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第89話 神聖な掟

 ドルレットの準決勝の対戦相手を決める、準々決勝第4試合が始まりました。対戦しているのは地区予選の最終試合でセバスティアン・ムンテアヌを破ったコスミン・アルジェサーヌと、首相撲や膝蹴りに強みを持つセルバン・コドレアヌです。

 ムンテアヌとアルジェサーヌの戦いを見て感動したドルレットは、アルジェサーヌと闘ってみたいと思い、アルジェサーヌを応援していました。もちろんドルレットの中に、"アルジェサーヌさんの方がダメージの蓄積が多いから、楽に勝てるだろう"という気持ちは少しもありませんでした。むしろドルレットは、"ダメージが蓄積していてもコドレアヌさんよりアルジェサーヌさんの方が強いんじゃないか⋯?そんな気がするな⋯"と思っていました。


 第1ラウンドは、両選手とも相手の出方を見るような慎重な動きを見せていました。パンチとキックのジャブを打ち合い、距離をとって相手を観察している様子でした。コドレアヌはテンカオが得意なので、アルジェサーヌは前蹴りをジャブ気味に打って、飛び込ませないようにしていました。それに対しコドレアヌはサイドステップで立ち位置を常に変化させ、アルジェサーヌが前蹴りの軸足を安定させられないようにしました。結局、どちらも決定打を打ち込めないまま、第1ラウンドは終わりました。

 第2ラウンドは、序盤からコドレアヌが距離を詰めて前に出てきました。第1ラウンド同様、サイドステップで回りながら詰めてきたので、前蹴りでは対応出来ず、アルジェサーヌは中に入られました。コドレアヌは小さめのフックを打ちながらアルジェサーヌをコーナーに追い詰めました。

"これは⋯必ずティーカオが来るな"

 アルジェサーヌは確信しました。コドレアヌのフックを被弾し、ムンテアヌ戦で出来た目蓋の傷が開きました。流血し、アルジェサーヌの顔はムンテアヌ戦のときと同じように血に染まっていきました。


 控え室のテレビでその様子を観ていたドルレットは、小学生のとき林間学校で、チョコアイカワグンという自然豊かな土地に行ったときに見た光景を思い出していました。


 ドルレットは自己中心的な独裁者の息子として生まれたせいでイジメを受けたことはほとんど無いのですが、唯一、小学四年生のときに一時期、仲間外れにされたことがありました。三年生から四年生に上がるときのクラス替えで、学校の不良グループ5人と同じクラスになってしまい、その5人に定期的に、殴られたり蹴られたりしていたのです。5人はドルレットを標的にしていたので、ドルレットと親しくしたら自分も標的にされてしまうと考えた他のクラスメイトたちも、ドルレットを遠ざけるようになりました。

 そんなわけで林間学校のときもドルレットは、他のみんながグループごとにアスレチック遊んでいるとき、一人で近くの林に入り、"ヘラクレスチョコカブト、いないかな⋯"と探していたのです。ドルレットは生来、"バカな奴らのことは気にしないで生きていこう。そのうち罰(ばち)が当たるだろ"と考えて飄々と生きるタイプだったので、さほど寂しいとは思っていませんでした。むしろ途中からは、自分がいま林間学校に参加している最中だということも忘れて、夢中でヘラクレスチョコカブトを探していたのです。

小学生の男の子でも、カブトムシやザリガニに興味が無いという子もたくさんいると思いますが、ドルレットは見つけると大興奮するタイプでした。

 ヘラクレスチョコカブトは、ドルレットがチョコの国の昆虫図鑑を見ていたときに " おっ!こいつ、めちゃくちゃ格好いい! " と思って気に入ったカブトムシだったのですが、ドルレットは説明文に " チョコアマゾンの奥地にしか生息しない、希少種 " と書かれていたことをすっかり忘れていました。つまり、都市から比較的近いチョコアイカワグンには、いるわけがない種類のカブトムシだったのです。

" 確か図鑑には、全てのカブトムシの中で最も強く、飛ぶ速度も一番で、1匹でチョコヘイヘイボンボンカブト3匹を相手にしても余裕で勝てるって書いてあったな⋯格好良過ぎる。絶対、見てみたい ! "

 そんなことを思いながら、ドルレットはどんどん林の奥に入っていきました。

 しばらくしてドルレットは、チョコクヌギに留(と)まっている焦げ茶色の物体を視認しました。

" あっ!!あれはっ!! "

