第83話 雨に濡れた街並み
ドルレットは準々決勝の会場であるチョコ浜アリーナに、通っているジムのオーナーであり、キックボクシングの師匠であり、セコンドでもあるマリウスが所有する車で向かいました。
マリウスはドルレットと並んで後部座席に座り、運転はジムの練習生であるアレッセ・イアンコヴェスクがしていました。
「ドルレット、お前にも北地区の地区予選の映像を見せたから分かっていると思うが、ボグダンはクリーンファイトをするタイプじゃない。勝つためなら何でもやる、狡猾なタイプだ。奴の術中にはまらないよう、気をつけろよ」
ドルレットも、準々決勝の対戦相手ボグダン・ルプが、ずる賢いタイプであることは知っていました。しかしドルレットは、それを知ったとき、 " 俺にとっての最強の敵は、ボグダン・ルプではないだろうな " と思いました。 " 本当に強い奴は、卑怯なやり方を選んだりしない。俺が命をかけて立ち向かうことになるのは、無垢の魂を持つ奴だ。パンチがどうとか、キックがどうとか、そういう技術的なことを超越したところ⋯こいつの魂はあまりにも純粋で、恐ろしい!と思わせてくれる奴⋯ゾクゾクさせてくれる奴。俺が戦いたいのは、そういう男なんだ " ドルレットはそう思ったのです。
チョコ浜アリーナがあるチョコ浜はチョコの国にある港町で、高さ112.5メートルの大観覧車『チョコスモクロック21』や、著名な建築家ヒュー・チョコスタビンスが設計したランドマークチョコタワーがあることで知られていました。厳密に言うとチョコ浜アリーナがあるのは新チョコ浜で、チョコスモクロックやランドマークチョコタワーがあるのはサクラギチョコ町なのですが、全てチョコ浜市にあるのです。
その日は、雨が降っていました。車窓から見える新チョコ浜の街並みは、冷たく無機質な印象をドルレットに与えました。雨に濡れて美しく黒光りする、巨大な高層ビルの黒い大理石の外壁。硬質な街並みに切り込みを入れるカッターナイフのようなエスカレーター。アクリル板がはめ込まれた塀の上部に取り付けられたステンレスの手すり。全てがよく計算され、設計され、美しく、完璧に整えられているように見えました。
"この街の中で、二人の男が、身体ひとつで戦うのか⋯。殴ったり蹴ったり、おそらく原始人もやっていたようなやり方で⋯"
ドルレットは、不思議な気持ちになりました。
"格闘技というのは原始的だ。とてもシンプルだ。だからこそ、魂が晒される。どんな魂を持った男なのかが、完全に晒される。嘘がつけない。卑怯な奴がいくら格好をつけようとしても、絶対にバレてしまう。俺は、格闘技のそういうところが好きだ⋯。俺は完全に無垢なのかと言ったら、もちろんそんなことは無い。卑怯なことを考えそうになるときもある。格好悪いことを考えそうになるときもある。だけど、俺はリングの上では何も隠せないことを知っている。リングがひとつの、『発表の場』であることを知っている。「自分はこういう男です」という、発表の場であることを。だから俺は、少しでも狡さを捨てるように、少しでも無垢な魂に近づけるように、自分を磨く必要に迫られる。そうやって格闘技は、俺をよい方向に導いてくれる⋯だから俺は、格闘技が好きなんだ"
チョコ浜アリーナが車窓から見えてきました。地区予選会場だった市民体育館とは桁違いの大きさに、マリウスとアレッセは圧倒されていましたが、ドルレットは静かな表情で建物を見つめていました。
ドルレットを乗せた車はゆっくりと、チョコ浜アリーナの、関係者専用の地下駐車場に入っていきました。
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