第57話 ルミニツァ
時を同じくしてブラックカカオの別荘では、本館の中央にあるラウンジに五人の子供達が集まり、話をしていました。それはただの雑談ではなく、ブラックカカオの一人息子であるデチェバルが呼びかけて開催された、会議のようなものでした。「子供達」と言っても、クララと初めて面談をしたとき16歳だったデチェバルは22歳になっており、14歳だった公安調査庁長官チョコインベスの息子、レオンテは20歳に、17歳だった副大統領チャウチョコスの娘であるコドリナと、親衛隊隊長チョコシャルペの娘のマリオアラは23歳に、ケーキ担当大臣チョコッティの娘であるオティリアは16歳になっていました。
デチェバルがブラックカカオの息子であることを隠さずに一般企業の採用試験を受けて、採用される可能性はかなり少ないと政府の担当者は考えていました。そのためデチェバルに対して、クララと同じように新しい名前と戸籍を作ることや、行政機関の職員として働いていくことを提案しました。
デチェバルは名前と戸籍については同意しましたが、職員になることについては「コネ採用みたいで、なんか嫌だな⋯」と考え、返事を保留していました。
別荘で彼が暮らすための費用は国の予算で賄われており、そのことは国民にも公表されていました。大学の学費については、税金で賄えば国民は反発すると予想されたため、無利子・貸与型の奨学金として予算から出されることになり、そのことも併せて国民に公表されました。
民主主義の法治国家を創るためにはブラックカカオを排除するしかなかったこと、そのために父親を失ったのがデチェバルだということ、デチェバルには何の罪も無いこと、彼と母親はブラックカカオと長年不仲で、別居していたことなどが政府によって繰り返し説明されたため、ほとんどの国民は、彼に対して敵意を持っていませんでした。しかし理解の無い人というのは必ず一定数いるもので、「なんで俺達の納めた税金であいつに飯を食わせてんだよ!」などと抗議する人達も一部にいました。
デチェバルは高校生だった頃、大学に進学する意思はあるかと定期的に担当者に訊かれていました。初めのうちは、「別に行かなくてもいいかな⋯」という気持ちだったのですが、面談をしているときにクララが人権や法の支配、三権分立などについて話したことがあり、彼はその内容に強く惹かれました。チョコロンビア大学に法学部が設置されたことや、法学部には法律学科と政治学科のふたつがあることもクララは彼に教え、そのとき彼は初めて「人権思想の歴史や法律について、おれも勉強してみたいな⋯」と思ったのです。
彼は猛勉強し、一般受験でチョコロンビア大学法学部政治学科に合格しました。大学でも優秀な成績を収めていましたが、卒業後どのように生きていくか、まだ決めることが出来ずにいました。
レオンテは、デチェバルと同じように貸与型の奨学金でチョコロンビア大学の文学部に進学し、別荘から送迎用の車で通っていました。チョコロンビア大学当局は、デチェバルが通い始めた時点で全ての入口に警報の鳴る探知機を設置し、銃や刃物、爆弾などの危険物が持ち込まれないようにしていました。そのためデチェバルやレオンテが暗殺されるリスクは、かなり低減されていました。
送迎用の車で通学することについてデチェバルやレオンテは後ろめたさを感じ難色を示しましたが、政府の担当者は「公共交通機関で通学するのは危険過ぎる」と説得しました。最終的に二人は折れて、同意しました。
コドリナとマリオアラも同じ形で大学に進学し、卒業後は行政機関の職員になる道を選び、既に働き始めていました。
オティリアは小学生のときに父親を突然失った悲しみの中で中学、高校と進学し、少しずつ明るさを取り戻していました。周りの大人達は、チョコクラージュが起こした革命の経緯や、父親が何をしていたのかということを、小学生のときの彼女には教えないようにしていました。意図的に情報を遮断し、一切伝わらないようにしていたのです。それは、まだ小さな女の子の、無垢な心を守るための措置でした。受け止め切れずに壊れてしまうと判断したのです。
遮断していた情報は、高校生になってから少しずつ彼女に伝えられました。彼女は友達と話す機会や、街中を歩く機会、報道に触れる機会を全く持てていなかったわけではないので、薄々気づいていた部分や、既に知っていたこともありました。
彼女にはルミニツァという専属の担当者がついていました。ルミニツァは、オティリアがブラックカカオの別荘で暮らし始めた10歳のときから変わらずに担当者として心のケアを続けていました。友人関係、勉学などに関する悩みの相談相手としてオティリアから絶大な信頼を得ていたのは、ルミニツァがもはや仕事という枠を超え、"この子を立ち直らせるためなら、どんなことでもしてみせる"という本物の情熱を持って彼女と向き合ってきたからでした。
