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第3話 世界を救うカード


 城戸先輩が何もない歩道から消えても、学校の時間割は予定どおり進んだ。

 世界がバグを起こした程度では、月曜日は臨時休校にならないらしい。

 

 教室では、朝の事件がさっそく話題になっていた。現場にいた生徒がいるとか、動画がもう消されたとか、落ちたのは若い男だったとか。


 俺の名前は出てこなかった。わざわざ名乗り出るつもりもない。

 

 先輩の白い犬は、通報を受けてやって来た警察官に預けた。


「飼い主の行方がわかるまで、こちらで保護します」

 警察官はそう言った。

 

 飼い主の行方がわかるまで。

 まるで城戸先輩が、どこかで道に迷っているだけみたいな言い方だった。

 

 右手は、あれから何度か疼いた。

 犬のリードを思いきり引いたせいだ。そういうことにしておいた。人間が地面の下へ消えた瞬間から手が疼き始めた、なんて考えると、俺の右手までこの世界のバグに巻き込まれたようで気分が悪い。

 

 案の定、放課後になると担任に呼び出された。

 場所は職員室ではなく、生徒指導室だった。

 

 しかしよくもまぁ、入る前から生徒を萎えさせる部屋名をつけたものだ。どうせなら扉に「説教部屋」とでも書いておいてくれた方が、こちらも心の準備ができる。

 

 中へ入ると、権田ごんだ正則まさのりは机の向こうに座っていた。

 

 四十八歳。担当は公民。中肉中背で、背筋だけはいつも不自然なくらい伸びている。正しさという見えない棒を、背中へ差し込んで生きているような男だった。

 

 右手には赤ペン。


 左手首には銀色の腕時計があり、ベルトが皮膚に薄く跡を残すほどきつく締められていた。こっちの手首まで締めつけられるような気がする。

 

 赤ペンの先が机を叩く。コツ。コツ。コツ。

「座る前にまず言っておく」

「なんですか」


「その、最初から何もかも諦めたような顔をやめろ。見ているこちらまで気分が悪くなる」

「どんな顔をしていたって、俺を見ると気分が悪くなるんじゃないですか」

 

 権田の眉間に、一本しわが増えた。

「そういう態度を問題だと言っている」

 

 許可を待たず、椅子へ座った。

 権田は不満そうに俺を見たあと、机の上へ一枚の紙を置いた。

 三者面談の希望日時を書くプリントだった。

 朝と同じく、いくつかの記入欄はすべて空いている。


「これはなんだ」

「見てのとおり、空欄です」


「屁理屈で答えるな」

 コツ。

「保護者には伝えたのか」


「はい」


「では、なぜ書いて提出しない」

「都合がつかないそうです」

 母親は男とタヒチへ行きました、なんて正直に答えたところで、権田の赤ペンの減りが早くなるだけだ。


「前の担任から聞いている。おまえの母親は、一年生の時も学校行事へほとんど顔を出さなかったそうだな」

 

 違う。小学校の頃からだ。訂正する必要もないので、黙っていた。


「家庭に事情があることは理解している。だが、それを理由に学校生活まで投げ出されては困る」

「投げ出してません」

 コツ。


「部活動は」

「入ってません」

 コツ。


「委員会は」

「やってません」

 コツ。


「進路希望調査は」

「まだ出してません」

 

 書きたいものがないわけではなかった。

 時計を直す仕事。

 けれど、そこに文字を書いた瞬間、それは子供の頃からの興味ではなく、進路になる。

 この街を出ることも、母親に夢を話して協力を頼むことも、全部まとめて現実になる。

 だから、まだ書けなかった。


「一年次の学年末成績は、二百人中百四位。悪いとは言わん。だが、良くもない」

 赤ペンが二度、机を叩く。

「部活にも委員会にも参加しない。進路も決めない。三者面談に保護者も来ない。最低限の点数さえ取っていれば、学校と向き合わなくても許されると思っているのか?」

 

 教師という生き物は「やればできる」という言葉が好きだ。

 

 何かをやるための体力も、時間も、家も、親も、最初から揃っている前提で話す。放課後まで青春を延長できるのは、そういうガチャに当たった人間だけだとは考えない。


「部活に入れ。委員会に入れ。早く夢を見つけろ。教師って、簡単に言いますけどね」

 俺は制服の袖をつまんだ。

「飯を作るのも、洗濯するのも、これにアイロンをかけるのも、全部自分です。部活帰りに仲間とコンビニへ寄って、アイスでも食いながら帰る。そういう放課後は、俺には用意されてないんですよ」

 

 権田はしばらく黙っていた。

 少しくらい伝わったのかと思ったが、甘かった。


「事情を並べれば、自分だけは努力しなくても許されるのか」

「そういうことは言ってません」


「親が家庭で果たすべき役目から逃げている。その影響を受けて、おまえまで学校から逃げようとしている。違うか」

 

 右手の奥に、針で刺されたような疼きが走った。

「……今の、教師が生徒に言う言葉ですか」


「おまえの将来を考えているからこそ言っている」

 権田は平然と答えた。

「高校は義務教育ではない。ついて来る意思のない者まで、いつまでも抱えておく場所じゃないんだ。何のためにこの学校へ来ているのか、真剣に考えろ」

 

 やめろ、とまでは言っていない。

 でも、赤ペンで答案の誤りへ線を引くように、俺という生徒を学校から消したがっているのは伝わった。

 

 コツ。コツ。コツ。

 

