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第92話 静かな闘志

 チョコ浜アリーナの控え室でチョコ-1 グランプリの準々決勝第4試合、コスミン・アルジェサーヌ対セルバン・コドレアヌ戦を観ていたドルレットは、血に染まった顔で戦い続けるアルジェサーヌの姿を、遠い日に見たクワガタの姿に重ねていました。

 コーナーに追い詰められ、一方的に攻撃をされていても、アルジェサーヌの目は死んでいませんでした。眼光鋭く、反撃の好機を待っているように見えました。あの日、キラービーの執拗な攻撃に耐え続けていたボンボン君が内に秘めていた"静かな闘志"を、アルジェサーヌも持っているとドルレットは思いました。

 しかし結局アルジェサーヌは、第2ラウンド終了のゴングが鳴らされるまで、反撃の狼煙を上げることは出来ませんでした。ひたすら耐え続けているうちにゴングが鳴らされたのです。

「コドレアヌも、コドレアヌのセコンドも、アルジェサーヌの打たれ強さに驚嘆している感じだな」

 ドルレットと一緒にテレビ観戦していたマリウスが言いました。そのとき画面には、コーナーの椅子に座り、肩で息をしながらセコンドと何か会話しているコドレアヌの姿が映し出されていました。

「そうですね。みぞおちに完璧に入ったティーカオが2発ありましたし、パンチも、ダウンしてもおかしくないようなやつが3発は入っていましたよね?」

「うん。フックが2発と、ストレートが1発。アルジェサーヌは、おそらく普段はもっと防御が上手いんだろうけど、地区予選からのダメージの蓄積で、思うように動けていない感じだな」

「そうですね。ダメージと疲労で動きが鈍くなっていますね」

「ただ、コドレアヌも地区予選を勝ち抜いてきたわけだから、やっぱりコドレアヌが凄いとも言えるよ。あの凄まじい防御技術を駆使して、最小限のダメージでここまで上がってきているわけだから」

 マリウスの言葉通り、第3ラウンドでもコドレアヌはアルジェサーヌの攻撃を巧みなダッキングとステップで躱(かわ)していました。コドレアヌの顎を狙ってアルジェサーヌがフックを放つのですが、次の瞬間には、もうコドレアヌの顔は消えているのです。そしてカウンターのフックが、誰もいないはずのところから飛んでくる⋯アルジェサーヌは、そういう状況に置かれていました。

 それでもアルジェサーヌが、コドレアヌに意図的にもたれかかってクリンチに逃げるようなことはありませんでした。どさくさに紛れて後頭部や股間を攻撃するといった卑怯なことも一切せず、正々堂々と戦い続けていました。

 第3ラウンドの終盤、またしてもコドレアヌの強烈なフックを顎に被弾したアルジェサーヌは、スローモーションのように、ゆっくりと横に倒れました。ボクサーが頬よりも顎を狙うのは、顎を殴った方が脳が揺れ、ダウンに繋がるからです。アルジェサーヌはまさにその状態で、脳震盪を起こしており、立ち上がることが出来ませんでした。試合終了のゴングが、無情に鳴り響きました。

 ドルレットとマリウスはテレビの前でしばらく、沈黙していました。やがてマリウスが静かに、

「⋯どうだ?勝てそうか⋯?コドレアヌに」

 と訊きました。ドルレットは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出してから、こう答えました。

「必ず、勝ちます⋯勝たないと、決勝に進めませんから」

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