ルミニツァがそこまでの情熱を持つことが出来た理由は、オティリア自身にありました。ルミニツァはオティリアに初めて会ったとき、"この子は、絶対に心が綺麗な子だ!!"と確信しました。"わたしを真っ直ぐ見つめるこの子の瞳は、輝いている。わたしはこの輝きを守るためなら、何だってする!"ルミニツァはそう、思ったのです。
ルミニツァはあるとき、高校生になったオティリアに対して、こう言いました。
「とても言いにくいことではあるけれど、わたしも覚悟をして話すから、聞いて欲しいの。オティリア⋯あなたのお父さんは、たくさんの人達が死んでしまった出来事に、深く関わっていた。つまり、あなたのお父さんのせいで死んでしまった人達が、たくさんいるの。あなたのお父さんが殺されてしまった理由は、そこにある。それはもう、あなたも薄々、分かっていることだと思う。オティリア⋯わたしは、あなたのような立場に置かれたことが無いから、あなたの気持ちを想像することしか、わたしには出来ない。だけど、わたしは自分が持つ全ての力を使って、一生懸命、必死に、想像する。それは仕事だからじゃない。わたしは何年も、あなたと向き合って話をしてきた。数え切れないほど対話をしてきたのに、わたしは、あなたに不愉快な思いをさせられたことが、一度も無いの。本当に、一度も⋯。それって、凄いことだよ?あなたは悲しみの底にいるときも、わたしを気遣ってくれて、"今日は元気無さそうですけど、大丈夫ですか?"と優しい声をかけてくれた。わたしは、あなたの心のケアをする担当者なのに、逆にあなたに元気をもらったことが、数え切れないほどある。あなたの持つ優しさ、可愛さ、賢さ⋯全て、わたしが一番よく知っているの。だからわたしは、あなたのことが、心の底から大好きなの。世界中のみんながあなたの敵になったって、わたしはあなたの味方でいる。だからオティリア⋯生きることを、恐れないで。どんなときも、わたしはあなたのそばにいる。あなたの一番の味方でいる。お父さんのことを無理に嫌いになる必要なんて、全然無い。ずっとずっと、大好きなままで、いいんだよ。だけどね、オティリア。お父さんが、間違ったことをしてしまった事実も、受け止めなきゃいけないと、わたしは思う。お父さんは殺されても仕方ないことを、してしまった。だから、お父さんを殺した人や、その仲間の人達を、憎まないで欲しいの。それはとても難しいことだって、もちろん分かるよ。だけど、お父さんを殺した人達も、同じようにお父さんを殺されているの。お父さんだけじゃなくて、お母さんまで。でも、その人達はあなたを殺そうとはしていない。むしろ、どうすればあなたの心を守れるか、必死になって考え続けているんだよ。オティリア⋯チョコレツィカさんのこと、聞いたことあるでしょう?チョコレツィカさんはあなたのお父さんを殺した人の上司だった人で、この国を、みんなが安心して暮らせる国にするために、憲法や刑法の草案⋯つまり下書きみたいなものだけど、それを作った人。彼女はいつも、あなたのことを心配していたの。あなたのことしか考えてないんじゃないかって思うくらい、いつもあなたの様子について訊いていたわ。彼女は、あなたの父親を殺したのは実質的に自分だと思っていた。そして、その判断は正しかったと頭で思うことは出来ても、小さな女の子からお父さんを奪ってしまったという事実に心が耐え切れなくて、壊れてしまった。今、彼女は居場所すら分からない状況なの。オティリア、あなたは"そんなの自業自得よ"と言ってもいい立場にいる。わたしはもちろん、"チョコレツィカさん、可哀想だと思わない?"なんて、あなたに言う気はない。ただ、分かって欲しいだけなの。あなたのお父さんを殺した側の人達が持つ、あなたのことを心配する気持ちは、決して上辺だけじゃないということを。本当に心が壊れてしまったくらい、深くて、重い気持ちだったということを」
ルミニツァの言葉を聴き終えたオティリアは、目に涙を浮かべながら、真剣な表情で、静かにこう言いました。
「わたし⋯上辺だけだなんて、思いません。あと、ルミニツァさんにお願いしたいことがあります」
ルミニツァはごくりと唾を飲み込みました。
「⋯なに?」
「もし、そのチョコレツィカさんの居場所が分かったら、わたしに教えて下さい。昔は会うのを断っていましたけど、今なら、わたし⋯」
オティリアは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しました。
「⋯わたし、会えると思います」