 親ガチャ大外れ。

 生まれガチャも大外れ。

 そして今、もう一つ追加された。

「担任ガチャまで大外れかよ……」


「ん? なんだ? 今、何か言ったか」

 

 その時、生徒指導室の扉が二度ノックされた。

 権田が返事をするより先に、扉が開く。

 

 立っていたのは校長と、見知らぬ女だった。

 年齢は二十代半ばくらい。肩の辺りで切り揃えた黒髪に、黒のスーツ。背はそれほど高くないのに、姿勢がいいせいか、この狭い部屋へ入ってきただけで空気の方が場所を譲ったように見えた。


「権田先生」

 校長が、普段より少し硬い声で言った。

「ここから先は、こちらの方が彼と話をします。先生は席を外してください」


「校長、しかし、まだ指導の途中です」


「学校長としての判断です」

 穏やかな口調だったが、有無を言わせぬ響きがあった。

 

 権田は赤ペンを机へ打ちつけかけ、途中で止めた。

「……わかりました」

 俺を一度だけ睨み、校長と一緒に部屋を出ていった。

 

 女は扉が完全に閉まるのを確かめてから、机の向こうへ回った。さっきまで権田が座っていた椅子へ腰を下ろす。

 

 それだけで、部屋の空気が変わった。説教部屋から、用途不明の面談室へ。

 どちらにせよ、楽しい場所ではなさそうだった。


「安心して、久世くぜれん君」

 女は言った。

「私は君を叱りに来たんじゃない」

 

 心の中を読まれたみたいだった。

 俺はこの部屋へ入ってからずっと、誰かに責められる準備だけをしていたらしい。


「驚いたわよね。私は早川はやかわ絵里えり。よろしくね」

 

 差し出された名刺を受け取る。

 

 内閣府危機管理局

 異常事案対策室

 特命現地対応班

 主任調査官

 早川絵里


「長いって思ったでしょう?」

 思った。

 長いし、漢字が多い。


「内閣府……国の機関の人ですか」

「大雑把に言えばね」


「そんな人が、俺みたいな何でもない高校生に何の用ですか」

「何でもない高校生だと思ってたら、わざわざここまで来てないわ」

 早川さんは薄いファイルを机へ置いた。表紙に、俺の名前が見えた。


「久世君。最近、この街で起きている不可解な事件は知ってる?」

「人が燃えたり、子供たちが眠ったまま起きなくなったり」

「それから、人が何もない地面から落ちて消える」

 右手がまた疼いた。

 朝の歩道。沈んでいく城戸先輩。最後にこちらを見た目。


「結論から言うわね」

 早川さんは、まっすぐ俺を見た。

「まず前提として、あなたがニュースや噂で聞いている異変は、どれも実際に起きたものよ。私たちも確認している」

 

 昨日までの俺なら笑い飛ばしていた。

 でも今日はできない。

 この目で見てしまったからだ。

「……事故じゃないんですか」

「自然に起きた事故ではないと、私たちは考えている」


「誰かがやってるってことですか」

「その可能性が高いわ」


「だったら、警察に任せればいいでしょう」

「もう、警察だけでは対応できないところまで来ているの。詳しい話は、このあとする。ただ、一連の異常を起こした人間には、共通点があるの」

「共通点?」

「絶望よ。彼らはみな、何かに深く絶望していた。

 早川さんは一度、ファイルへ目を落とした。

「それと、私たちはもう一つ、無視できない言葉を聞いている」

 

「何を聞いたんですか」


「こちらで身柄を確保している関係者が言ったの」

 早川さんは、ほんの少し声を落とした。

「『もうじき、この世界は朝を失う』って」


「……朝を、失う?」

「ええ」


「それ、世界が終わるって意味ですか」

「少なくとも私たちは、世界の終わりが近いって意味かもしれないと考えてる」

「頭のおかしい人の妄言じゃなくて?」


「そう切り捨てられたら、どれだけ楽だったでしょうね」

 冗談を言っている顔ではなかった。

「その人は、外部には出ていない事件の情報をいくつも知っていた。そして、その人が口にしたことの一部は、実際に起きた」


「未来が見えるってことですか」

「わからない。未来を見たのか、未来を引き寄せたのか、それすらまだ」

 窓の外には、夕方には少し早い青空が残っていた。今朝と同じ色だった。


「久世君」

 早川さんは言った。

「このままでは、本当に世界が終わるかもしれない」

 

 母親は男と南の島へ逃げた。

 恩のある先輩は、目の前で地面の下へ消えた。

 担任には、赤ペンで人生まで減点されかけた。

 挙げ句の果てに、今度は世界の終わりだという。

 どれだけ外れカードを配れば気が済むんだ、このクソゲーは。


「それで」

 俺は名刺を机へ置いた。

「そんな話を俺に聞かせて、どうしろって言うんですか」


「君の協力が必要なの」

「はい?」


「久世蓮君」

 早川さんは、冗談のかけらもない目で俺を見た。

「この世界を救うために、君の力を貸してほしい」

 

 昔、どこかで見た犬のキャラクターが言っていた。

 配られたカードで勝負するしかない、みたいなことを。

 

 だったら、これは何なんだ。

 

 親ガチャを外した。

 生まれガチャも外した。

 担任ガチャまで外した。

 

 そんな俺の手札に、いつ、世界を救うカードが紛れ込んだ。

 冗談きついぞ。


 俺は早川さんを見た。そして、言った。


「こんな世界終わればいいのにと思っていた俺に、世界を救えって言ってんの?」

お読みいただき、ありがとうございました。

第1章は毎日投稿です。次の第4話も明日公開します。

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