第60話 ドルレット・レツィ
「僕は近いうちに、またチョコフィエルに行ってみようと思っています。もちろん、そう簡単にチョコレツィカさんを見つけられるわけがないことは分かっていますが、積極的に動き回ることで何かに気づいたりして、進展に繋がるということはあると思うんです」
デチェバルがそう言うと、コドリナは「それはまぁ、確かにそうだろうね。何もせずにじっとしていたら、何も起きないもんね」と言って彼の考えを支持しました。
ラウンジ会議を開催した日から、デチェバルだけでなく他の四人の中にも「いつかチョコレツィカに会って、励ましてあげたい」という気持ちが芽生え、それは少しずつ育っていきました。元々チョコレツィカのことを尊敬していたレオンテだけでなく、憎んでいたオティリアやコドリナ、マリオアラの心にすらそのような気持ちが芽生えたのは、ひとえにデチェバルの澄み切った心の為せる業でした。チョコレツィカについて語る彼の目や声には、語られる言葉そのものを超えるような説得力があったのです。
五人は一致団結し、協力してチョコレツィカ、もといクララを探しましたが、なかなか見つかりませんでした。ブラックカカオはインターネットの普及が独裁体制の崩壊に繋がることを警戒し、普及しないように規制をしていたのですが、革命後に発足した新政府は、逆にインターネットの普及を推し進めていました。ラウンジ会議が開かれた頃にはSNSも普及し、小学生からお年寄りまで幅広く利用されるようになっていましたが、クララを見つけるうえで役に立つことはありませんでした。SNSはそもそも匿名で利用されることが多いうえ、クララが「わたしは、あのチョコレツィカです」と発信することなど、あり得なかったからです。
クララがデチェバル達によって発見されないまま、月日が流れていきました。デチェバルは大学を卒業する際、"ドルレット・レツィ"という、自分で決めた新しい名前の戸籍を新政府から与えられました。"ドル"はチョコの国では"憧れ"を意味する言葉で、チョコレツィカの名前から取った"レツィ"と組み合わせて、デチェバルは自分の新しい名前にしたのです。
デチェバル、もといドルレットは就職活動をしていなかったので、大学卒業後しばらくは日雇いの肉体労働で生活費を稼いでいました。
ある日の夜、彼がバーのカウンターでジントニックを飲んでいると、チャコールグレーのスーツに身を包み黒い中折れ帽を被った紳士が隣に座り、話しかけてきました。
「⋯今日は、すごい雨だね」
突然、話しかけられたドルレットは少し動揺しながら、
「ええ、ここまで激しく降ると、風情があるとか言っていられませんね。アハハ⋯」
と答えました。紳士は静かに微笑み、
「君は、いい体格をしているね。何かスポーツをしているのかい?」
と訊きました。
「あ、はい⋯子供の頃からずっとサッカーをしていて、今はキックボクシングのジムに通っています」
「おお⋯やはりそうか。店に入って、見た瞬間に、"とても強そうな男だ"と思ったよ」
「アハハ⋯ありがとうございます」
「訊いてもいいかな?お仕事は何をしているんだい?」
「あ、いや⋯今は日雇いの仕事で食い繋いでいるんです。自分が何をしたいのか、よく分からなくなってしまって⋯」
「そうなのか。でも、君は大丈夫だと思うよ」
「えっ⋯何がですか?」
「何というか⋯人生、大過なく生きていけると思う」
「えっ⋯どうして、そう思うんですか?」
「ハハハ。目を見れば分かるよ。君は、優しくて、しかも強い男だ」
紳士にそう言われたドルレットは、少し赤面して、
「あ⋯ありがとうございます!」
と言いました。
「あの⋯あなたは、どんなお仕事をされているんですか?」
ドルレットに訊かれた紳士は、
「これは失礼。人様に尋ねるときには、まず先に自分の職を言うべきだったね。私はね、社会福祉法人の理事長をしているんだ」
「⋯社会福祉法人、ですか。確か、いろんな種類がありますよね?」
「その通り。私が理事長を務めているのは、児童養護施設を運営している社会福祉法人なんだ」
紳士はそう言って、背広の内ポケットから名刺入れを取り出し、ドルレットに名刺を差し出しました。そこには、こう書かれていました。
社会福祉法人 パドゥレア・プリミトアレ
理事長 アンドレイ・イオネスク
ドルレットとイオネスクはそのあと、サッカーや映画の話に花を咲かせました。二人は意気投合し、バーの閉店時間が迫ってきたころ、イオネスクは「よかったら私のところで働かないか?」とドルレットを誘いました。
もちろんイオネスクは、ドルレットがブラックカカオの息子であることは知りませんでした。ドルレットは自分の正体を隠していることに後ろめたさを感じましたが、「うちの施設にはブラックカカオのせいで、乳幼児の頃に両親を失った子供たちもたくさんいる。あの子たちに本物の愛情を注いでくれる人を探していたんだ。そして私は、君と話して、ピンときた。この男なら、それが出来る⋯とね」とイオネスクに言われたときに、「どうしても、この人が運営している施設で働きたい!」と思ったのです。
父親の罪を背負うということではなく、"おれの父親のせいで両親を失った子供達を、おれの力で笑顔にしたい"という気持ちが、自然と心の奥から湧いてきました。"絆が生まれた後で自分の正体を子供達に知られてしまったら、彼らを傷つけることになってしまうかも知れない"とも思いましたが、"それでも切れないくらい、太くて強い絆にすればいいじゃないか!おれは、やってみせる!"と、ドルレットは決意したのです。




