第85話 入場
バンテージチェックが終わったあと、しばらく椅子に座ってマリウスと言葉を交わしていたドルレットは、試合開始30分前になったとき、立ち上がってウォーミングアップを始めました。シャドーボクシングとミット打ちをして身体を温めてから彼は、マリウスが「当日は、これを着てくれ」と言ってプレゼントしてくれた、鮮やかな青のガウンを身に纏いました。そして背中に入った " Dorulet Lecti" という白い刺繍の文字を鏡に映し、Lectiという文字を肩越しにじっと見つめました。
"チョコレツィカさん⋯待っていて下さい。俺は⋯絶対に決勝まで勝ち上がって、優勝してみせます!そして⋯自分の気持ちを、あなたに伝えます。だから、待っていて下さい⋯"
「レツィさん!時間です!お願いします!」
係員の声が、静かな白い控え室に響きました。いつでも礼儀正しいドルレットは「はい!」と返事をして、マリウスの顔を見ました。マリウスは黙ったまま小さく頷きました。
部屋と同じように白い通路を進み、アリーナが近づいてくると、2万人の観客が発する、目に見えない"圧"のようなものが伝わってきました。明るい通路を抜け、観客席が設置された無機質な"山"を切り裂くように作られた薄暗い道を通って、彼はリングに近づいていきました。
アリーナの中央に設置されたリングに、ドルレットは上りました。
" なんて⋯なんて明るい場所なんだ⋯! "
リング上の明るさに比べ観客席は暗かったので、ドルレットは「こういう感じなのか⋯思ったより緊張しないな」と思いました。本当に自分が緊張していないのか、身体はいつも通り動くか、ドルレットはステップを踏み、シャドーをして確認しました。ドルレットや、対戦相手のボクダンの名を叫ぶ声があちこちから聞こえてきました。
準々決勝進出者の8人が決まって以降、彼らがどのような人物なのか、様々なメディアで紹介され、大会公式のインタビュー映像もインターネットやテレビで流されていました。チョコ-1 グランプリはチョコの国の国民の間でかなり話題になっており、多くの国民がそれぞれの"推し"を決め、どのような試合になるか予想するなどして楽しんでいたのです。
ドルレットは、決勝進出が決定するまでは、自分がかつてこの国を支配していた独裁者ブラックカカオの息子であることを隠し続けようと決めていました。なので、準々決勝の段階で国民がドルレットについて知っていたことは、「児童養護施設で働く、サッカー経験者の男性。施設の子供たちに喜んでもらうために頑張っている」ということと、公式インタビューでドルレットが話したことだけでした。その公式インタビューについては、この物語を読んでおられる皆さんにそのままお届けしたいと思います。映像が無いことを、どうかお赦し下さい。
インタビュアー(※女性、29歳。以下、イ)
「ドルレットさん、快くインタビューに応じてくださり、ありがとうございます。よろしくお願い致します」
ドルレット(以下、ド)
「よろしくお願いします!」
イ「え〜⋯まず、キックボクシングに興味を持たれたきっかけを教えて頂けますか?」
ド「ずっと、サッカーという団体競技をやってきたので、一人でやる競技も、やってみようと思いまして。サッカーで鍛えた脚力も活かせますし」
イ「なるほど!サッカー以外に、何かご趣味はありますか?」
ド「え〜と、音楽鑑賞ですかね」
イ「いいですね〜。何を聴かれるんですか?」
ド「色々聴きますけど⋯ビリー・アイリッシュセッターさんとか。マイケル・ジャクソンシテ・トクトーレさんとか」
イ「わあ〜!そうなんですね!私もビリーさんは大好きです!ビリーさんといえば、大型犬を連れたステージが有名ですよね!」
ド「そうですね!可愛いですよね!」
イ「一部には、" いくら何でも犬をたくさんステージに上げすぎではないか?せめて10頭くらいにしろ " "そもそも犬をステージに上げるなよ " といった批判の声もありますが、そのような声に対してはどうお感じですか?」
ド「う〜ん⋯犬だから上がっちゃダメとか、おかしいですよね。そんなこと言ったらチョコブロードウェイで大人気のミュージカル『チョコアニー』だってサンディが出てきますし、『チョコキャッツ』なんて、もはや猫しか出てこないですよ?体感的には、9割くらいが猫の自己紹介ですよ、あれ」
イ「あ、でも⋯『チョコキャッツ』の場合は、人が扮装しているだけなので⋯」
ド「⋯⋯それは言っちゃダメです。猫だと思って観ないとダメですよ」
イ「す、すみません!え〜と、マイケル・ジャクソンシテ・トクトーレさんの曲なら、何がお好きですか?」
ド「う〜ん⋯やっぱり『バット』と、『デンジャラスカル』ですかね」
イ「『バット』は、野球のバットについて歌った名曲ですよね!」
ド「そうです!歌詞が最高なんですよね。歌詞の中に出てくる男は、金属バットを使うべきかどうか、葛藤しているんです。そして最終的に使うことに決めるんですが、ルールを確認したら、金属バットは禁止と書いてあった。そのときの切なさをアンニュイな雰囲気のバラードに仕上げた名曲です」
イ「先にルール確認しろよって話じゃないですか?」
ド「⋯⋯それは言っちゃダメです」
イ「『デンジャラスカル』は、どんな曲でしたっけ?」
ド「凶暴なアライグマについて歌ったワイルドな曲です。最高ですよ!」
イ「⋯そうなんですね!ドルレットさん、今日はありがとうございました!」
ド「いえ、こちらこそ!ありがとうございました」
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