 彼は走って木に近寄りました。もちろん、木に留まっていたのはヘラクレスチョコカブトではなく、チョコヘイヘイボンボンクワガタという、至って平凡な、比較的見つけやすい種類のクワガタでした。

「なんだ、チョコヘイヘイボンボンクワガタか」

 ドルレットはがっかりして立ち去ろうとしたのですが、そのとき、彼の目を引きつける出来事が起きました。

 チョコクヌギの樹液を味わっていたチョコヘイヘイボンボンクワガタのすぐ横に次々とクレイジーチョコキラービーが飛来したのです。クレイジーチョコキラービーはチョコの国に生息する蜂の中で最も攻撃性が高く、獰猛な蜂として知られていました。飛来したクレイジーチョコキラービーは全部で5匹で、「その樹液は俺たちのものだ、ふざけるな! 」と言わんばかりに、一斉にチョコヘイヘイボンボンクワガタに襲いかかりました。

" うわっ!!ヤバいのが来たっ!!ヘイヘイボンボン、逃げろっ!! "

 ドルレットは思わず心の中で叫びました。

" チョコヘイヘイボンボンクワガタは、表面は硬いけど裏側にある腹のあたりは柔らかい。クレイジーチョコキラービーの毒針を突き刺されたら、一巻の終わりだ! "

 彼はそう思いました。普通に考えればドルレットも即行で逃げなければいけない状況でしたが、チョコヘイヘイボンボンクワガタのことがあまりにも心配で、彼はそこを離れることが出来ませんでした。


 5匹のクレイジーチョコキラービーは容赦なくチョコヘイヘイボンボンクワガタを攻撃していました。腹を見せたら終わりだと自覚しているのかどうかは謎でしたが、とにかくチョコヘイヘイボンボンクワガタは木の幹に六本の脚で必死にしがみつき、腹を見せないようにしていました。クレイジーチョコキラービーは、木の表皮とチョコヘイヘイボンボンクワガタの間になんとか毒針をねじ込もうとしている様子でした。

 その光景を観ていたドルレットは、" チョコヘイヘイボンボンクワガタを、助けてあげたい⋯ "と強く思いました。しかし、同時に彼は " これは、助けてはいけないような気がする。人が手を出してはいけない、何か神聖なルールのようなものがある⋯そんな気がする " とも思いました。彼は手に汗を握りながら、小さな虫の、生きるための死闘を観戦し始めました。


 クレイジーチョコキラービーのうちの1匹が、チョコヘイヘイボンボンクワガタの腹の下に頭の先を突っ込み、木の幹から引き剥がそうとしました。チョコヘイヘイボンボンクワガタはクワガタなので、身体の前部には大きな鋏(はさみ)が付いています。文房具の鋏のように完全に閉じることは出来ないので、クレイジーチョコキラービーの身体を真っ二つにしたりは出来ないのですが、挟んで絞め上げるくらいのことは出来ます。クレイジーチョコキラービーの方もそれは分かっているので、チョコヘイヘイボンボンクワガタの鋏には近寄らず、両側面と後ろから攻撃していました。

" うわ⋯キラービーのやつら、しっかり考えて戦ってる!!頑張れ、ボンボン君!! "

 ドルレットが、良い略称を思いついてくれました。ちょうど、この物語の語り手として、"いくら何でも、長過ぎるだろ、この名前。読者の皆さんも読みにくいのではないだろうか"と危惧していたところだったのです。助かりました。ありがとう、ドルレット。

 で、そのボンボン君なのですが、結局、木の幹から引き剥がされ、5匹いたキラービーのうちの2匹にしがみつかれた状態で、地面に落下してしまいました。ドルレットは思わず「わっ!!」と声を上げましたが、観戦を続けました。

 

 2匹のキラービーは、2人がかり、もとい2匹がかりでボンボン君をひっくり返そうと攻撃を続けていました。ボンボン君は、ちょうど投げられた後の柔道家のように、" 死んでも腹這いの姿勢だけは死守する!! "という姿勢を貫いていました。とにかく六本の脚で、出来るだけ地面をしっかり掴もうとしていました。しかし地面といっても枯れ葉や枯れ枝が無数に落ちているので、ボンボン君は難儀していました。

Xで小説の更新情報などを発信しています。

https://x.com/Lacramikioara

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