第67話 雨と闇のなかで
走り出してすぐにドルレットは、"寒い!!身体はなんとか我慢出来るかも知れないけど、手は絶対無理!顔も寒い!!"と思いました。元々、懐中電灯と、シュテファンに与えるための食料、水、使い捨てカイロを途中で買おうと考えていたので、ついでに自分用とシュテファン用の手袋、ネックウォーマーも買うことにして、コンビニの前にバイクを停めました。
"このバイク⋯エンジン切ったら、またさっきみたいに、キックしてかけないといけないわけだよな⋯うう⋯面倒過ぎるし、もう一度かける自信もあんまり無い⋯! "
そう考えたドルレットは、キョロキョロと周りを見回しました。歩道を歩いている人が複数おり、店の前で携帯電話をいじっている人もいましたが、バイクを盗みそうな人は見当たりませんでした。大丈夫だと判断したドルレットはエンジンをかけたまま、ささっと店内に入りました。そして一分も経たないうちに目当ての物を購入して店から出てきました。
手袋とネックウォーマーを装着して走り出したドルレットは、"よし、大分マシになった!"と思いました。マリウスが貸してくれたヘルメットはフルフェイスでは無かったので手と同じくらい顔も寒かったのですが、ネックウォーマーを目の下まで上げて装着したら、かなりマシになりました。
"こんな寒い日に薄着で登山して、遭難なんてしたら⋯死んじまうぞっ!あのバカ⋯心配かけやがって⋯!"
ドルレットはジムを出てから30分ほどでチョコネゴユ山の麓に到着しました。すぐに携帯電話で施設に電話をかけ、シュテファンが戻っていないか確認しました。戻っておらず、警察もまだ発見出来ていないという答えが返ってきました。
チョコネゴユ山には、登りやすいように整えられた登山道は、ひとつしか有りませんでした。その登山道を使わずに登る人はほとんどいないので、シュテファンの両親も使って登ったに違いないとドルレットは考えました。そして、シュテファンが両親の温もりを感じたくて山に来たのだとしたら、彼も使うだろうと推測しました。
整えられた登山道と言っても、もちろん舗装されているわけではなく、でこぼこした土道です。ドルレットは、チョコネゴユ山には急峻な斜面が多いことを知っていました。
"大人でも危険なのに、12歳の子供が夜の闇の中でチョコネゴユ山に登るなんて⋯"
シュテファンは、両親の温もりに抱かれて死ねるなら、もう死んでもいいと思っているのかも知れない。あるいは、死ねば天国で、両親や、優しくしてくれたモニカに会えると思っているのかも知れない⋯ドルレットはそう考えました。
"ダメだ⋯死んじゃダメだぞ、シュテファン!"
ドルレットがバイクを駐めた場所は、登山道の入口まで少し距離のある場所でした。そこから先は車やバイクでの進入が禁止されていたのです。
麓の駐車場にはカスタムされたスポーツカーが三台駐められており、その持ち主と思われる若者が地べたにあぐらをかいて、談笑していました。
「ねえ、君達。ちょっと訊きたいんだけど⋯男の子、見なかった?小学6年生なんだけど」
ドルレットがそう尋ねると、若者の中の一人が、
「見ましたよ!めっちゃ寒そうな服装の子ですよね?」
と答えました。
「そう!!その服、何色だったか覚えてる?見たのは何時ごろ?」
「水色でしたよ。青に近いような、濃いめの水色。1時間半くらい前かな」
その言葉で、若者が目撃した少年は他ならぬシュテファンだと、ドルレットは確信しました。シュテファンはいつも、濃いめの水色の、薄っぺらい上着を着ていたからです。
「髪は茶色で、体格はがっしりした感じだった?」
「あ、はい!まさに、そんな感じでしたよ!」
「その子、一人で登山道の方に歩いていったの?」
「いや、この駐車場で見たわけじゃないんですよ。あっちに自販機があるんですけど、俺たちが飲み物を買っていたら、横を通り過ぎて行ったんです。だから、この駐車場に向かって歩いているんだと思ってました。親が車を駐めているのかな、って。登山道も方角は駐車場と同じですけど、さすがにこの時間から登山する子供なんて、いるわけないですし」
「⋯そうだったんだね!詳しく教えてくれて、ありがとう」
ドルレットは若者に礼を言って、登山道の入口に向かいました。ぽつぽつと雨が降り始めましたが、近くに雨具を売っている店など無いことは分かっていたので、そのまま登山道に入りました。
"シュテファンはお金を持っていないはずだから、電車やバスには乗れない。歩いて来たんだ。バイクで結構とばして30分近くかかった距離だから⋯おそらく7時間くらいかけて、徒歩で来たんだ。だから到着が遅くなって、若者が1時間半くらい前に目撃することが出来たんだ"
ドルレットはそう考えて、リュックから懐中電灯を取り出し、山を登り始めました。
登り始めて15分ほどで、雨がかなり強くなってきました。更に10分ほど経つと、バケツをひっくり返したような、ものすごい豪雨になりました。
ただでさえ急峻で登るのが大変な山道が、雨でぬかるみ、登山靴ではなく普通のスニーカーを履いていたドルレットの両足は、水浸しになりました。スニーカーの中に水が入り、歩くたびにチャプチャプと音がするほどでした。
「わっ!!」
ドルレットはついに泥で滑って、転んでしまいました。身体中が泥だらけになりましたが、ひたすら登り続けました。
"シュテファンと仲が良く、よく面倒を見ていたという、モニカという女性⋯。おれは、その人に会ったことが無いし、どんな人だったのか知らない。だけど、少なくとも一人の女性がシュテファンと仲良くなり、愛情を注いでいたことだけは、事実だ。そうであるならば、彼女はシュテファンが幸せになることを、いつも祈っていたに違いない。最後の一瞬まで、祈っていたに違いない。今、彼女の想いを背負ってシュテファンを助けに行けるのは、おれしかいないんだ。病に倒れた彼女のためにも、おれはシュテファンを助けなければいけない。あいつが真っ暗闇の中で絶望しているなら、おれは、あいつが眺める世界を明るく照らす太陽にならないといけない。チョコレツィカさんがおれの太陽になってくれたように。チョコクラージュさんが命をかけて、この国に生きる人々の太陽になったのと同じように⋯"
ドルレットはぬかるみに足を取られて何度も転びました。激しく打ちつける雨の中で彼は、何度もシュテファンの名を叫びました。
"シュテファン⋯!シュテファン⋯!いま、行くからな!"
