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第61話 ダリア・ナスターセ

 ドルレットがバーでイオネスクと知り合った夜、クララも遠く離れたチョコフィエルにある『クイブル・デ・チョーリ』というバーのカウンターで酒を飲んでいました。国民に向けて演説をした頃のクララはロングヘアでしたが、チョコフィエルに移り住んでからはハンサムショートと呼ばれる、ボブより短いショートヘアにしていました。そのうえ伊達眼鏡もかけていたので、彼女が"あの有名なチョコレツィカ"だと気づく人はいませんでした。

 クララは家で飲むときはジャックチョコダニエルばかり飲むのですが、バーでは様々な酒を飲んでいました。クイブル・デ・チョーリは、カクテルに特化した所謂(いわゆる)"カクテルバー"ではありませんでした。様々な銘柄のウイスキーやブランデーなどをそのまま味わうことも出来るし、カクテルも楽しめる、オーセンティックバーと呼ばれるタイプのバーだったのです。

 その日クララは、カウンターの一番奥の席に座り、一人で静かにギムレットを飲んでいました。客が少なくマスターの手が空いているときは話し相手になってもらうこともありましたが、その日はクララ以外にも五人の客がおり、マスターはカクテルに使うフルーツを切ったり、シェイカーを振ったりしていました。そのためクララは遠慮し、話しかけずに一人でチョコロレンスの詩集を読みながらカクテルを味わっていました。

 マスターはセプティミウ・ゲオルギウという名の58歳の男でした。チョコ柔道四段で、体重が100キロあるセプティミウに、クララは「トシヒコ」というあだ名を付けて、酔うといつも、「おい、トシヒコ!ギムレットひとつ!」などと言っていました。チョコの国にはかつて、チョコガ・トシヒコという伝説的なチョコ柔道家がいたのです。セプティミウに「俺の得意技はチョコ一本背負いだ!」と言われたときに、「チョコガと同じじゃん!よし、今日からマスターのことはトシヒコと呼ぶ!」とクララは言い、本当にその日から"トシヒコ"と呼び始めたのです。普通なら「クララ、いくら何でも無礼過ぎるだろ」と言いたくなるところですが、あだ名をつけた時点で既にクララとセプティミウは、他の客から「なんか、親子みたいだね」と言われるほど仲良しになっていたので、「え!?そんなあだ名⋯畏れ多いけど、嬉しい!」と言ってセプティミウは喜び、怒るようなことは無かったのです。


 クララがチョコロレンスの詩集に(しおり)を挟み、二杯目のカクテルをオーダーしようとしたとき、店の入口が乱暴に開けられる音が響きました。クララも含め、店内にいた全員が視線を入口に向けました。

 入ってきたのは大学生と思われる若者の集団で、男が四人、女が三人でした。彼らはクイブル・デ・チョーリを居酒屋か何かと勘違いしていたようで、カウンター席しか無い店内を見て、男の一人が大きな声でこう言いました。

「何だよ!テーブル席ねえのかよ!使えねえ店だな!」

 友人と思われる他の男や女も、

「さいあくぅ〜!!こんな店に用はありませ〜ん!」

「アハハハ!なんか汚い店だしな!さ、行こうぜ!」

 と、失礼な発言を連発しました。トシヒコは無表情で黙ったまま、店から出ようとする彼らを見つめていました。

「おい、待てよ。君達」

 カウンターチェアから降りて、静かに彼らに歩み寄り、そう言ったのはクララでした。

「謝りなさい。君達が言ったことは、このお店のマスターに対して、とても失礼だ」

 クララに突然そう言われた若者たちは、面食らって一瞬ひるんだように見えました。しかしすぐに反抗的な表情になり、まず男たちが、こう悪態をつきました。

「あ!?何だよ、いきなり。オバサンは引っ込んでろよ!」

「いるよな、こういう、しゃしゃり出てくるババアって!アハハハ!!」

「みんな、知ってるか?こういうババアって、たいてい未婚で、彼氏もいないんだよ!アハハハ!」

 女たちも同調し、クララにこう言いました。

「オバサン、かわいそ〜う!もう、女捨てちゃってるんじゃないの?アハハハ!」

「わたしの男友達、紹介してあげよっか!?アハハハ!」


 クララは黙ったまま、彼らを見つめていました。チョコクラージュが生きていた頃のクララだったら、それくらいのことで動揺することは無かったでしょう。しかし勇敢で強かったクララの心は、あの頃よりも少しだけ弱くなっていました。

「大丈夫だ。動揺なんて、していない。こんな奴らに侮辱されたくらいで、わたしが動揺するはずはない」

 自分に言い聞かせるようにクララは心の中でつぶやきました。しかし、彼女は目が潤んでくるのを感じました。

「嘘だ!そんなわけはない!このわたしが、このくらいの侮辱で泣くなんて、そんなことは絶対にあり得ない⋯!」

 あと少しで涙がこぼれ落ちると思ったとき、クララと若者たちの間に、一人の女性が割って入りました。トシヒコも、"おれの店を侮辱するだけのバカなら放っておくが、クララを傷つける奴は許さん!"と思いカウンターから出ようとしたのですが、女性の方が若者たちの近くにいたので、先を越された形になりました。女性は、最初にクララを侮辱した男の胸ぐらをつかみ、

「⋯おい。もう一度言ってみろ」

 と言いました。決して大きな声ではありませんでしたが、若者たちは今までの人生で感じたことのない、背筋が凍るほどの殺気を感じました。

「す⋯すみませんでした⋯」

 若者たちは口々に謝り、逃げるように店から出て行きました。

「あ⋯ありがとう⋯」

 涙で潤んだ瞳で、クララは礼を言いました。女性は、信じられないくらい優しい微笑みを浮かべて、

「大丈夫?気にしちゃダメだよ、あんな連中の言ったこと」

 と言いました。

 その女性はダリア・ナスターセという名で、クララよりひとつ年下の41歳でした。その日、閉店時間まで酒を飲みながら話した二人は、別れ際、連絡先を交換しました。そのとき二人は全く同じことを思っていました。

「この人とわたし、絶対、親友になる⋯!」

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