第66話 いなくなったシュテファン
ドルレットは児童養護施設の仕事をこなしながらトレーニングを続け、彼のキックボクサーとしての実力は順調に伸びていきました。しかし地区予選が迫ってきた12月のある日、施設で思いもよらぬ事件が起きました。シュテファンが突然、いなくなってしまったのです。
シュテファンの行方が分からなくなったとき、ドルレットはジムでトレーニングをしていました。その日、彼は仕事が休みで、朝からジムに行っていたのです。午後8時半頃、着信音の鳴る携帯電話を手に取ったドルレットは、電話をかけてきた施設の女性職員シモナ・シリバシュに、「ドルレットさん!大変なんです!」と言われました。
「えっ?どうしたんですか?」
「シュテファンが⋯シュテファンがいなくなってしまったんです!」
ドルレットはシモナの言葉を聞いて、一瞬、頭の中が真っ白になりました。次の瞬間には、何かとても嫌な予感がしました。
「い⋯いなくなったって、どういうことです!?」
「出かけたまま、帰って来ないんですよ!あの子は、そりゃ少し、やんちゃなところはありますけど、まだ小学生ですからね。遅くても7時には帰ってきていたんです⋯いつも。まあ、それでも門限を2時間過ぎていますけどね。小学生は7時までに帰るという規則がありますから」
「今は⋯もう、8時半ですよ!」
「そうなんですよ!これはもう、絶対おかしいです。自分の意思で家出をしたか、犯罪に巻き込まれたかの、どっちかです!ああ⋯もう⋯どうしよう⋯!」
「落ち着いて下さい。朝はいたわけですよね?何か、変わった様子は無かったんですか?」
「朝、エミールがシュテファンに"お前、ドルレットさんを殴ったことあるんだって?最低だな!"と言ったみたいなんです」
「エミールって、中三のエミール・バラシュですか?」
「そうです。あの子は身体が大きくてシュテファンを怖がりませんからね。それで、靴の話をしたみたいなんです」
「靴って、あの⋯僕が買った靴のことですか?」
「そうです!」
施設の子供たちが身につける洋服や靴は基本的に、善意ある人々が施設に寄付した中古品で賄われていたのですが、ドルレットは「一度くらいはみんな、新品を履いてみたいでしょ」と言って、日雇い労働をしていたときに貯めたお金で、全員に新品のスニーカーを買ってあげたことがあったのです。決して高価な物ではありませんでしたが、一人ひとりにサイズや色の好みを聞いてインターネットで購入したので、多少サイズや色の好みが合わなくても我慢して中古品を履いていた子供たちにとっては、とても嬉しい贈り物だったのです。
「シュテファンは意地っ張りなんで、好みを聞いても"知らねえよ!"とか言うだけで、教えてくれなかったんですよ。それで、なんとなく白が好きそうだなと思って、白を買ったんですけど⋯まさか、それが気に入らなくて家出したなんてことは⋯!」
「そんなわけないですよ!!確かに彼は意地っ張りなんで、ドルレットさんが買ってあげたスニーカーは履いていませんでしたけど。もう三年くらい履き続けて、穴が開いてボロボロになったスニーカーを履いているんですよ。足は成長しているから、サイズも合わなくなって、踵の部分を踏んで履いているんです、いつも」
「ええ、それは僕も見ていましたから、知っています。あいつ、上着もいつもペラペラの薄いやつ着ていますよね?」
「そうなんです。もう12月なのに!それで、話を戻しますけど、エミールはシュテファンに、"俺達に自腹でスニーカーを買ってくれるような人を殴るなんて最低だな!"と言ったみたいなんです」
「うわ⋯それは⋯言わないで欲しかったな⋯エミール⋯。いうか、なんであいつ、僕が自腹で買ったこと知っているんですか?隠していたんですけどね」
「ご⋯ごめんなさいっ!!わたしが、つい、ポロっと言っちゃったんです!!本当にごめんなさい!!」
「そ⋯そういうことでしたか。大丈夫ですよ、気にしないで下さい。それより、警察には連絡したんですか?」
「はい、しました。既に捜索が始まっていると思います」
「シュテファンが行きそうな場所に、心当たりは無いですか?」
「警察の人にも同じことを訊かれて、考えてみたんですけど⋯特には⋯」
「そうですか⋯困りましたね⋯う〜む⋯」
「⋯あっ!!」
「どうしたんですか?」
「今、思い出しました!シュテファン、両親が肩を寄せ合っている写真をいつもリュックに入れているんですけど、その写真、チョコネゴユ山の頂上で撮った写真なんですよ。結婚する前に何度も一緒に登った、お父さんとお母さんの思い出の山なんだって言っていました」
「あいつが、そんなことを説明してくれたんですか?」
「シュテファンは今でこそ施設で一番というくらい反抗的ですけど、小学二年生くらいの頃はとっても素直で、いい子だったんですよ。チョコットモンスターのカードをモニカに貰ったと言って、嬉しそうにわたしに見せてくれたりしてね」
「モニカさんというのは、誰ですか?」
「当時、施設で働いていた若い女性でね。シュテファンと仲が良くて、よく面倒を見てくれていたんだけど⋯病気で亡くなってしまったの」
「⋯そうだったんですか⋯。シリバシュさん、とにかく僕は、チョコネゴユ山に行ってみます!いるかどうか分かりませんけど⋯とにかく行ってみます!」
「えっ⋯でも、ここからだと、結構遠いわよ⋯!?」
「大丈夫です!」
ドルレットは電話を切って、携帯電話でチョコネゴユ山に最短時間で行く方法を調べました。
「徒歩と自転車は論外として⋯電車か車だな⋯いや、車は渋滞に巻き込まれたら終わりだ。バイク⋯バイクがいいかも!」
ドルレットはバイクを所有してはいなかったのですが、免許は大学生のときに取得して、持っていました。ジムのトレーナーであるマリウスがいつもSRチョコ400というオートバイで来ていることを思い出したドルレットは、
「マリウスさん!!一生のお願いです!!バイク、貸して下さい!!」
と言いました。
「えっ⋯!?あ、分かった。お前って、一生のお願いを何回も使うタイプの人でしょ?むふふ、その手には乗らないよ」
マリウスは事情を知らなかったので、おどけてそう答えました。
「冗談言ってる場合じゃないんですよ!!お願いします!!この通りです!!施設の子供を⋯探したいんです!!」
ドルレットの様子を見て、只事ではないと察したマリウスは、彼の願いを聞き入れ、バイクの鍵を渡しました。
「ありがとうございます!!このご恩は、一生忘れませんっ!!」
ドルレットはそう言ってSRチョコ400に跨りました。
「あれっ!?これ⋯セルボタンどこにあるんですか?」
「それSRチョコ400だから、セルボタンは無いよ。キックしないとエンジンかからないよ」
「⋯!!」
「しかも、結構コツがいるよ⋯」
「⋯マリウスさんっ!!なんでこのバイク選んだんですかっ!!」
「面倒臭いやつが好きなんだから、仕方ないでしょ!怒らないでくれよ!」
ドルレットはマリウスにコツを教わり、5分後にようやく、チョコネゴユ山に向かって走り出すことが出来ました。