登り始めて1時間ほど経ったとき、ドルレットの目は20メートルほど前方に青い塊のようなものがあるのを捉えました。手を庇のようにして雨が目に入るのを防ぎながら目を凝らしてよく見ると、それは地面の上に横たわっている、人のように見えました。彼はそれがシュテファンであると確信し、ぬかるみの中を強引に駆け出しました。足を取られてすぐに転びましたが、すぐに起き上がり、「シュテファン!シュテファン!」と叫びながら再び駆け寄ろうとしました。途中でまた転び、最後は四つん這いで近づいていきました。
彼が目で捉えた青い塊は、やはりシュテファンでした。シュテファンはリュックを背負ったままうつ伏せで倒れており、顔を横に向けていました。目を閉じていて顔は青白く、生気は感じられませんでした。
「シュテファン!シュテファン!!」
何度呼びかけても、反応はありませんでした。
ドルレットはシュテファンの首に指を当て、脈拍の確認をしました。
"脈は、ある!生きている!生きているぞ!"
水捌けの良い斜面で、顔を横に向けていたため、シュテファンは死なずに済みました。もし平地で、水溜まりがあり、顔を下に向けていたら、死んでいただろうとドルレットは思いました。
ドルレットはまず、自分のリュックから携帯電話を取り出し、電波があることを確認すると、救急の番号に電話をかけ、状況の説明をしました。救急車は20分から30分ほどで麓に到着すると言われました。ドルレットはシュテファン用に買ったネックウォーマーで携帯電話を包み、その上に半帽タイプのヘルメットを乗せる形でリュックに入れていたので、雨でリュックがびしょびしょに濡れても携帯電話は無事だったのです。半帽ヘルメットはシュテファンに被らせるためにマリウスに借りた物でした。
次に彼は、どうやってシュテファンを抱えて下山するか考えました。まず、転倒したときにシュテファンが頭を打たないように、半帽ヘルメットをシュテファンの頭に被せ、顎紐でしっかり固定しました。今は飲み物や食べ物を摂取させることよりも、一刻も早く麓まで運び、救急車に乗せることが先決だと考え、コンビニで買った食べ物と飲み物はその場においていくことにしました。自分が転倒するとシュテファンも負傷してしまうので、荷物は極力少なくすることにしたのです。
ドルレットは、シュテファンの背負っているリュックと、その中に入っている物は出来るだけ持ち帰ろうと思いました。リュックでも何でも、両親が買ってくれた思い出の品である可能性はある。彼にとってはとても大切な品なのかも知れない⋯ドルレットはそう考えたのです。
ペットボトルのような物は置いていっても構わないだろうと思い、ドルレットはシュテファンのリュックを開けてみました。案の定、500mlのペットボトルがひとつ出てきましたが、ラベルはコーヒーなのに、中に入っているのは透明な液体でした。
"これは、おそらく水だな。お金を持っていないから、ペットボトルだけどこかで拾ってきて、水を入れたんだろう"
ドルレットはそう考えて、そのペットボトルは置いていくことにしました。リュックの外側に小さ目のポケットが付いていたので、そのポケットのジッパーを開けて中を確認すると、雨に濡れた両親の写真と、チョコットモンスターのカードが出てきました。
"バカ野郎⋯これ、モニカさんがくれたチョコモンカードだろ⋯!大切なものを、こんなにびしょびしょにしちまって、どうすんだよ⋯!"
ドルレットは両親とチョコモンカードがこれ以上濡れて破けたりしないよう、濡れていないネックウォーマーで丁寧に包んでから自分のリュックの中に入れました。シュテファンのリュックは固く絞って出来るだけ水気を無くしてから折り畳み、自分のリュックに入れました。
荷物の整理をしていたとき、ドルレットはふと、シュテファンの履いているスニーカーを見ました。元々、中古品だったものを何年も履いていたため、底が驚くほど薄くなっており、上面のあちこちに穴が開いていました。紐は、切れてしまったのを結んで使い続けていたようで、結び目が二つも三つもありました。
「傷ついて、穴だらけで、泥だらけで、ボロボロで⋯お前のスニーカー、まるでお前みたいじゃねえか⋯。シュテファン、一緒に帰ろうな!帰ったら、今度こそ、おれが買ったスニーカー、履いてくれるよな?助けてあげたんだから、それくらい、いいだろ?シュテファン⋯」
ドルレットは呼びかけましたが、シュテファンは静かに目を閉じたままでした。闇に包まれた森の中で、樹々の葉を打ちつける雨の音だけが響いていました。




