似たようなものでしょう」
「不本意でしょうけど、これは一つの才能よ」
「……こんな才能、要りませんよ」
才能ガチャも外した。
ずっと、そう思っていた。
勉強も運動も芸術も、誰かへ誇れるものは持っていない。
進路希望欄に書けるような才能もない。
でも、どうやら違ったらしい。
俺には、絶望する才能があった。
最悪だ。




